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災害の多様性「占領謀略事件」参

はじめに下山事件とは関係の無い個人的な話をしておきます。

下山事件の舞台となった常磐線の小菅から綾瀬駅周辺には、鳥羽伏見戦争、勝沼戦争で負けた新撰組が隊士再結成のために駐屯した地『慶応4年 (1868)3月のことです』であり、僕が宣伝のお手伝いをさせていただいているミドリ安全さんの関連部署があるところです(ちなみにミドリ安全さんの本社は渋谷区広尾にあります)。

新撰組は関係ないじゃないか? いいえ、あるんです。私の先祖は会津藩下の百姓でしたからね。関係あるんですよ(笑)というか、子どもの頃に新撰組のドラマ「燃えよ剣」(司馬遼太郎原作)を観て・・・ああ、また脱線しちゃう。やめます。

もうひとつはね、これはまったく個人的な話なんですが(なんだ、脱線しちゃうじゃないか)、僕が若い頃に東中野で同棲していた女性が、綾瀬(といってもひとつ先の駅の北綾瀬なんですが)の男性と恋仲になって、東中野と綾瀬間を往復していたんですよ。ですから綾瀬駅に降りる度にその記憶が蘇って泣けちゃったんですよ(最初の頃だけねw)。でもね、東中野と綾瀬の往復って結構大変なんですよ。その間は約20キロ・・・。電車で言えば、千代田線でお茶の水まで行って、そこから中央線に乗って東中野・・・あれ、それだけじゃん、大変じゃないね(笑)。

この女性に対しては、そもそも僕に非があったことなので仕方がないし、その後も幸福に暮らしているようなので良かったのです。それでも若い頃のことだから記憶に残るじゃないですか? 

東中野から綾瀬って経路は、縁が深いんです。実は僕が働いていた会社は千代田線の湯島駅近くにあったのでこの経路(といっても、同棲場所からは大久保駅の方が近かったので僕は大久保駅を使っていましたがね)を使っていたんですよ。でね、最近になって気がついたんですが、僕が通勤する時間に、彼女たちは逆に綾瀬から東中野に通ってくるんですよ。

当時は何も考えずに大久保から湯島まで通っていましたが、今考えると少しだけ切ないですね(笑)。それから25年経ってミドリ安全さんの仕事をしているときには何も考えずに綾瀬に通っていましたね。

そうそう、綾瀬と言えば、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」もありました。犯行が行なわれたのは北綾瀬の民家でしたね。女子高生が綾瀬周辺の少年たちに拉致され、蹂躙虐殺されてのちに殺害、遺体をドラム缶に入れてコンクリートを流し込み、江東区若州(別名:夢の島)に遺棄したという身の毛もよだつ恐ろしい事件です。

綾瀬という地には良くも悪くも僕の記憶と好奇心がいっぱい漂っているんです。もうひとついえば、いかりや長介さんのお墓も綾瀬のお寺にあるんです。一度、お墓参りしたことがあります。ちなみに、この寺は北野武(ビートたけし)さんの実家の菩提寺でもあるそうです。

wikiを見たら、この寺は、寛政4年(1792年)11代将軍徳川家斉が鷹狩で使用して以来、将軍家の御膳所に指定されていたそうです。

蓮昌寺までの行程↓ 

なかなか本題に入らないですね。申し訳ない。

つづく

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