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影を消す男

僕は久しぶりに鏡の前に立ち、まともに僕の影と向かい合った。僕の影も勿論微笑していた。僕はこの影を見つめているうちに第二の僕のことを思い出した。第二の僕…独逸人の所謂ドッペルゲンガーは仕合わせにも僕自身に見えたことはなかった。芥川龍之介「歯車」より

「影を消す男」

僕は夜の散歩を日課としている。昼間は働いているので、夜7時頃に帰宅してからスポーツウェアに着替えてすぐに自宅周辺を歩く。目標歩数は8000歩である。ダイエットと運動不足を補うことが目的なので本来ならばジョギングにしたいところだが、僕子どもの頃から運動が苦手で、走ってもすぐにバテてしまうからヘタをすると三日坊主で終わってしまうことになるので気軽な散歩にしたのだった。それが功を奏して散歩を始めてから1年で体力がついた感じがするし、疲れづらくなった。体重は10キロ近く減少していた。

僕は、その日も散歩していたが、この日はいつものコースに飽きて、散歩コースを変えてみようと考えて少し遠回りをしてみた。夜の散歩としては避けていた小さな神社の暗い境内を通り抜けてみようと考えた。その神社の境内までは約100段の階段を上らねばならないから、かなりの運動になる。僕は数年前に東京愛宕神社の86段階段で動けなくなってしまった経験がある。この神社は小さいのに愛宕神社以上の段数だ。

僕が神社コースを避けていたのは、この100段の階段の昇降と、暗い境内を通り抜けなければならないという恐怖感からだった。

そして、遂に神社の100段階段が目の前に聳えていた。

「うひゃあ、こりゃ大変だ。上り切ったら、しばらくは動けなくなるかもしれないな」愛宕神社の経験から、引き返していつものコースを辿るか迷っていた。

すると、目の前の階段に不思議なものが見えた。トレモントハットを被った黒いコートを着た男が階段の中腹で懐中電灯のようなモノで付近を照らしているようだった。落とし物を探しているのだろうか? 不思議な男がいることで神社への恐怖感が薄らいだ。僕の足は自然と神社の階段を上りはじめていた。気がつけば、いつの間にか懐中電灯を持った男の下まで上っていたのだった。

「あなた、そこで何をしているんですか?」思わず尋ねていた。
「影を消しているんだよ」男は僕を見もせずに相変わらず懐中電灯のようなモノで階段を照らしながら、そう答えた。懐中電灯のようなモノは、薄い板状の機械だった。スマートフォンだろうか?
「影?」
「そう。自分の影が厄介なんで、こうやって影を消しているんだ」そう言いながら懐中電灯のようなモノの光を自分の影に当てていた。
「自分の影を消してどうするのですか?」
「君は知らないのか? 影は自分の命を縮めてしまうんだよ」男は、はじめて僕を見た。男は端整な顔立ちをしていて、神経質そうな表情をした中年男だった。
「自分の影が、自分の寿命を縮めてしまうのですか?」
「その通りだよ、だからこうして影を消しているのさ」
「ただの影じゃないですか?」
「影は、常に自分につきまとう自分自身の分身なんだよ。影も生きているのさ。申し訳ないが話しかけないでくれ。影が逃げちまう」
「影が逃げる?」
「そう。だから話しかけないで」
「影は逃げないでしょう」
「あんたは知らないだけだよ。あのね、このライトで影を消さないと、街灯ひとつひとつにできる影が次々に逃げるんだよ。影1人分で1日寿命が短くなるんだから、夜歩いたら、100日以上短くなっちゃうの」

(この男は危ない薬でもやっているんだろうか?)
 これ以上、関わらない方がいいと考えて、この場から離れることにした。
「わかりました。でも、階段の途中で危ないですから、早めに切り上げた方がいいですよ。じゃあ僕はこれで失礼します…」
「あああ!」男が素っ頓狂な叫び声をあげた。
「ど、どうしました?」
「君の影を見ろ!」
「え?」階段の街灯でできた僕の足元に伸びている自分の影を見た。すると僕の影は、足元から離れてヒラヒラと滑るように階段を上っていく。
「ええ!」
「早く追いかけろ!」男が叫んだ。
「これを使うんだ」男は自分のポケットから、さきほどのライトと同型のライトを取り出して僕に手渡した。
「スイッチを押してライトを照らして、影に当てて、影を消すんだ。寿命が縮まるぞ!」
「は、はい」影を追いかけた。僕の影は神社の境内に向って階段を進んでいる。ライトのスイッチを押すとライトが点いた。男が照らしていたライトよりも明るい。息を切らしながら階段を上がっていく。影は僕から逃げるように逃げる速度を上げた。
「くそっ!」(早く影に照射しなければ1日分の寿命が縮まる)
ようやく影に追いついた。ライトを影に向って照射した。
僕の影は、ライトの強烈な光で消えた。
(このあとはどうすればいいんだ?)
階段下の男に聞こうとして下を見ると、男は消えていた。
「どこに行ったんだ?」
「ここだよ」驚いた。いつの間にか僕の横に立っていた。
「うわ、びっくりした!」
「ほら、ライトを返してくれ」手を出した。
「もう、僕の影は大丈夫でしょうか?」と言って男にライトを渡した。
「バカめ…」男が冷たい笑いを浮かべた。
「え?」身体の力が抜けていく。もう立っていられない。
「簡単にダマされたな。影というのは魂なんだ。オレは人の魂を食って生きる化け物さ。このライトは魂を吸収する機械だ。お前はお前はここで死ぬんだ」男の声が頭の中で響いた。

僕は倒れた。階段の途中だったので魂のなくなった身体がズルズルと階段を滑り落ちていく感覚がある。一瞬だが夜空に浮かぶ月が見えた。

それも見えなくなると目の前が真っ暗になった。

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