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妄想邪馬台国「出雲に神の国あり 3」

「継体天皇のことは知っているよね?」異能が髪の毛をボリボリとかきながら呟くように言った。治子は「当然よ」というような表情をして頷いた。残念ながら僕には日本史も古代史も知識がないから天皇のことなんて明治天皇からしか知らない。
「継体天皇は、後継者がいなかった武烈天皇のあとに、請われて天皇となった。書記では越前を治めていたと言い、古事記では近江国を治めていたとある。応神天皇の5世の孫なんだ」
「“新皇”と称した平将門も、桓武天皇の5世の孫だったよね。5世の孫と言えばほとんど他人よね」と言って治子が笑った。


異能清春と水無月治子
稗田阿流牟

「でも、書記で越前、古事記で近江ってどうなのかね?」
「越前と近江は隣だからね。それに継体が大和に入るまでに、もの凄く時間がかかっているからなぁ」
「私は継体天皇こそ神武天皇だと思うのよ」
「いいねぇ、神武が九州から中国地方を通って、やっと奈良に辿り着くのと似ているからね」
「書記だって古事記だって、その大半は権力者たちに都合良く拵えた作り話だろうからね。継体天皇こそ始祖の神武にあてて神話を作ったってことも考えられるからね」
「ところで邪馬台国と継体天皇って、関係があるの?」
「魏志倭人伝が書かれたのは3世紀末の280年で、継体天皇は450年生まれで5世紀だからリンクしないね」
「約200年も差があるじゃないか?」
「だから何度も言っているように書記や古事記が正しいと思っているから齟齬が生じるのさ」
「日本書紀の編纂が始まったのが、天武天皇の時代で、それから40年を経た元正天皇の時代(720年)に完成しているのよ」
「継体天皇の時代に編纂された帝紀、旧辞という歴史書があるけど、それを稗田阿礼の読み上げによって記紀が書かれたと言われているね」
「へぇ、その帝紀と旧辞ってのは誰が書いたんだい?」
「よくわからないけれど、史(フミヒト)と呼ばれた渡来人らしいね。当時の日本には文字はなかったから、中国を経て朝鮮半島に伝わった文字で書かれたものだろうね」
「なるほどね。それは現存しているの?」
「いや、ないんだ」
「その後にね、推古天皇の時代(620年)に厩戸皇子(聖徳太子)と蘇我馬子らによって編纂された天皇記、国記、臣連伴造国造百八十部并公民等本記ってのがあるのよ」
「それは・・・」
「現存しないのよ。だって、乙巳の変の際に、馬子の息子の蝦夷が自邸に火を放って自害した際に燃えてしまったのよ」
「いや、国記だけは船恵尺(ふねのえさか)が持ち出して中大兄皇子(天智天皇)に献上したと言われているよ」
「あ、そうそう、そうだったわね」

平和荘の3人

異能は島根県(出雲)から福井までの地図を眺めながら「出雲から越前までは約500キロ、車でなら約6時間かかるけれど、船ならあっという間だね」と言った。
「だからどうしたの?」
「継体天皇が“越前か近江から来た”というのは、実は出雲から大和(奈良)までの経路だったのではないのかと思うんだよ。出雲から船で福井に入り、そこから陸路を近江から大和を目指す」
「その途中で様々な豪族が彼の行く手を阻んだ・・・」
「そうそう」
「それは、宮崎から筑紫(福岡)、安芸(広島)、吉備(岡山)、難波、河内、それからぐるっと紀伊(和歌山)を経てようやく大和に辿り着いたという神武天皇のような感じだね」
「そうそう」
「うーん・・・わけがわからないよ」僕は頭を抱えて唸った。

つづく

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