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妄想邪馬台国「出雲に神の国あり 5」

*見出し画像は「卑弥呼の死に悲しむトヨ」(AI生成画像)

「古事記や日本書紀ってのは実録なのかね?」僕は素直な気持ちで異能と治子に聞いた。すると異能と治子は呆れたような顔をした。
「さっきから言っているように、前半は神話だから完全な創作だよね。神武から推古までも大半が創作だと思われるけれど、創作の中には真実の欠片があるもんだよ」
「うん、そうだったね。しかし、あまりにも内容が残酷だからね」
「モラルの話をしているんだろう? 残酷な話が多いからね。でも、海外の神話や歴史だって酷いもんだよ。要は今のモラル感で当時を見ちゃダメだってことさ」
「うん、そうだね。戦争してた、つい最近までだって日本人のモラルなんて内も同然だったもんね」

「異能くん、稗田君に天皇家の残酷さを教えてあげればいいんじゃないの?」
「ああ、でも、それを話し出したらキリがないよ」
「いいじゃないか。あとで異能くんから日本書記を借りて読むから、その前に概要だけでも教えてくれよ」子どもが玩具をねだるような言い方をして、僕は異能の腕を掴んで揺すった。僕は読書嫌いだ。ただし、概要がある程度わかっていれば読む気になるかもしれないからだ。

「わかったよ、じゃあまず天皇家の系図を知っておこう」そう言うと、異能は書棚から“歴代天皇総覧“と”歴代天皇・皇后総覧“の2冊を取り出してコタツの上に置いて本の最後にある「天皇家系図」を開いた。

天皇家系図(初代の神武から26代の継体まで)

1.神武、2,綏靖、3.安寧、4.懿徳、5.孝昭、6.孝安、7.孝霊、8.孝元、9.開化、2代の綏靖から9代の開化までを“欠史八代”と呼ぶ、10.崇神、11.垂仁、12.景行(息子はヤマトタケル)、13.成務、14.仲哀(ヤマトタケルの息子、皇后は神功皇后)、15.応神、16.仁徳、17.履中、18.反正、19.允恭、20.安康、21.雄略、22.清寧、23.顕宗、24.仁賢、25.武烈、26.継体(応神の5世の孫)

「この中では、有名なのは景行天皇の息子ヤマトタケルと、仲哀天皇の皇后である神功皇后ぐらいだね」
「息子や奧さんが有名で、天皇その人が有名じゃないんだね」
「うん」
「僕には全然知らない人たちだよ」
「一般的には天皇って言えば、明治天皇以降だもんね」
「うん」
「でも、残酷な行為で有名というか、存在感が出てくるのがヤマトタケル以降なんだ」
「ふーん、どんなことをしたの?」
「まずヤマトタケルだ」
「うん」

ヤマトタケルは、大碓皇子(おおうすのみこ)と小碓尊(おうすのみこと)の兄弟がいる。小碓尊が兄の大碓に景行天皇の命を伝えようとすると、兄がその命に従わなかったことから、朝に厠(便所)から出てきた大碓を捕まえて手足を引き裂いて筵に包んで捨てた。小碓は怪力の持ち主だった。この小碓が、のちのヤマトタケルである。

景行天皇は小碓の怪力を恐れ、熊襲征討を命じ、自分に側から遠ざけようとしたのだ。しかし、ヤマトタケルは女装して気を許した熊襲兄弟を殺した。熊襲征討の帰りには出雲健(いずもたける)を殺してから大和に帰還するのだが、これも熊襲健殺しと同様に卑怯な手を使う。

女装したヤマトタケルが熊襲健を惑わす

ヤマトタケルは出雲に入り、まず出雲健と親交を結ぶ。それは熊襲健殺しと同じ手で“まず敵を油断させる”という卑怯な手段である。そのうちに出雲建の大刀を偽物と交換してから、大刀あわせを申し込む。偽物では太刀打ちできない。出雲健はあっさりとヤマトタケルに殺されてしまうのである。

大和に帰るとヤマトタケルは「東征」を命じられる。

日本刀っぽいけれど草薙の剣のイメージ

「ヤマトタケルは兄を殺し、熊襲兄弟を殺し、出雲健を殺した・・・ってことか?」
「そうだよ。東征中にも相模で相武国造らに欺されて火攻めに遭うが、草薙の剣で草を切り払って助かるんだけれど、相武国造らを殺して焼いちゃうんだよ。これも、何か卑怯な手を使って相武国造らを逆に罠にはめたんだろうね。火攻めに遭ったなんていうのも殺してから自分を正当化しようとしての言い訳かもしれないしね。それからもオトタチバナを殺しちゃう」それを聞いて治子が慌てたように異能の言葉を遮った。
「ちょっと、異能くん、オトタチバナはヤマトタケルのために身を投げたのよ」
「治子ちゃんは、そんなおとぎ話のようなキレイゴトを信じるのかい?」
「ちょっと、私は・・・」
「まあ、創作だから、殺しでも身を投げたってんでもいいんだけどね」
「ふん」治子は口を尖らせてコタツ布団に両手を突っ込んでブツブツ言い始めた。


「まあヤマトタケルが実在したかどうかもわからないしね。でも、海が荒れて船が沈みそうになって慌てたヤマトタケルが、無理矢理、オトタチバナを突き落として生け贄にしたかもしれないじゃん」

オトタチバナ

「それだけ朝廷のために働いたんだから13代目の天皇になってもおかしくないのに、結局、ヤマトタケルも大和に入る前に暗殺されるんだ」
「ま、暗殺よね、それは異論がないわ。景行天皇に疎まれてるんだから仕方がないしね」
「でも、やっぱり作り話の感じだね。女装したり、刀をすり替えたり・・・幼稚だよ。内容が嘘くさい」僕が正直な感想を口にすると異能も治子も納得したような表情になった。
「稗田君もやっとわかってきたね」
「その作り話だけど、残酷話の続きを頼むよ」
「残虐な天皇って言うと雄略と武烈だよね」
「うん、そうだね」

まず、20代天皇の安康天皇から・・・。

20代天皇、安康天皇は、雄朝津間稚子宿禰天皇(允恭天皇)の第二皇子。母は稚渟毛二派皇子応神天皇皇子)の女の忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)。木梨軽皇子の同母弟で、大泊瀬幼武天皇(雄略天皇)の同母兄。父帝が崩御すると、群臣の支持を失っていた太子の兄に替わって即位。石上穴穂宮に都を遷す。即位元年、根使主の讒言を信じておじ(大鷦鷯天皇(仁徳天皇)の皇子)の大草香皇子を誅殺。即位2年、そのであった中蒂姫を皇后に立てたが、翌年8月9日に連れ子の眉輪王に暗殺された。その後、弟の大泊瀬皇子が眉輪王を含めた多くの皇族を殺して後を継ぎ即位。

Wikipedia「安康天皇」より抜粋

「安康天皇は即位の年に仁徳天皇の息子・大草香皇子を殺しちゃう。讒言を信じて殺す・・・っていうのは言い訳でさ、常に自分の即位の邪魔になるから殺しちゃうもんだよ。安康の意思だと思うよ。でも、自分も大草香の子・眉輪王に殺されちゃうんだ」
「でも、その殺され方が疑わしいのよ」治子がコタツの上を叩きながら言った。

安康天皇が、大草香皇子の同母妹・草香幡梭姫皇女と安康天皇の弟・大泊瀬稚武皇子(雄略天皇)を結婚させようとした際に、大草香は承諾し、その印として宝冠・押木珠縵(おしきのたまかつら)を献上しようとした。しかし使者の根使主(ねのおみ)が宝冠を詐取し、それを隠蔽するために「大草香皇子は縁談を断ったうえ、刀を抜き怒った」と安康天皇に虚偽の報告をしたために大草香は暗殺されてしまう。

Wikipedia「大草香皇子」より

「草香幡梭姫皇女は、きっと、雄略天皇のことが大嫌いだったのよ。雄略は今のストーカーみたいな自分勝手な性格だったのね。キモチ悪い。それであとから雄略自身の都合がいいように話を作ったに違いないわ。もっとキモチワルイのは、大草香の妃だった中磯皇女をちゃっかりと奧さんにしちゃうんだから。雄略はこの中磯にも気があったんでしょうね。いや、もしかしたら本命はこっちの方で、いずれにしても邪魔な安康も大草香も眉輪王も殺して皇位に就く・・・げ、本物のストーカーだわ」
治子は雄略天皇のような人間が嫌いらしい。いや、治子でなくても誰もがそんな奴は嫌いだろう。

それから、安康天皇は、山宮に出かけて酒肴に興じる。中磯皇女(大草香の妃であり、眉輪王の母)に大草香皇子討伐を語り、さらに大草香の息子眉輪王への恐怖心を語る。それを聞いた眉輪王は安康が皇后の膝枕で休んでいる安康天皇を襲って首をはねてしまう。

安康天皇を殺してしまう眉輪王

「眉輪王ってのは、そのとき7歳なのよ。大人の首を斬るなんてできると思う?」治子がまたコタツを叩く。
「無理だろうね」
「だからね、すべて雄略天皇の陰謀なのよ

「眉輪王が安康天皇を殺した」ことを聞いた大泊瀬幼武尊(おおはっせわかたける雄略のこと)は、「眉輪王は皇位を奪う気だ」と考えて武装すると兵を挙げて、同母兄の八釣白彦皇子を殺害、続いて同じく同母兄の坂合黒彦皇子に詰め寄る。

眉輪王は大泊瀬に「父の仇を討つことが目的であり、皇位なんて望んでいない」と弁明するが、大泊瀬は信じない。眉輪王と坂合黒彦皇子は円大臣(つぶらのおおおみ 葛城円)の屋敷に逃げ込む。円大臣はふたりをかばって、大泊瀬に「娘の韓媛と葛城の領地を差し出して罪を償おうとした」が、許されず、大泊瀬は円大臣の屋敷に火をつけて円大臣、眉輪王、坂合黒彦皇子らを焼き殺してしまう。

「そもそも眉輪王に殺された安康天皇は、履中天皇の息子である市辺押磐皇子に譲位を望んでいたのよ。このことを根に持っていた雄略天皇は、眉輪王殺しのあとに近江に市辺押磐皇子を猪狩りに誘い出して殺しちゃうの。殺したあとに市辺の体を切り刻んで馬の葉桶に入れて土中に埋めたのよ。安康殺しだって雄略が殺して、幼い眉輪王に罪を着せたのかもしれないよね」
「ヤマトタケルが兄を切り刻んで埋めてしまう話に似ているね」僕が素直に感想を口にすると異能は「だろう? ヤマトタケルと雄略を重ねて考える研究者もいるんだ」と言って笑った。
「播磨の国風土記には“一時は市辺押磐皇子が皇位に就いていた”との記述があるので、安康に続いて市辺天皇(仮称)まで殺して自分が皇位に就く・・・って、まったくひどい話だよ。雄略ってのはそんな奴だったんだろうね」
「もっと酷いのが武烈天皇なのよ」治子がまたまたコタツの上をガンガンと叩いた。

つづく

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