見出し画像

グレイヘアってなんだよ

白髪を染めるのをやめて1年半くらいになる。
30半ばから白髪が目立ち始め、かれこれ10年くらい白髪染めし続けてきた。

しかしあの髪が伸びてきて根元が白じろとするのがほんとうに嫌で、ああまた染めなくちゃ、というのは実に暗い気持ちだった。

もう染めるのやめようかな、と思ったきっかけは、ただただめんどくさかったからというのもあるけど、あるとき何気なく前を行く女性が振り返ったとき、ぎょっとしたから。10代か20代か、というファッションだったが振り返ると自分ぐらいだったのでたまげた。べつにいいけど。いいけど、加齢をなかったことのようにして、若く見せようとするそのことがなんか滑稽で悲しくてへんだった。

若さは価値だ。
誰にも平等にあって、目減りしていく財産だ。
保ちたくても、指の間から砂がこぼれていくように年をとっていく。
新陳代謝も衰え、あちこち不具合がでて、くすんでいく。
そしてやがて消えていく。
それが繰り返されてきた自然だ。

ああなんかもう染めるのやめる。しばらく黒白茶のまだら頭だったが、それはなんだか猫みたいだった。毛色の変わった動物だ。おもしろかった。

これまでも、産後授乳してて食べても食べても吸われてげっそりしていた自分を深夜の鏡で見て、ああ、なんかメスのコヨーテみたいだなと思った。コヨーテがどんな動物か知らないけど、人間らしさが薄かった。

しかしすっかり白髪のごま塩頭になってみると、まぎれもない人間の老人だった。鏡で自分を見るたびに、その「年寄り感」にぞっとした。

ああやばい。外見に中身が追いつかない。そう焦った。

年寄りというのは「年の功」で賢いものだ。
若さと引き換えるように知恵と経験が蓄積されているものだ。
今の自分に、見た目の年寄り感に見合うそれがあるか?

これまでの仕事や暮らしは主に「子どものような」資質で成り立ってきた。
子どものように無邪気に、無責任に、あつかましく
それはなんでですか?それはこうじゃないんですか?
と言い放つことが、世のちゃんとした大人たちには新鮮だったのだろう。
しかしもう年寄りだ。
年寄りはすべてにおいて老練な理解を示し、「それはじゃな・・・」と応えなくてはならない。やばい。

なんか焦って本を乱読してみた。知ったかぶりもしてみた。
ちゃんとした年寄りになろうなろうと背伸びをしたが疲れた。
そんなキャラじゃない。

多分死ぬまでクソガキだ。なんでーどしてーとややこしい老人だ。
もう仕方ない。とはいえ多少知恵のあるクソガキになるよう努力しよう。
今はそんな感じで落ち着いている。

先日ある登山用品店にてちょっとした買い物をした。
レジにて会員証を忘れた旨をやりとりし、生年月日でポイントを登録してもらった。
そしてレジのお姉さんに
「アクティブシニア対象のかたですか?」と爽やかに聞かれた。
レジのところのPOPには
「60歳以上のアクティブシニア 15% OFF」とあった。
「・・・・いいえ・・・・」
帰宅してオットに話すと
「なんでそうですって言わなかったのー!15パーOFFになったのにー」
・・・・・
どうせ年寄りだと思っていても、いざとなったら「いいえ」と言っちゃうのがなんかへなちょこだ。まだまだじゃの・・・

なので
「あらーすてきなグレイヘアですね」とか言われるとちょっといらっとする。
「今流行りの」「グレイヘア」
加齢を、前向きにとらえる自然体でイキイキした素敵な女性というイメージで簡単にくくるその言葉がきらい。

そこからはみ出すものと日々折りあいながら暮らしています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?