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みるみる育つもの

大型連休に突入した。毎日の弁当作りから解放されてほっとしている。

この春高校生になった息子は、新しくできた友達たちと遊んでくる と朝早くから自転車で出かけていった。

「新学期からいろいろがんばったから疲れてるでしょ、連休はゆっくりしんさいね」
「なにその親切・・・こわいんだけど」
連休明けは中間テストだろとか、提出物はちゃんとやってんのかとか、いろいろ言いたいことを飲み込んだら恐れられた。

勉強しろ、ちゃんとやれ、と言ってやるもんなら百万遍だって言う。
いや、言ってきかせればわかる、言ってやらせなくてはと
実はずっと思っていた。
でもそうじゃないことがわかったのはそんな昔じゃない。
なんでやらないの、どうしてどうしてと激昂したある日
「じゃああんたはかあちゃんにどうしてほしいのよ!」

「・・・おいしいごはんをつくってほしい・・・」

息子は泣きべそかきながらそう言った。
息子の将来やたしかな能力や生きる力や、心配して育てたいと思っていたことが急にガラガラと崩れた。
そんなんでいいんだ・・・・
やさしい子だから、かあちゃんの機嫌を損ねないように、いろいろ気を遣ってくれていたけれど、うるさかったんだね。

中学卒業した春休み、とうとう自分の携帯電話を持つようになった。
わたしのお古のiPhoneをWi-Fi環境下で使ってはいたから初めてではないけれど、続々ケータイデビューした友達とLINEでつながっていくようになり、みるみる表情が大人びていった。
それはまるで、ナウシカに名付けられた巨神兵のようだと思った。
友達とコミュニケーションをとるたびに自分を見つけていくようだった。

長いこと洗面台でドライヤーを吹かすようになった。
雑誌を見ながら筋トレするようになった。
いろんな服をとっかえひっかえ着るようになった。

そういうちょっとした「あら」っていうのが日々の随所にあって、知らんぷりしてるけど実は大変おかしくて愛おしくてたまらない。

どんどんできるようになっていくのを見るのはいいもんだね。
自分はどんどん、できなくなっていくんだけどね。

中学卒業する頃から某通信教育会社の宣伝DMがばんばん送られてきた。
マンガや見本やありとあらゆるものがフルボリュームで届いた。
親宛のを読んでみたら「大学入試が変わり対応が急務だ」とあった。
高校入ったばかりなのにもう大学入試の話かよ・・・
過酷な競争につぐ競争のその先にまた競争があって
うかうかしてたら負けてしまうという不安があって
安心のためにお金を支払う仕組みがうまくできている。
「ラストチャンス!4月号が届くのは4/25お申し込みまで!」
というDMの後に
「好評につき締め切り延長!」というハガキが届いた。

この先息子はどうなっていくのだろう。
どんな時代をどうやって生きていくのだろう。
ちゃんと幸せになれるだろうか。
先のことを考えていたら不安しかない。
だから心配で息子に関わるのは、実は依存でしかないのかもしれない。

ちゃっちゃと新しい制服をきて、さっさと学校に行く息子を見ていたら
息子はもう大丈夫だ、と思った。むしろ自分が心配だ。

おもしろい息子を眺めながら、くだらないことを話して笑える残り時間はどのくらいかな。たくさん話をしたいなぁ。

そんなことを、パジャマのまんま昨夜の残りの豆ご飯を食べながら一人考えている。

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