戦友のような人

あの坂爪圭吾さんが、(とうとう)姉のいるイタリアに会いに行ってくれた!!と思うだけで、今でも信じられない最高の気持ちになる。

姉とは数年前からラインで、いつか坂爪さんと会えるといいね、とか、坂爪さんの文って面白いよね。
ご本人はそんなつもりで書いていないのだろうけど時々笑っちゃう部分がない?とか、そんな話をしていた。
姉と私とで話すことは、不思議なことにまず現実になる。
いつかお話会みたいなことがやれたらいいね、そんな話をしていた頃姉は「そんなことがあるわけないよ〜」と言っていたのに!
姉には小説家の吉本ばなな先生とお仕事をさせて頂く機会があったり、本当に信じられない奇跡ばかりが起きていた。

坂爪さんは姉の自伝を読んでくださり、私が姉の妹だと知らずにある日突然私にメッセージを下さり、是非読んでみてくださいとおすすめをしてくれたのだ。その時に私は坂爪さんに、ミユの妹なんですとお伝えしたら「どこかミユさんと同じにおいがした」というようなことを言っていた。
「さすがだな・・・!坂爪さん」と私は思った。
(野生動物が突然、風向きが変わったのを感じとって首を動かす姿と似ているなと思った。その当たり前に備わった動物的なカンみたいなものが鋭い男だぜ!)

坂爪さんは姉のあのハチャメチャというか一生懸命というか、うまく言えないけれどあの姉そのものの姿を好きでいてくれた。私はそれがすごく嬉しかった。姉のことをいいなと思ってくれている方々はきっと同じ思いで姉を見ているのだなと思った。

坂爪さんはイタリアから帰国してからすぐに保科さんという男性と一緒に、私に会いに来てくれた。
メッセンジャーで坂爪さんが連絡を下さり、一昨日町田のスタバまで来てくださいました。

坂爪さんは、数年前お会いしたままの坂爪さんで、保科さんは姉から聞いていた通りの保科さんだった。(保科さんはとても優しくて謙虚なお方だと聞いていました)
坂爪さんたちは、私ばかりがしゃべくっているのに優しい笑顔で話を聞いてくれた。若いお兄さまたちがオバハンの俺の話に耳を傾けていてくれている・・・!(かいしんのいちげき・・・!笑)
私が坂爪さんたちにお話ししたことは、ライダースジャケットを着て長女の通う中学校にバイクで行って乗り込んだこと(当時長女はいじめにあっていたので)、バイク教習の時にバイクを倒してしまったことが恥すぎてテンパって、何故か踊り始めてしまったこと、そんな馬鹿な話をしただけだったけれど、坂爪さんと保科さんは「生きていてくれてありがとう」と私に言った。何もお礼を言われるようなことことじゃないのに!!こんなような話ならまだまだ腐るほどあるけれど、そんなにお礼を言われるようなことなのかな!?わからないけれど、私はとても嬉しかった。笑ってくれる人がいるって、本当に幸せなことだ。
人生に必要なことは、きっとたくさんある。だけど、あまりないのかもしれない。矛盾しているけれど、必要なことと不必要なことは同じくらいある気がしている。
姉や坂爪さんたちと話すと、本当にただどんな姿でも生きていればいい、シンプルにそれだけでいい、と思える。これって、すんげーーことだと思う。
私にもなにか資格が必要かもしれないわ、寛容さが欠けているわ、だとか、私って意地悪なのね、だとかそんな思いを一切することがなく、ただありのままの自分でいることが出来る。そのありのままでいて坂爪さんたちにたとえば何かドン引かれても、坂爪さんたちだもん、それ含めて人間、我ら地球兄弟って思ってくれるだろうな!という安心感がセットでついてくる。

人生に必要なこと(もの)は、逆立ちすること、失敗を笑い飛ばしてくれる人、あとはなんだろう?
まだ模索中の俺だ。

私と姉は姉妹であり家族だけど、ものすごい昔からの友人のような感覚もある。
私は姉と似ているところはあるけれど、全然違うところもあって(労働することができます!笑)、でもやっぱり兄弟ぇだなぁ!と思ったりもする。
戦場は違えど、俺らは違うところでそれぞれ頑張ってこうな!!遠く離れているけれど、見る星空は同じだぜ!みたいな深い深い絆がある。

坂爪さんと保科さんにもどこか同じような感情が芽生えて、(色々それぞれ、、ホント色々あんけど生きような!みたいな気持ち)ではまた会いましょう!という感じでお別れをした。
私は女だからちょっとだけ、「もう、お前たちばかやろう!でも行ってらっしゃい」みたいなお母さんの気持ちもありつつ、それぞれ夕方5時頃ズラかった。

坂爪さん、保科さん、あお元り気がとでう!(ありがとう、お元気での同時発言)





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