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■人間関係に活かす強みの心理学〜第1話「自分を活かすには自己中心的になる!」

クニです。

今回からは、【人間関係に強みを活かすための心理学】について3話のシリーズでお伝えしていこうと思います。

人間関係というものを気にしてしまうあまり、強みを活かせなくなるということは、よくあります。

そんな時、どのような対応が必要になるか・・・ということが、このシリーズの主眼なのですが、多くの人がぶつかる壁でもありますので参考にしていってくださいね。

【強み】というものを簡単に説明すると、脳構造やその他の特性によって、その人が努力や訓練なしに、いきなりできてしまうもののことを、強みと言います。

本人は大したことはないと思っているけれども、周囲から見れば突出した能力です。

これに対して【能力】とは、努力と訓練によって、社会生活を上手に送るために身に付けたもののことを言います。

ほとんどの人は、能力を使って社会をうまく渡っていこうとします。

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それも良いのですが、できれば最初から備わっているものをうまく使って、自分らしく生きていきたいですね。

でも、こうした強み、オリジナリティ、個性、資質(強みは資質の1つです)を活かしてやっていこうとすると、何か1つ2つは、抵抗するものが出てくる。

抵抗の1つが、人間関係です。

■人間はなぜ、誰かと何かをしようとするのか?

人間というのは、誰かと一緒に何かをやろうとする、群れを作る動物です。

これは人間の心理うんぬんというよりも、生物としてのメカニズムに組み込まれている、完全に自然なことで、よほど山奥に住んでいる仙人でない限り、誰かと関わりながら生きていきます。

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なぜか?

そこには『コストの心理』があります。

よくベッドメイキングに例えられるのですが、一人でベッドメイキングをすれば、我慢も手抜きもせずに好き勝手にベッドを整えることができますよね。

でもこれを2人でやると、なんでも好き勝手にはできないけれど、早く、きれいにできる。

生産性が高まるわけです。

だから、人が人と共同作業をするのは、効率や効果、あるいは人といると心地良いという理由もありますが、そういったもろもろの効果を求めてのことで、人にはそのメカニズムが備わっていると言われています。

ところが、最初は一緒にやったほうがうまくいく、心地良いという理由で、誰かと共同作業をするけれども、一緒にやる人の数がどんどん増えていって収集がつかなくなると、生産性が下がり、うまくいかなくなります。

そこで人は、集団がうまく回るようにルールを決める。

しかしそのルールが、オリジナリティや強みにとってはマイナスになりうるものだということも現実です。

自分のオリジナリティを我慢して、ルールのために頑張ってしまう。

「ルールを遵守しなければ相手にどう思われるか」ということが気になって、自分の意見や気持ちを出すことができない。

こうした行動が結局、人間関係の不整合や不都合を招いてしまう。

人間関係をうまくいかせるためのルールが、いつの間にか足を引っ張ってしまうわけです。

集団の中で本来の自分をうまく活かせれば良いですが、本来の自分を活かすとルールに抵触してしまう、あるいは他の人から「なんだよ、あいつは!」と言われてしまう。

「おまえの態度、直せよ」なんて言われたら、やる気もたちまちなくなってしまいますし、何より、みんなが気持ちを1つにして生産性を高めているのに、自分一人がワガママを言っていることで「自分が悪かったのではないか」と思いはじめます。

こうなると「これはいけない」ということで、たちまち人は自分の態度を修正しようとする。

すると当然、個性、オリジナリティが死んでしまう結果になります。

■個性やオリジナリティを活かすには「自己中心的」な態度が必要

ハッキリ言いましょう!

個性やオリジナリティを活かして生きていくために、自己中心的になる必要があります。

『自己中心的』と言うとネガティブなイメージを持つかもしれませんが、必ずしもネガティブなことというわけではありません。

自己中心的とは、自分が、自分の人生や自分自身をうまく運んでいくために何ができるかを、真剣に取り組む、考える、ということなのです。

■自分を殺させる心理的メカニズム『認知欲求』

人間には色々な心理がありますが、そのうちの1つが、認知欲求です。

認知欲求とは「人から認められたい!」「人から認められないと、やっていけない!」という心理のことを指します。

中には「他人の意見は関係ない。自分で自分を認めていけるかどうかが大事だ!」と言う人がいますが、これは建前。

試しに、作為的に誰にも認めてもらえない状況を作り、その状況下で自分は大丈夫という信念を持って頑張ってみてください。

必ず、いつか破綻します。

人は誰かに認めてもらわないと、絶対に生きていけない生き物なのです。

ルールに抵触しているとか、人からどう思われているかということを気にすると、いいこともあります。

それは、人から否定されない、ということです。

「お前は間違っている」「ちゃんとしろよ」「ワガママだよ」とか、言われないで済むということです。

またさらに、「できがいい」「みんなのお手本だ!」などと言われてしまうことさえもあります。

ただ、その『できがいい自分』『お手本になれる自分』というのは、本来の自分を活かした結果ではなくて、ルールをきっちりと守った結果なんですね。

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自分の意見を言わずに飲み込んで、みんなをまとめるために我慢もして、なんとかみんなでうまくやっていうこうと和を尊ぶ姿勢を見せた結果だったりします。

自分を殺しているわけです。

自分を殺した結果、それが認められ始めると、まずいことになります。

人は「なんだ、これでいいんだ!」と思ってしまうからです。

認知欲求だけではなくいくつかの心理メカニズムが重なった結果『自分を殺す=良いこと』と勘違いをしたまま人生をどんどん前に進んでしまう状況が起こります。

そうはいっても、「人に気を遣わないとまずいんじゃないの?自己中心的だけに走ったら何もうまくいかないでしょ?」と思うかもしれませんね。

安心してください。そのとおりです。

人の顔色をうかがうということと、気を遣うということは、全く一緒ではありません。

人の顔色をうかがうというのは、自分を殺すことが前提になっています。

「自分はどうでもいいから相手をどうにか気持ち良い状態にしてあげなくてはいけない」という状況ですね。

それは結局、自分が人から悪く思われるのを避けよう、そのために人がどう思っているかを気に掛けようという話です。

気を遣うというのは、そうではなくて、相手も自分も、双方を両立できているかどうか。

誰かが生かされることによって、他の誰かが殺されることがないように振る舞う、ということなのです。

すなわち、自分が自分を立てていないと、気を遣うという状況は成立しません。

反対に、相手も一人の人間として、相手自身を尊重することができていなければならないでしょう。

あなたが自分を立てていても、相手が相手自身を立てていない時、あなたが「それは間違っているよ」と言わなければならないこともあるかもしれません。

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もちろんそれを言えば不和や争いが生まれることもありますので、口に出すかどうかは別ですが、気遣いをするにあたってこのような視点を持ち続けておくことは非常に大切だと言えます。

■成功するとやめられなくなる心理的メカニズム『一貫性の法則』

認知欲求の他に、自分を殺してしまいかねない心理的メカニズムには『一貫性の法則』というものがあります。

人間には何かをする時、必ず「うまくやろう」とする心理が働きます。

意識的にも、無意識的にであっても、自分が自分を立てることができていても、自分を殺してみんなとうまくやろうという姿勢であっても、いずれにしてもとにかく、うまくやろうとするのです。

当然、認知欲求もありますから、人から認められるようにうまくやろうとする心理が働きます。

自分を殺して行動した場合、人の顔色をうかがって、みんなと仲良くうまくやる、それが成功するように振る舞うわけです。

これが失敗すると、まだいいのです。

「みんなの顔色をうかがって、がんばっても、何もうまくいかないんだ……」という学び、気づきになりますからね。

問題は、うまくいってしまった時なんです!

顔色をうかがうことがうまく成功し、他人から認められ、お礼を言われたり、お金が入ってきたり、「あなたのそういうところが好きだよ!」なんて言われてしまったりすると、あなたは思うでしょう。

「なんだ、これでいいんだ!」「すばらしく、いいことをしたぞ!」

・・・となると、この状態を維持継続しようという心理が働くようになります。

うまくいったことを維持継続しようという心理は、うまくいったことに対しては、どんな場合でも働くようにできています。

したがって、自分ではないものを基準にした成功体験であっても、どんどん続けたくなる、やめられなくなる中毒性があるのです。

では、この状況下で本当の自分はどこへ行ってしまったのか?

このように考えた時、自己正当化が始まります。

「何を言ってるんだ、こうやってみんなに良い影響を与え、こんな成果を出している自分は素晴らしいじゃないか」

「見ろ、自分のことを素晴らしいと言ってくれる人が200人もいるじゃないか。こうやって人に合わせ、気遣って生きる素晴らしい人間が、本当の私だ!」

と、なってしまうわけですね。

正当化が正当化を呼び、さらに強化され、うまく成功した状態を継続し、ずっとやってやろうという心理が働くようになる。

これが『一貫性の法則』です。

一番わかりやすいシチュエーションが、会社です。

企業戦士などという言葉もありますが、自分の人生を生きずに会社のために生きているけれども、それこそが自分自身なんだという認識をしている人がいるわけです。

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ところが、例えば交通事故にあって入院したりして、数ヶ月してなんとか職場に戻ると、「君がいない間にもう席ないよ」なんてことになったりする。

じゃあ、「この会社に尽くしてきた自分は何なんだ」ということになります。

ある程度成果を出していたから、自分ではうまくいっている気になっていたんだけれども、それは認知欲求と一貫性の法則に負けて、人の顔色をうかがって、自分を殺していた結果であって、残念ながらそれは自分ではなかったのですね。

親の人生を生きている、というケースもあります。

お母さんが期待しているからバレリーナになろうとか、そういった生き方もありますが、逆に親に反発、反抗するという生き方も、親の人生を生きているということになるでしょう。

「親がああいうから、ああはならない!」というのは、親の基準で動いているわけですから、親に支配されている状態に他なりません。

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「親に認めてもらいたいから、親に認められるために行動する・・・」というのも、基準が自分自身ではなくて親ですから、こうした行動は気付いてやめることが大切です。

逆に自分が親の立場になった時に、子どもの人生を生きてしまうこともあります。

過剰な教育ママになってしまったり、自分の期待を子どもに反映しすぎるというのは、子どもの人生を生きている親の典型例ですね。

友達や同僚というパターンも、もちろんありますよ。

例えば飲みに行くとか、行かないとか。

今日は本当は帰りたいのだけれども、同僚の誘いを断ったら次に誘われないかもしれない、自分だけ協調性がないと言われるかもしれない、相手から認められなくなる、それが嫌だから飲みに行くのを断れない。

どれも、人の目を気にして自分を活かすことができないパターンです。

そこから抜け出すためには、一度思い切って、自己中心的に振る舞うようにする必要があります。

自己中心的に振る舞うというのは、相手を立てると同様に自分のこともきちんと立てるということ。

自分を殺すのではなくて、誰かが生かされることによって、誰かが殺されることのないように振る舞う、ということですね。

ところで、自己中心的に振る舞うことには、やはりある程度の妨害がつきまといます。

その妨害がどんなものであるか、そして、どのようにしたら妨害を乗り越えることができるのか・・・については、また次回以降お話していきますね。

楽しみにしていてください!

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