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【#一日一題 木曜更新】あの頃の自分のために

山陽新聞の「一日一題」が大好きな岡山在住の人間が、勝手に自分の「一日一題」を新聞と同様800字程度で書き、週に1度木曜日に更新します。 

 むすめがヤマシタトモコさんの『違国日記』を読み始めた。彼女は主人公の朝と同年代で、「自分って何?」と高校卒業後の進路に悩むのもまさに同じ。作中のジェンダー問題や親子・友人関係、恋愛観についての細やかな描写を読み「なんか、いちいち本当すぎてきつい」と妙に率直な感想を漏らしていた。
 朝やえみりやクラスメイトたち、実際の高校生がこんなにも大人びた言葉のやりとりをするかというとそこはやはり創作の世界かなと思う。けれどむすめが言う「いちいち本当すぎて」は、やはり登場人物のセリフの中にリアリティさが色濃く表れている証拠。朝やえみりが、物語の中でむすめを含むティーンエージャーの機微を代弁しているのだろう。
 
 そして10月中、私の頭からずっと離れない言葉があった。
 重松清さんの講演会で聞いた「(大人になった)今なら言語化できる」という言葉だ。
 
 重松清さんの小説『きよしこ』の主人公きよしは吃音症を持つ少年で、モデルは吃音で苦しんだ子ども時代の重松さんだ。『きよしこ』は子ども時代の自分のために、そして吃音症で苦しんでいる子どもたちのために書いたと言っていた。
 現在、重松さんは左の脇の下に右手を入れ、手のひらをギュっと押さえることで吃音にならず話せているという。
 「ココ(左脇の下の手のひらのあたり)には子どものオレがいる。50年前の自分のもやもやが今なら言語化できるんです」
 作家の仕事は、そのもやもやを探り続けることだと言っていた。
 
    最近、私はこうして書くのが面白い一方で「こんなもの残してどうするのか」と考えることもあるが、重松さんの言葉を聞き、そしてむすめが気まぐれに私の本棚にある本を開く様子を見て少し思い直した。
 私が感じたことを書き残しておきたいのは、色んなことに対してくすぶっていた「あの頃」の自分のためなのかもしれない。あの頃の渦巻いていた嘆きを、大人になった今なら少しはうまく書き起こせるかもしれない。
 
 「あの頃の自分のために」
 人のためではなく自分のため。まだもう少し、書くことを続けてみよう。そしてやはり、いつ消滅するかもわからないweb上ではなく、いつか自分で綴じて形にしよう。
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 

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