「先生」に求められる役割

「人間が行う仕事の約半分が機械に奪われる」

数年前、そんな衝撃的な予測が、英オックスフォード大学でAI(人工知能)などの研究を行うマイケル・A・オズボーン准教授によって発表されて話題になりました。
それ以来、消える職業・なくなる仕事というテーマでこれからのキャリアについて語られることが多くなったように思います。当時は無駄に危機感をあおるような風潮もあり、人のキャリアに関わる身としては多少の違和感を感じることもありましたが、今後の流れとして欠かせない論点であることは間違いなく、コンピューターの技術革新がすさまじい勢いで進む中で、これまで人間にしかできないと思われていた仕事がAIやロボットなどの機械に代わられることは間違いありません。もう一歩踏み込んで考えると、職業自体がなくなることはなくても、求められる役割が大きく変わるケースも増えるのではないかと考えています。

様々な職業がある中で特に、私が個人的な体験も含めて役割に大きな変化が起こるだろうと予測しているのが、「先生」という職。

私は、娘が小学校に入学したくらいでしょうか、環境的にも色々と思うところがあり、子供に対する親の影響について考察した時期があります。そこで見えてきたことの一つがオトナとの関わり。核家族化が進行した現代の子どもの教育環境において、オトナとの関わりを紐解いていくと親と学校の先生の依存度が非常に高いことが見えてきました。

まず私が感じたことは、親の支配下にある密室で子育てをしていても親を超えることはないだろうということ。私は基本的に自己肯定感が低いタイプなので、子どもには自分のような生きづらい人生ではなく、もっと自由で自信に満ち溢れた人生を送ってほしいと考えていました。

もう一つ、私が考えたことは学校の先生について。先生は絶対的な存在であることを求められており、さまざまな問題が発生したときに親や世の中が先生に求める期待が過剰だと感じていました。少なくとも私が見てきた世界において、教員を目指す人の多くが、高い志を掲げてのことというよりは、単なる職業選択の1つというケースが多く、消極的な理由が大半でした。もちろん。中には高い志をもって先生を目指し、実際に先生になった人もいますが。

この二つの観点から、私は娘に対して学校の先生に対する過度な期待は排除することと、その字が語っているように「先を生きるオトナ」との接点を増やすこと、を実践することにしました。

信頼できる後輩に紹介してもらって定期的に勉強や遊びや悩みに付き合ってもらった大学生のお姉さん、地元のプレーパークで一緒に泥にまみれて本気で遊んだボランティアのお兄さん・お姉さん、地元の児童館が主宰する演劇ワークショップで出会ったプロの役者さん、唄を習い始めたことで出会ったプロシンガーを生徒にもつプロトレーナー、素晴らしいコンセプトを掲げた塾の講師の方々など。

私の知らない世界で活躍する「先を生きるオトナたち」と娘との関わりをみて感じたこと、それは先生に求められる役割が大きく変わりつつあるということ。

もはや、ストックされた知識をトランスファーするだけの存在は代わりがきくし、ましてやそのストックの更新を怠っているような先生であった場合は
むしろマイナスになりかねません。中学生になった娘は、授業のノートをiPadで記録し、必要な情報はGoogleで検索し、夏休みの自由研究はPPTでレポートを作成しています。素晴らしい動画教材やアプリも数多く転がっています。

では、先を生きるオトナとしての学校の先生はどうでしょうか?実際に娘の小学校時代にも、いじめや学級崩壊など、教師の対応が問われる事件が散見されました。素晴らしい先生に出会えた一方で、残念な先生がいたこともたしかです。

これから先、国語・算数・理科・社会といった何か(科目)を教えるだけの先生は、不要な存在になり、本当に求められる存在は、「先を生きるオトナが背中で生き様を見せること」なのかもしれません。

先日、スポーツコメンテーターの為末大氏が、侍オフィシャルサイトで公開している『私のパフォーマンス理論』シリーズの中で、自分が親から受けた影響について語っている記事があります。

http://tamesue.jp/blog/archives/think/20190121

サラリーマンと専業主婦というごく一般的な家庭に育った為末氏ですが、
その両親の子育てには

「子供を個人として尊重する」
「子供の成果に淡々として一喜一憂しない」
「他人の話を感心しながら聞く」

という3つの特徴があったと言います。

そして

「私なりの結論は子供が才能を持っていると思った時点で
一番いい親の態度は、自分の人生に集中することだ。

目標を持てと言っている親自身に目標がないこととを、
子供はすぐ察知する。

負けるなと言っている親が、
ちゃんと勝負しているかを子供はちゃんと観察している。

だから細かいことは言わずに、
このように生きてほしいという生き方を
自分の人生で生きて見せるのが一番いいように思う。」

と結論づけています。

これは、親が子どもに何かを教えるのではなく、親が自分の人生を生きることで「先を生きるオトナとして背中をみせろ」ということだと解釈しました。

そして、自分の背中で生き様を伝えられる親以外の大人たちこそが、子どもの成長に大きな影響を与えてくれる存在であり、自分たち親にできることは、そうした大人たちとの接点をできるだけ増やすことで世界を広げることなんだと、この為末氏の記事を読んで改めて確信しました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?