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立ち上げまでの道のり

※noteへ移行により、この記事は2022年7月12日書いたものでございます。
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はじめまして。NOMAD WEDDINGの國井です。
年明けくらいから本格的に構想を練って、準備をして、ようやくローンチ・・!

ウェディングプランナー人生第二章が本格的に始まるんだと、ワクワクしています。
多くの方に・・!というよりかは、ご縁のあった方々が心から満足いただけるような結婚式・結婚式準備期間を過ごしてもらえればという思いで深く向き合いたいと思っています^^


まずは、自己紹介

1992年 静岡県生まれ、千葉&フィリピン育ち
(母がフィリピン人でハーフなんです)

性格・特徴
・おそらく根がフィリピン人。人見知りあまりしない。
・フットワーク軽い。
・何事も決断が早め。直感型。
・浪費家。モノよりコト(経験)にお金かけちゃう。
・時短のために同時に複数のことをやりがち
・ショートスリーパー。5時起き。
・ハマると同じものを永遠と聴く、見る、愛でる

好きなもの・こと
・自然、温泉
・飲食店開拓(食事に合わせて美味しいお酒飲むのは至福)
・気づくとリサーチ(最新のホテル・旅館・観光スポットとかよく調べます)
・あえて忙しい合間を縫って友人と会う時間
・推しのライブ
・フォントフェチ

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ざっくりと。自分のパーソナルな部分って聞かれればなんでも話してしまうのだけど、自らいろんなこと話すのは需要を感じられず苦手です(笑)
どちらかというと、人の話を聞いている方が楽しいタイプです。

ブログなんてものは久しぶりすぎてどんなテーマで書こうか色々悩みましたが、初めての記事ですし、今まで、仕事について大々的に発信したことがないので、会社立ち上げに至った考えなどを思うままに書いていこうと思います!


駆け足で入社から退職までを振り返る

私は高校卒業後、進学せずフリーターに。のちに東京へ引っ越し。
21歳のとき、周りが就活モードになりはじめ、私も焦って就活モード。笑
若さゆえ、華やかな場には興味があり、どの職に就くか考えた時にふと浮かんだのがウェディングプランナーでした。

ありがたいことに就職することができましたが、当時は学歴がない自分にコンプレックスを抱えていたこともあってとにかく仕事に没頭!
夜な夜な作業したり、休日も仕事や勉強に多くの時間を使っていました。
ポンコツで失敗した記憶ばかりですが、新郎新婦と接する時間がとても好きでプランナーの仕事は楽しい!と徐々に思うようになりました。
26歳くらいになると、もう一歩踏み込んで物事を考えるようになりました。
会社の存在意義、結婚式の本質、ウェディング業界の仕組み、プランナーの在り方、ウェディングビジネスについてなどなど・・
同時に自分の人生についても考えるようになり、仕事自体は好きだけど、あまりにも会社に時間を捧げすぎていてこのままで良いのかと・・
そんなことを悶々と抱えながら過ごしていた時、パンデミックが起きました。
立場もあって、緊急事態宣言中もほぼ毎日会社に向かい、対策や対応に追われていました。
キャンセル料や式場の対応について折り合いがつかないニュースを見たり聞いたり、実際私もお客様とそういったお話をさせていただいてたので、本当に心苦しい日々で。。。

プランナーは、新郎新婦の一番のサポート役であると同時に、一会社員でもあり。そのため新郎新婦だけのことを考えた対応はできず、会社の判断に従うしかないんですよね。
かと言って、プランナーは何もできないかというと、個人的にあの頃思ったのは、上の方との関係性や新郎新婦との関係が築けていれば、少しでもやさしい対応に繋がると感じました。結局は人です。

しかし、プランナーって本当に多忙で。新郎新婦と理想的な関係を築ける人って実際少ないと思うんです。
冷たい言い方をすると、会社というのは経済活動が目的なので、効率よく回し利益を立てようとします。
1日に何件もの打合せをこなし、限られた時間の中で決めなければいけないことを話し合い、そんな中で新郎新婦と良好な関係を築かなければいけない・・20代そこそこで完璧なコミュニケーションを取れる人というのは稀だと思います。
(プランナーのコミュニケーション能力については、また後日お話したいなと思います。)

少し脱線してしまいましたが、”結局は人です”というのは、いかに個人の力が大切かというのを学んだ機会でもありました。

個人の力というのは、会社にいるだけでは育つものではない考えています。
私は幸いにも、人に恵まれていて20代前半の時にプライベートでメンターになるような女性と出会い、人生変わりました。(大袈裟ではありません。笑)
仕事はもちろん第一優先で行うが、プライベートで得られる経験というのも個人の魅力につながっていくんだと知りました。

ウェディングプランナーは個人の力を高めていかなければいけない職種だと捉えていて、豊かな考えや知識を持ち合わせないと、新郎新婦を満足させられる提案や時間の提供ってなかなか難しいのかなと。(会社のお勉強会で学ぶことだけを覚えていても個性がない)
そんな風に思っていたので、休日が取りづらい中でもプライベートを充実させることも大切なことだと思って、なるべくインプットの時間に当てていました。
ただ、正直、いろんなことをインプットしたところで、好き勝手はできませんし、会社が求めていないことだってありますので私は自分の中で”いつかやりたいこと集”みたいなものをためておりました(笑)
社会人としてはようやく土台が作り上げられ(とはいえひよこどころか、たまごから顔出しはじめたくらい)自分の考えややりたいこともハッキリするようになり、退職の道に進みました。


コロナ禍で散った計画

退職したのは、昨年の1月で。親戚のいるフィリピンに行って、英語を学んだり、異国の文化に触れたり、家族との時間を1年間くらい作ろうと思ってました。
それまでの6年間は本当に働きづめだったので、私には強制的に休むことが必要なくらい疲労困憊していたんです。笑
いつでもフィリピンに行ける準備はしていたものの、コロナの感染対策が厳しくなかなか入国ができずにいました。
他国の規制が少しずつ緩和もされていたので、もう少しかな〜と思っていましたが、結局入国できず1年経過(笑)
その1年何していたこといえば、基本的にはゆっくり過ごしてはいましたが、知人の会社のWEBサイトを作ったりデザイン関係のお仕事をしてみたり、数少ないスキルをフル稼働させていました。
何よりも、とにかく勉強していました。(あっちゃんのYouTube大学にはお世話になりました。笑)
当たり前のことですが改めて休むことも大事なんだなとしみじみ感じ、とにかくインプットができた1年で、日本にいながらもものすごく視野が広がっていい休暇だったなと。
今まで思ってたこととかなんとなく知っていたことが繋がって線になっていく実感がありました。
もうそんな時には、働きたくて働きたくて仕方なくなっていました(笑)
フィリピンに行くことは一旦諦め、長期間でなくても仕事の様子を見ながら短期間でちょこちょこ行こうと思います^^


会社設立の決意

私は、ウェディング業界の昔からあるであろう仕組みに疑問を持っていたので、どこかの会社に勤めることはあまり考えていませんでした。

素敵なコンセプトを持った会社ももちろんたくさんあります!

ただ、私は0からモノを作ることに挑戦してみたかったのと、今しかできないことに執着したいと思ったんです。
私が生きてる年数なんてまだまだだけど、人生って本当にあっという間だと思うので、自分の頭にある構想を実現させてみたいなって。

そして、結婚式が心から楽しかったと満足されている新郎新婦もいらっしゃれば、さまざまな理由でうまくいかない部分があった方も見かけます。

SNSの発展によって、式場やプランナーに対してのマイナス点が広まりやすくなり、業界人としてはやっぱりそういうのは見てしまうんですよね。

人的な原因もありますが、そのほとんどが業界や会社の仕組みそのものが原因だなと感じます。

新郎新婦が不満を持つ部分というのは、私も痛いほどわかりますし、皆さんと同じように私もなんで?と思うことがたくさんです。

裏事情がわかってしまった分、あまりにも新郎新婦ファーストではないことが多いこの業界嫌だなという思いもあります。

でも結婚式は素敵ですし、プランナーの仕事もクリエティブでとても魅力的です。

私は、華やかな経歴があるプランナーではありませんが、業界を客観的に見てきて、新郎新婦に寄り添った仕組みを作りたいなとここ数年考えていました。

発信力を持っていないのでそれが最大の課題になりますが、、見つけて下さった方には、後悔のない結婚式ができるよう尽くしていきたいと思っています。

フリーランスということも考えましたが、私の名前をガンガン出していくのは性に合わず、会社を設立することにしました。

同じ価値観を持つ仲間にも巡り合えて、もうすでに、立ち上げて良かったと思っています(笑)

自分が0から立ち上げた仕組みで、これから出会う新郎新婦の幸せを見届けることができると思うと、気持ちが高まっていく一方です。

(“いつかやりたいこと集”がようやく日の目を浴びることができそうで、数年前の自分に報告してあげたい。笑)

長くなってしまいましたが、【NOMAD WEDDING】が皆さまから愛されるブランドになるよう大切に育てていきたいと思います!