思想としての発酵 コミュニケーションの本質 「分かり合うために行うわけではない」って気づいた話 糠床は僕に教えてくれた

こんにちは、Yutaです。
今回は
「コミュニケーションの本質」についてお話します。

恐らく多くの方が今
「そんなこと知ってるし!お互いに分かり合うためでしょ!」
とか
「人間は言語を発明し、コミュニケーションを円滑に行うことで社会を作り、繁栄したのであるよYuta君、今さら何をいっているのだい。」
のような感想を持ったと思いますが

コミュニケーション=お互いを分かり合うために行う
という考えを僕は持っていないのです。
僕にとっては
コミュニケーション=お互いを分かり合えないから妥協点を探すために行う
なのですね。

どういうこと?
「分かり合えないって、あきらめちゃダメじゃないか!」
というコメントが殺到しそうなので

これから説明します。

僕は糠床を育てているので、日々かき混ぜているのですが、その時にいつも思うことがあるのです。
「この糠床の中にいる微生物たちは何を考えているのだろうか。」と
何この人怖い!
そんなの分かる訳ないじゃん!
そもそも微生物ってしゃべんないじゃん!
無駄な努力!
というツッコミが炸裂すると思うのですが
僕はそれが好きで、楽しくて考えているのでいいんです。

なぜなら、僕が糠床を日々かき混ぜ、微生物とコミュニケーションを取っているのは、
微生物たちに僕のことを分かってもらいたいのではなく
ただ、僕が微生物たちのことをもっと知りたいからだからです。

分かり合うことは出来なくても、僕が少しでも微生物たちのことを分かった気になれ、近づいたように感じられるようになりたいから。
僕と糠床、微生物たちのとの出来る範囲最大限の関係性構築へ向けた妥協点を日々模索しているのです。
「なんか今回の漬け具合いまいち」
「何が良くなかったのだろうか?」
「やっぱ糠床のことわからないぜ!」
「だからもっと知らなくては!」
というように、僕と糠床は一生分かり合えないので、僕が糠床ことに興味を失わない限り、一生コミュニケーションを取り続けるのです。

何が言いたいかというと
分かり合えないことを理解していると、イライラや軋轢など、コミュニケーション上でのトラブルはなくなると思うのです。

恐らく今の僕の話から
「分かり合えないって、あきらめちゃダメじゃないか!」
というツッコミは出てこないのだと思うのです。
なぜなら
「人と微生物が分かり合うことはない」という前提を多くの方は潜在的に理解しているから
なぜなら
僕らと微生物は
生まれも、生活環境も、性質も、何もかも異なるからです。
分かり合えるはずがないのです。

でも、人同士では、このことを直観で感じられません。
僕と今、この投稿を読んでくれているあなたは
生まれも、生活環境も、性質も、何もかも異なるのに
「絶対分かり合えない」という気持ちにはなりません。
もし、これから僕とあなたと会い、話し、お互いのことを知れば理解し合える気がします。
なぜでしょうか
潜在的に、人間同士なら、話したり、時間を共有すれば分かり合えると思いたいからです。
なぜなら
分かってもらえば、自分が知る努力をしなくてよくなるから
考えなくてもいいから
関係に歪が生じた際、相手のせいにできるからです。

過去、僕は摂食障害という病気を抱えている時
自分の辛さを理解してくれない周りを責めていました。
こんなに長い時間一緒に生活しているのにどうして僕の気持ちを分かってくれないのかと

僕は糠床にイライラしたり
「なんで糠床の微生物たちは僕の好みの味を理解してくれないの!毎日かき混ぜてるのに!」
と怒りません。
僕と糠床とのコミュニケーション目的は分かり合うことではなく、
僕が糠床のことを知るためであり、僕個人の妥協点を探すためのものであるからです。

こういうコミュニケーションでは
相手に分かってもらうという期待がないので
相手を知ること
自分にできることを探すこと
自分が今できること
に焦点を当てます。

糠床といい関係を保ちたいので
糠床のことを知り、糠床のためにできることを探し、糠床のために今できることをします。
それが日々かき混ることであり、日々糠の水分量、塩分濃度を確認することです。
糠床に僕の好みの味を理解してもらおうとはしません。
僕が何をすべきか
それしか考えません。
分かり合えるというゴールはないので
コミュニケーションを取り続けます。

コミュニケーションで大切なことは、
「分かってもらえる」という幻想を持たない
「相手を知る」ために自分が出来ることに焦点を当てる
「続ける」努力をする

このような考え方になると誰かにイライラしたり、誰かを責めたり、誰かに批判されても自分を卑下したりしません。
そんな暇ないからです。

「今、何をすべきか」
「今、何が出来るか」
それだけ考え行動していれば、人生ハッピーです。
そして
世の中も、もう少し穏やかになる気がします。
つくづく
「糠床を育ててよかったなぁ」
「糠床ってスゲー」
と思う僕でした。

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