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ジンジャーハイボールと彼 〜第十話〜


 部活動の時間が終わりに近づき、サッカー部副顧問の伊藤は生徒たちとストレッチに入っていた。
 顧問である日下部は、部長の志田太陽からつぎの練習試合の作戦について相談を受け、終わるのに時間がかかっていた。

「うん。それじゃ、これでいこうか。明日にでも副部長にも伝えて大丈夫だとしたらみんなにも周知でいこう」
「わかりました。それじゃ、俺もストレッチ行ってきます。あ、先生ところで、学校祭で先生のクラスは食べ物は何を出すんですか」

 部長の志田は、スポーツも勉強もそつなくこなせる生徒だった。

「うちか?確かパフェだったな。最初はクレープとか言ってたけど、メニュー変更してたな」
「そうなんですね。先生に学祭中で観に来てほしいものがあって。高柳たちがバンドやってるんです。俺、急遽でボーカルやることになって」
「おお、そうなのか。そう言えば高柳が練習してるって言ってたな。バンド見に行くよ」
「やった!楽しみにしてて下さい」


 学校祭中、生徒たちは忙しく動きまわるが、教員はどちらからというといつもより気持ち穏やかでいられた。

 もちろん卒業学年の担任となると生徒の気合も違うので少し気合を背負うことになるが、生徒たちが自発で動く横でアドバイスや支えているということが主となる。


「日下部先生、今日は車で来ましたか?今朝、少し動こうと思って、教員住宅から歩いてきたんですよ。乗せてもらって良いですか」
 伊藤は、生徒たちがいなくなったことを確認するかのように辺りを見まわしてから声をかけてきた。
「ああ、もちろん」

「ところで日下部先生。いや先輩、聞きたいことがたくさんあるんですが」
「おお、伊藤。俺も聞きたいことがある。確かマーベル好きだったよな」
「え、ああハイ。大好きです。前に一緒に映画行ったじゃないですか。先輩は途中で寝てたけど」
「いや、助かったよ。怜奈さんがマーベルが好きって言われて。一回でも行ってたから、なんとか話のネタにできた」
「いや、正直にわからないって言った方が楽だったんじゃ」
「話の流れで俺も好きってことになって、もう修正は不可能だったんだよ。ブラック・ウィドウが好きとか言われて、何も言えなくて。今、勉強中だ」

 デートは昨日の土曜だったので、今朝から伊藤が何か聞きたそうな顔をしていたことに、気づいていた。
「楽しそうですね。デートは成功だったようで」
「・・・成功?成功な、うーん」
「失敗したんですか」
「いやぁ、してないと思うけど。なんだろうな」
「え?」

 車の後部座席に荷物を乗せている間、伊藤はいつものようにお邪魔しますと言って助手席に座った。
 エンジンをかけると、横で伊藤はスポーツドリンクをがぶ飲みしていた。

「デートってこんなもんだったかなぁって。なんか疲れたなって。めちゃくちゃ美人だったし、想像がくずれることもなかったし。むしろ想像していた通りの女神のような人だったよ」
「良いじゃないですか」
「でもなぁ、俺も年取ったのかな。高嶺の花しか追いかけてこなかったんだけどな。気楽な気持ちがほしいというか、隙がないというか」
「居心地の良さってことですか」
「ああ、そうなのかな。自分でも自分の感想に納得いかないから、相手じゃなくて俺が悪い気がする」
 
 二人の空間に沈黙が続いた。
「中山峠に行った時なんだけど」
「おお!あそこは良いですよね。自然たくさんの山の中をドライブして、名物の揚げ芋を食べる。最高ですね」
 伊藤は想像をして、楽しんでいるように見えた。
「その予定だったんだよ。喜ぶだろうと思って。それに、俺、揚げ芋が大好きで。だから二人で食べたかったんだ」
 

『日下部さん、ここまで運転疲れてませんか』
『いいえ大丈夫です。さっそく揚げ芋を買いましょう。ここで食べるといつもの数倍美味しく感じますよね』
『あ、すいません。私、揚げ芋は・・・。体や肌のことを考えると食べられないです』
『え?!』
『日下部さんはぜひ食べてください。美味しそうに食べてる姿は見たいので』
 
 
「ええ?それで、食べてるところを見られて終わったんですか」
 伊藤は声が大きくなり、スポーツドリンクを少しこぼした様子だった。
「そういうことだ。極めつけは」
 
 
『美味しそうな姿が見られてよかったです。今、思い出したんですが。元主人に別れる時に言われたんです。君の食生活はもう慣れてるけど、次の相手の前では隠した方が良いって。でも、隠せないみたいです』
 
「って言って笑ったんだよ」
 伊藤はなにか奇妙なものを見た表情をし「えーと、悪い方ではないのですが。なんか、微妙にサイコですね。いろいろ突っ込みどころが」そう言ってうすら笑いを浮かべた。
 
 
「いやでも先輩。それはそれとして、次のデートは楽しみか楽しみじゃないか。会いたくてたまらないか、そうでもないのか」

「それは・・・」
「そうでもないんですね、俺はいまの彼女のとき、すぐにでも会いたかったですし。次が楽しみでしょうがなかったです」

「いや、勝手に俺の心の声聞こえた、見たいに言うなよ」
「いや、そうでしょ。じゃなきゃ即答で“もう会いたい”って感想が出ますよ。残念ですね。毎朝ニュースで見てたんですよね」
ぐうの音も出なかった。
「そうだな。・・・って、毎朝って俺言ったか?」
伊藤は笑いだした。

「伊藤、かまかけたな」
「いやいや、絶対そうなんだろうなってわかったんで」

「そうだよ。憧れてたんだよ、ここ数年。そんな簡単に、違うとは思えないから。またデートしたいと思ってる」
「あれじゃないですか。憧れが強すぎて、理想的すぎてってことですかね」


 伊藤が車の窓を開けると、これから校舎へ向かう女生徒が笑顔で手を振っていた。
「伊藤せんせー、今日は準備来るの?」
「おーう、これから昼ごはん食べに帰るから。午後から学校祭準備に加わるって、皆に言っておいて」と叫び軽く手を振っていた。

 今は、ひとまず学校祭を優先しよう。

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