見出し画像

忘却に抗う――平成の終わりと戦争の記憶――(吉田裕×中村江里対談):①戦争の記憶

聞き手=Ćisato Nasu
写真=寺西孝友
責任編集=KUNILABO

 テレビをつければ、何かにつけて日本人のアイデンティティを鼓舞しナショナリズムを掻き立てるような番組が多く見られ、意図的な力も感じられる。もちろん、日本の良いところを紹介すること自体は悪いことではない。しかし、そこに、他国に対する批判や脅威といった話が入り込んできた場合、簡単に新たな戦争へと世論が動いていくのではないか――。ここ数年、そんな漠然とした不安や焦燥感があった。
 平成が終わろうとしている今、第二次世界大戦を直接知る世代が生きている時代もまた、終わろうとしている。様々な資料をアーカイブ化して残そうという動きは重要であるものの、ただ記録を残すだけでは、それを受け取る側にすべてが託され、活用されないままとなってしまいかねない。
 時代の波に、過去の戦争の記憶がかき消され/上書きされていく。そうした「忘却」の問題に、どう抗ったらよいのだろうか。それは、「記憶をどう伝承していくか」という問いへと繋がっていった。
 そこで、この問いの答えを探すため、NPO法人国立人文研究所創立2周年記念イベント「歴史を学ぶとはどういうことか」に登壇された、『日本軍兵士: アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)の著者・吉田裕さん(一橋大学特任教授)と、その教え子であり、KUNILABO2018年9月期講座「トラウマから考えるアジア・太平洋戦争」を担当された、『戦争とトラウマ: 不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館)の著者・中村江里さん(日本学術振興会特別研究員PD)に、お話を聞いた。遠い過去のように思える出来事を掘り起こし記憶に止めることで、そこから学んだことを現在や未来に応用したり、自分自身の頭で考え決断し必要なときには声をあげたりする力――歴史学は、そういった現代求められている力を身に付けるためのヒントを、私たちに与えてくれるのではないか。全4回を通して、過去と現在を繋ぐ術、そして忘却に抗う試みとしての、歴史学の可能性について考えてみたい。


戦争の記憶


ふと考えたんです。日本軍にもトラウマに苦しむ人はいなかったんだろうか、と(中村)

――まずは、自己紹介もかねて、ご研究やご専門の紹介をお願いします。
吉田:もともとは、日本の近現代史で、戦前の政治史における軍部について研究をしていました。その後、80年代に入った頃から、教科書検定の国際問題化や南京事件否定の言説といったものが出てくるようになり、戦争や戦争犯罪そのもの、戦争責任、日本の戦後処理などに関心が移ってきて。80、90年代は、昭和天皇の戦争責任も含めて、ずっと戦後処理、戦争責任に関わる問題に取り組んできました。ただ、日本の兵士の問題にも最初から関心がありました。非常に悲惨な境遇に置かれているわけで、その人たちの記録をずっと何らかの形で残したいという気持ちがあって、日記とか回想とか、文章で表現できない人の場合は絵などを集めていたんです。定年も近づいて来たし、やはり自分の研究の最後のテーマとして、兵士を主題にした著書を書きたい、と。それで数年前から資料の整理を始めて、資料自体はずいぶん前から集めていたものですから、一気に書いたのがこの著書(『日本軍兵士: アジア・太平洋戦争の現実』)ということですね。
中村:吉田先生のゼミで修士課程からお世話になって、2015年に博士論文を出しました。その博士論文に基づいて『戦争とトラウマ: 不可視化された日本兵の戦争神経症』という著書を出版しました。こういうテーマに関心を持ったのは、学部のときです。私は日本史研究者としては変わっているのですが、学部のときは西洋史のゼミで、ホロコースト関係の本をいくつか読んでいました。ホロコーストを生き延びた人たちのトラウマに関する研究は結構進んでいて、そうしたものを日本語で読める環境も、私が学部生の頃にはあったんですね。というのも、日本でトラウマとかPTSDに注目が集まったのが、1995年の阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件の頃で、その後トラウマ関係の本がものすごい勢いで翻訳されたんです。そこで戦争との関連でトラウマというテーマが注目されてきたということを知りました。ただ、戦争といっても色々あって。第一次世界大戦のシェルショックや、PTSDという診断名ができるきっかけとなったベトナム戦争については色々と研究がありましたが、ふと考えたんです。「日本軍にも、こういう人はいなかったんだろうか」と。調べてみると、本格的な研究はほとんどされていないことが分かったんですね。そういった差異はどういった社会的・文化的な要因から生まれるのかということに関心を持ち、大学院からは日本史に転攻して吉田先生のゼミへ入った、という経緯です。
――中村先生がもともと西洋史専攻でいらっしゃったというのは、驚きです。ところで、吉田先生は、著書によると、もともと軍事オタクでいらっしゃったとのことですが。
吉田:最近、戦後の「男の子文化」についての研究があるのですが(※1)、丁度少年漫画の週刊誌が一斉に出始めたのが、50年代末で、60年代前半というのが、僕らが小学生だった時代ですけれど、少年漫画が戦記物一色になった時代なんですね。なぜかはよく分からないのだけれど。その頃の男の子は、大体みんなそういった戦記物を読んで育った。ただ、それは麻疹みたいなもので、誰もが一度はかかるんだけど、そのままいっちゃう人もいれば、それを批判的に捉え直そうという風に考える人と、両方いるということですね。そういう文化の中で育ったので、軍事オタク的趣味を持っていたのは確かですね。それが、戦争とか軍隊に関心を持ったきっかけの一つではあります。

僕が研究者として何かやれたことがあるとすれば、「軍事史を歴史学の主題にする」ということです(吉田)

――吉田先生が著書の中で触れられていた、「戦争そのものを対象とする戦史は、長らく政治学者や歴史学者の仕事ではないと思われてきた」という点が、意外でした。
吉田:日本史なんかだと、ずっと世代交代があって。戦前に皇国史観に染まって煽ってしまったような先生たちは、戦後だいぶん大学を辞めて、若い研究者がどんどん出てきたんですよね。その第一世代というのが、戦争体験を直接持っている人たちで、「軍隊や戦争に関わることはもうこりごりだ」という意識が率直にあって。かなり日本社会の中に深く根差した文化だと思いますけれど、「戦史というのは、防衛庁関係者とか自衛隊に残った旧軍関係者がやることであって、僕らがやることではない」という感覚は明らかにあった。一方で、僕らの世代は、そういう体験に則した、軍隊や戦争に対する忌避意識のようなものはないから、空白の部分にきちんと取り組まないといけないんじゃないかという問題意識があって。幸い90年代くらいから、研究が急速に進んで、軍事史が歴史学の中に組み込まれる状況になってきた、というのが大きな流れです。だから、僕が研究者として多少なりとも何かやれたことがあるとすれば、「軍事史を歴史学の主題にする」ということですね。今でも軍事史って、何だか特殊なニュアンスが込められた言葉で、「軍事史研究をしています」と言うと、何となく……特に女性の場合はね。
中村:そうですね。変人扱いされます(笑)。
吉田:でも、一応、こういう風に主題になって、90年代以降、急速に変わっていったわけですよね。中村さんの研究なんかも、資料がまだどこに何があるのかが分からない状況から始めたので、なかなか、特に女性が始めるのは大変だったんじゃないかな。
中村:先程の「男の子文化」との関係で言うと、私はまったくそういうものとは無縁で、本当に軍事オンチだったんですよ。たとえば、学部のときに本を読んでいて、「斥候(せっこう)」(戦闘に際して敵軍の偵察を行う任務)という言葉が分からなかったので、辞書を引きました。一般と近い感覚のところから始めたという意味では、見えるものもあるのかなとは思いますけどね。ただ、吉田ゼミも女性は割合多かったですし、女性で軍事史をやる人も増えてきていますよね。
吉田:本格的な軍事用語の事典もないんですよね、未だに。そこには結構難しい背景があって。「自衛隊は軍隊ではない、戦力ではない」という建前があるので、「防衛用語の読み替え」と言うんですけれど、戦力であることが分からないように、実態と離れているように言葉を訳すんですよね。歩兵連隊は普通科連隊、砲兵大隊は特科大隊といった具合です。自衛隊の用語って、全部軍事色を薄めてできているんですよね。だから、戦前の軍事用語って完全に死語になっているんですよ。まぁ良いことでもあるのかも知れないけど。
――軍事的なニュアンスを薄めようとしている主体は……。
吉田:自衛隊。佐藤文香さんの隊員募集ポスターの研究(※2)なんかをみても、(日本の自衛隊は)明らかにアメリカ軍のポスターとは違うもんね。「我ら青春時代」とか、何を言いたいんだろうっていう(笑)。アメリカのはもっとマッチョなやつだよね。ライフルとか構えて。
中村:そうですね。女性兵士の増加で最近はもう少し多様化しているかも知れませんが、「軍隊に入ることが男になること」みたいなイメージはありますね。
――最近ありますね、キラキラした人を起用したポスター。たしかに、若者に自衛隊に対する良いイメージを持たせようとしているという印象を受けます。
吉田:自衛隊の海外派兵に関する新聞報道も、なんかおかしいんだよね。工兵部隊をそのまま施設科部隊と書いている。武装した戦闘支援部隊だから、工兵部隊は。それを施設科部隊としてしまうと、「橋や道路を作っています」といったような、何だかすごく平和的な部隊みたいな印象を与えるよね。
(続く: ②「男らしさ」の息苦しさ/平成の終わり

(2018年9月、一橋大学にて)

(※1)伊藤公雄「戦後男の子文化のなかの『戦争』」中久郎編『戦後日本のなかの「戦争」』世界思想社、2004年
(※2)佐藤文香『軍事組織とジェンダー―自衛隊と女性たち』慶應義塾大学出版会、2004年

---------------
---------------
吉田 裕(よしだ・ゆたか)

一橋大学大学院特任教授。専門は日本近現代軍事史・政治史。戦前・戦後の天皇制にも詳しい。主著に『兵士たちの戦後史』(岩波書店)『アジア・太平洋戦争』(岩波新書)『日本軍兵士: アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)など。

中村 江里(なかむら・えり)
博士(社会学/一橋大学)。一橋大学大学院社会学研究科特任講師を経て、
2018年4月より日本学術振興会特別研究員PD。専門は日本近現代史。都内の複数の大学で歴史学やジェンダー論の授業を担当。主な編著に『戦争とトラウマ―不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館、2018年)『資料集成 精神障害兵士「病床日誌」』第3巻、新発田陸軍病院編(編集・解説、六花出版、2017年)など。


KUNILABOの活動、人文学の面白さに興味や共感いただけましたら、サポートくださいますと幸いです。