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忘却に抗う――平成の終わりと戦争の記憶――(吉田裕×中村江里対談):④忘却に抗う

聞き手=Ćisato Nasu
写真=寺西孝友
責任編集=KUNILABO


忘却に抗う


そもそも戦争体験論というもの自体が、「忘却」に抗う力として出てきたものなんです(吉田)

ーー戦争の記憶の継承について、どう思われますか。
中村
:(今回の対談において)「忘却」というキーワードは、いいなと思いました。よく言われる「風化」だと、自然現象で人が関わっていないみたいですが、「忘却」というと、それを忘れさせようとする力が何なのかといったところにも注意が向くのかなと。
吉田
:そもそも戦争体験論というもの自体が、「忘却」に抗う力として出てきたものなんですよね。いろんな関係の中で、忘却を強いるような動きが出てくる。それに対する反発や抗いとして、戦争体験論が議論される、という文脈なんですね。戦後何度も「戦争体験の風化」と言われる時期があったけれど、その時期についてどういうメカニズムが働いているのか、それに抗う力の中にどういう可能性が秘められていたのか。そういったことをきちんと検証し直すことが重要ではないかという風に思っています。今回深刻なのは、完全に戦争体験世代がいなくなる時代がすぐそこに来ているということ。
――「忘却に抗う試みにどういう力が秘められているのか」とは、どういうことでしょうか。
吉田:どういう限界と可能性が込められていたのか、ということですね。戦争体験論をずっとやってこられた赤澤史朗さんの受け売りですけれど。たしかに、風化風化と言われるようなときに、戦争体験論って立ち現れてくるんですよね。だからやはり、抗う力だと思うんだよね。そういう力を戦後社会は日本社会は培ってきた。それと、戦争体験世代がいなくなりつつある一方で、戦争犠牲者に対する補償の問題など、「終わらない戦後」みたいな問題もあるでしょう。未決の戦後処理があるということも、言わないといけないと思う。

「トラウマの一番の抑止力になるのは、戦争をしないことだ」と精神科医は口を揃えて言います(中村)

――今後の研究についても、お話を伺えればと思います。
中村:しばらくは現在のテーマで研究を続けようかなと考えているのですが、最近、トラウマの世代間伝達にも関心を持っています。軍隊はまさに暴力が連鎖する組織ですが、上官から暴力を受けた兵士が、今度はアジアの民衆に対して暴力を振るうという構造がありますよね。その構造が、復員後、家庭の中での暴力といったものにどう繋がっていくのかを考えたいなと思っていて。もちろん、異なる価値観を学習する機会があれば、再び暴力を振るう側にはならないということが虐待の研究でも指摘されているので、必ずしも連鎖するとは考えていませんが。戦争が戦後の家族にもたらした影響という問題にも目を向けたいなと思っています。
――なるほど。まさに、現代との繋がりに着目されているのですね。
中村:現代と過去の戦争のリンクについてあまりお話しなかったのですが、私が研究していく過程は、日本の再軍事化のプロセスと重なっていて。丁度今年(2018年)は、イラク戦争開戦から15年ですが、メディアなどで振り返ることってあまりないですよね。アジア・太平洋戦争どころか、つい最近日本も支持したイラク戦争すら、もう忘却されようとしています。イラク戦争については、開戦の根拠とされていた大量破壊兵器はなかったという検証報告書がアメリカやイギリスから出されていますが、日本では十分な検証が行われていません(※1)。そういう中で、自衛隊の海外派遣任務が急速に拡大していく状況に対して、非常に憂慮しています。最近「海外派遣自衛官と家族の健康を考える会」(※2)で一緒に活動している精神科医の先生方は、「トラウマの一番の抑止力になるのは、戦争をしないことだ」と口を揃えておっしゃっています。
吉田:歴史を学んでいないと、現代をみる視野が狭くなっちゃうっていうことだよね。戦争神経症のことを知らなければ、アフガンとかイラクから帰ってきた自衛隊がどうなっているかといったところに目が行かないじゃないですか。それはやはり、歴史の中で学んでいって視野を広げていくっていう作業だと思う。アメリカから無理やり買わされて大型兵器の購入がどんどん増えて、表面装備に充てる防衛予算が増えているから、戦前の日本軍みたいに、健康や衛生面に当てられる予算が削られていくのではないかということが結構心配なんだけど。

――今後の研究については、いかがでしょうか。
吉田:大きく言うと、自分でそれなりに義務感・使命感を持ってやってきたことがいくつかあって。一つは、割合きわどい話題を歴史学の主題にするということですね。あとは、ある先生から「ある歳になったら、若手を育てる場を作る仕事が入るから、それは絶対やれ」と言われて。それに忠実に従った結果くたびれ果てちゃって、率直に言うとネタ切れなんだな(笑)。一通りやりたいことはやった感じがするので、ちょっと充電期間をおいて、というのが正直なところです。ある年齢以降はね、「研究動向がこうなっているのでその中で自分の研究課題を立てる」ということ自体がだんだん難しくなってくるね、能力的に。だから、自分の年齢、体力でできるテーマを選びたい。
 やり残したこととして一つあるのは、少年兵のこと。子ども兵って世界的にも問題になっているけど、日本は少年兵が非常に多いので、調べたい。それも、「こんないたいけな子どもたちが」みたいな文脈の話だけでなく。少年兵って場合によっては、自分より年上の部下を持つ存在になるので、そこでは加害性を持ってしまう。その被害性と加害性の両方を考えたい。それと、特攻隊の少年兵が一番典型的だけど、知覧特攻平和会館のポスター(子犬を抱いた出撃前の少年兵のポスター)のようなイメージがどうやって作られていくかということに関心があって。戦争と少年兵は、特攻隊の問題と絡むので、その辺と絡ませながら、しょぼしょぼと研究を……(笑)。そんなところですかね。
――(著書『日本軍兵士: アジア・太平洋戦争の現実』の)反響といいますか、この著書から生まれた新たなプロジェクトなどはあるのでしょうか。
吉田:うーん……ないような(笑)。ただ、手紙がいっぱい来る中に、お父さんが書いた手記を自分でパソコンに打ち直して送ってきてくれた人がいて。それで思い出したんですけど、NHKのニュースで、廃屋や個人の私物の処理の際に、兵士の書いた日記などが大量に失われているという特集をやっていいて。それを何とかしないといけないということで、提供を呼び掛けたらたくさん集まってきたということを聞きました。そういう兵士たちの記録をきちんと収集して保存していくような仕事をやりたいなぁという気持ちがあります。特に兵隊さんの描いた絵は、なかなか文章で表現されないようなところが上手く表現されている部分があって、良いものがあるんだよね。ある段階で、加害の問題も含めて告白や証言を書き残そうとした人もいる。どうしても散逸しちゃう傾向があるけれど、もう本当に最後の機会だと思うので。
――最後に、このインタビューを読んでいる方へメッセージをお願いします。
吉田:忘却に抗うということが大切で、それ自体が一番重要な問題ではないかということです。抗うということは、忘却する力、メカニズムを明らかにすることでもあるし、抗い方の中にどういう可能性と限界があるかを学ぶことでもあるので、そういう意味でやはり抗いたいということですね。それと、学生にも言うんだけど、自分の違和感をきちんと論理的に他人に対して説明できる力を身につけていくことが歴史の本を読むことの一つの意味だと思います。どんな小さな疑問でも違和感でも、それを大切にする読み方が必要なんじゃないかと感じますね。そこから膨らませていくことが大切なんじゃないかと思います。
中村:同調圧力が強い日本では難しいことですが、「日々の生活で感じる違和感や疑問」を大切にして欲しいと私も学生に伝えています。私自身、研究する中で「トラウマって歴史研究と関係あるの?」「女性でこんな研究してるなんて、結婚できないよ」と言われたこともあります。こうした疑問と向き合うことが、私の研究を深めることにも繋がったと思います。それと、これは歴史学の強みだと思いますが、じっくりと時間をかけて考えを深めることと、長期的な視点を持つことの重要性ですね。私は博士論文を書くのに時間がかかって苦労した方ですが、先生方に温かく見守っていただいたおかげで、著書も出版できました。現代は何でもかんでも短期間で成果を上げることがよしとされますが、何かおかしいなと思ったら、少し立ち止まって考えてみることも時には必要かと思います。歴史学はすぐには役に立たないかも知れませんが、思考の幅を広げるためのヒントを見つけられるかもしれません。(完)

(2018年9月、一橋大学にて)

(※1)2009年11月にイラク戦争の検証を求めるネットワークが設立された。また、NPO法人・情報公開クリアリングハウスが、2012年に外務省がまとめたイラク戦争の検証報告書の開示を求めて裁判を起こし、2018年11月20日に原告側敗訴となった(https://clearing-house.org/?p=2800)。【リンク先は2019年2月25日閲覧】
(※2)https://kaigaihakensdf.wixsite.com/health

(①〜③はこちら: ①戦争の記憶②「男らしさ」の息苦しさ/平成の終わり③今、歴史を学ぶ意味

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吉田 裕(よしだ・ゆたか)
一橋大学大学院特任教授。専門は日本近現代軍事史・政治史。戦前・戦後の天皇制にも詳しい。主著に『兵士たちの戦後史』(岩波書店)『アジア・太平洋戦争』(岩波新書)『日本軍兵士: アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)など。

中村 江里(なかむら・えり)
博士(社会学/一橋大学)。一橋大学大学院社会学研究科特任講師を経て、
2018年4月より日本学術振興会特別研究員PD。専門は日本近現代史。都内の複数の大学で歴史学やジェンダー論の授業を担当。主な編著に『戦争とトラウマ―不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館、2018年)『資料集成 精神障害兵士「病床日誌」』第3巻、新発田陸軍病院編(編集・解説、六花出版、2017年)など。

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