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note版 哲学ダイアグノーシス 第十七号 ツールとしてのヘーゲル哲学(3)

<note版>

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<哲学ダイアグノーシス>

第十七号 ツールとしてのヘーゲル哲学(3)


前回、アリストテレスの哲学を紹介する中で、アリストテレスが「生命」に満ちた自然の世界のあり方をお手本として独自の哲学にたどり着いた、特に「部分と全体」についての独自の考え方にたどり着いた、とお話しましたね。アリストテレスは自然の世界に限らず、人間の世界をも含めて、この世界の全体を「生命」あるものとしてとらえようとしたとも言えるでしょう。

ヘーゲルもまた、彼の哲学の方法である「弁証法」について、それを「生命」の原理であると言っています。いや、「方法」という表現はふさわしくないかもしれません。弁証法は、人間(主観)が対象(客観)を正しく知り把握するためのたんなる「方法」であるだけでなく、対象(客観)がそれにしたがって成り立っている、そういった「原理」でもあるのです。

弁証法をこのようなものであるとするヘーゲル哲学は、独自性をもつことになります。ここではそのような側面を二つ挙げておきます。

一つは、ヘーゲルの哲学において、人間による対象のとらえ方(主観)も人間によってとらえられる対象(客観)も変化してゆくものとしてされる、ということです。主観と客観のいずれもが「生命」の原理とされる弁証法にしたがっているわけですから、あたかも生き物のように変化してゆくわけですね。

またもう一つは、弁証法が人間(主観)だけに属するものでもなく対象(客観)だけに属するものでもなく、両者に共通するもの、あるいは、両者を包括するものであるとされる、ということです。

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