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【平成といえば、3回死にかけたな私…あ、4回かも】 ~平成初期・社会人編~

就職するも腹痛が!

音楽業界に就職が決まり、今後の生活も安泰!と、仕事に励んだ。

新入社員で女性。

エンジニアとしての仕事が任される訳では無く、仕上がったデータをクライアントにお届けしたり、書類整理したりと雑務ばかりの日々。

それは、新人として当然と思うので、何も疑問を持たず仕事をした。

しかし私が入社して2ヶ月程たった頃、2名いた女性の先輩が次々退職され、女性スタッフは私だけとなった…

そのうち、納品から事務所に戻ると、出来上がったマスターテープがデスク上に積み上がるようになり、夕方になってもランチにありつけないほど、仕事が減らない…

そんな日々を過ごしていたら、通勤電車での腹痛が酷くなっていき、途中下車してトイレに駆け込む事態となってしまった。

そして

入社1年で退職する。

私は引き籠りとなった

引き籠りの私がチャレンジしたもの

腹痛で外にも出たくない状況となった私。

体調を崩すのを恐れて、再就職先を探すことも無いまま、数ヶ月経ったある日、見かねた妹が、ある新聞広告を私に見せ

「お姉ちゃん、これでも受けてみたら?」

と言う。

そこには、TOYOTA自動車専属コンパニオン募集の旨が書かれていた。

自分に自信のない私は

「無理・無理」

と言ってはみるが、どうせ引き籠もってるだけだから、書類くらいは出してみるかと、プチチャレンジのつもりで郵送した。

説明会に参加し帰宅したタイミングで、自宅の電話が鳴った。

「一次選考通過したので、二次選考にお越しください」

えええっ?

「説明会」と言っていたのに、選考されていたなんて!

と、驚きつつも二次選考を受験したが、専門学校卒の私に「一般教養」が立ちはだかった。

学のなさを見せつけ敗北したが、この経験から

「私って見た目では、イベントコンパニオンできるんじゃないか?」

半ば勘違いにも近い自信を持った私は、イベント業界での仕事を始めたのである。

忘れていた腹痛が、致命的になった出来事

展示会のコンパニオン、ナレーター、街頭キャンペーンMC、レストランバーでのDJなど、充実した日々を過ごした私。

腹痛はかすかに感じるものの、以前のような激痛を感じることは、あまりなく忙しくすることに満足していた。

実家に暮らしていたのだが、小さな頃から父との折り合いが悪く、家が静まりかえってから帰宅することが続いた。

それまでの時間は、ひとり地元のバーで過ごすことが多かった。

朝帰りも頻繁だった…

そんな、不規則な生活を続けたある年の瀬。

彼氏と飲んでいたお店で、かなりの腹痛に見舞われた。

トイレへと駆け込む…

そして、トイレが血の海となった

この時私は

「ガンに違いない、もう私は助からない」

そう思い、立ちすくむだけだった。

<続く>

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