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私は「らしさ」から解放された

子供の頃から「女の子」であることが嫌だった。


きちんと覚えているのは小学校へ入った頃だ。
あまり自己主張の強い子供ではなかったが(多分)、親と遠足用のリュックを買いに行った時、どうしても青いリュックが欲しく、親の反対を押し切って買ってもらった。
(特定の色と性別は関係ないが、わかりやすい性別のアイコンとして「青色」を選んだ幼少期の思い出話として聞いてほしい。)


私は当時から
「自分は本当は男の子の体で生まれるはずだった」
と思っている子供であった。


幼稚園から小学校へあがるころ、一人称の「私」が恥ずかしく使えなかった。

髭にあこがれて、親の育毛剤を顔に塗ってたのも小学校低学年の時だ。
顔の産毛が気持ち元気になった。

小学校高学年の頃、私は人よりも発育が良い子供だった。
月経も早く、胸も人より大きかった。
丸い腰や胸が気持ち悪くて殴りつけたり、いっそナイフで削げれば…と思い始めたのもこの頃だった。
走ると胸が揺れるから持久走では小走りになり、胸を隠すために猫背になった。


男の体で産まれるはずだったのにどうしてこうなのか。


常にパンツスタイルで胸を包帯で抑え、男物の服を着て小学校へ通う子供になった。
それでも体は柔らかく、首から下を自分の体とは思えなかった。
体が自分のものじゃない気持ち悪さが、他の人には理解できるだろうか。


28歳の頃、ようやく乳房切除・性同一性障害を取り扱うクリニックへ行った。
クリニックで受けた診断は「性別違和」であった。


※性同一性障害との違いが気になる方向けの引用
http://www.muraguchikiyo-wclinic.or.jp/vol64mini.pdf
※性別違和の詳細が気になる方向け引用
https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB/08-%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E9%9A%9C%E5%AE%B3/%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%EF%BC%8C%E6%80%A7%E5%88%A5%E9%81%95%E5%92%8C%EF%BC%8C%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2/%E6%80%A7%E5%88%A5%E9%81%95%E5%92%8C%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E6%80%A7%E8%BB%A2%E6%8F%9B%E7%97%87
※性同一性障害のガイドライン
https://www.jspn.or.jp/modules/advocacy/index.php?content_id=23

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17、18歳の頃には既に乳房切除を考えていた。


胸は特に女体の「アイコン」であり、女性性と切り離せないものであると思っている。
自分は男であるはずなのに、体に女性性の「アイコン」がついていた。

いち早く気持ち悪い「胸」を取りたかったが、結局そこから10年近く手術を決意できなかったのは金銭的問題、社会的立場、そして恐怖が原因だった。


乳房切除の費用はもちろん安くない。
せっせと小金を稼いでる間に5年ほど経ったし、結局貯金は諦めて医療ローンを組んだ。
現在もせっせとローンを払い続けている。

社会的立ち位置にも悩まされた。
大学に入って、大学院に入って、就職して、働いて。
いつ手術ができるのか?
いつ変わったら周りにバレないのか?
社会人になりたての頃、上司に呼び出されて言われた言葉は
「君、レズなの?LGBTなんて芸能人しか許されないよ」だ。
レズじゃないけど、レズだとしたら何が悪いんだ。

この先自分はこの人生の中で受け入れてもらえるのだろうか?
それでも下手に生きてこれたせいで、変わることを躊躇する時間が長かった。

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少し違う話になるが、オナベバーに一度だけ行ったことがある。
少しでも近い人の話を聞きたいと思って行ったのだが、結論として怖かった。
下手に生きている自分と違って「選ぶこと」をした人たちの姿が何よりも恐怖だった。
自分の中途半端さに打ちひしがれながら、楽しく飲んで帰ってきた。(楽しく飲んで帰ってきた。)

中途半端な存在を自覚するので、それ以来行けていない。(楽しく飲んで帰ってきたが)


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手術前の恐怖は様々だった。

様々なレポートや症例写真を見ていたので手術の失敗が怖かったのは勿論だが、
一番怖かったのは「変わらないこと」だった。


丸い腰、身長、小さな手、筋肉の少なさ。
胸以外にも自身を女たらしめる「アイコン」は存在している。

身体的特徴にそれ以上の意味はなく、どんな姿でもそれが男/女に直接結びつくわけではないし、そういう捉え方はもう古いものになりつつある。
「アイコン」というのが思い込みである。
それでも、自身の精神と身体の乖離はわかりやすい「アイコン」を”アイデンティティ”として求めてしまう。

自分の女体は「本来の自分」を否定するものであり、愛せない。
人一倍「男か女か」を気にして生きてきたせいで、何よりもそういう不一致が目に入る。
男言葉も、ユニセックスな服装も、己の身体が己の意識と違う以上アイデンティティの穴埋めにしかならない。


胸をとったら本当に変われるのか?
ただ胸がなくなっただけの女であり続けるのか?


どうやっても本来の自分になれない可能性が何よりも怖かった。

10年かかった。


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29の誕生日、乳房を切除した。

Fカップあった胸は合わせて約500gの肉塊になった。

鏡を見ると平らな自分の体がある。

ただ乳をとっただけ、残りの部分は変わらないのに、己の体と己の意識が重なるのを感じた。
初めて青いリュックを選んだ時とは比べ物にならない”本来の自分”を手に入れることができた。

ただただ嬉しかった。
自分の身体を手に入れた。

猫背だった背筋が伸びた。

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胸をとった先にあったのは「アイコン」からの解放だった。
欠けていた”アイデンティティ”は何よりも「男らしさ」を求め「女らしさ」を嫌っていた。
だから、私は「女の子」であることが嫌だった。


男だから男「らしさ」のアイコンを求めると同時に
女だから女「らしさ」のアイコンを排除しなければいけなかった。


それゆえ必要以上に物事に「らしさ」を与え、アイコンにしていたのだ。

乳をとった後、私はハート型の指輪を買った。
DIO様みたいでかっこいい。

私は、「らしさ」から解放された。

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アイデンティティを手に入れたと言えども、まだまだ本来の自分にはなれていない。
ホルモン治療は別の疾患の兼ね合いもあり検討中である。
胸の医療ローンが終わったら頃合いをみて子宮をとりたい。
(その前に乳首の手術がある)
(手術についてはまた改めてレポします)

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Twitterで乳房切除についてレポを描いた際、「胸があるのが嫌な女性」からよく連絡が来た。
胸を見られる、邪魔だから取りたい、でも性別には違和感がないという方が多い印象を受けた。

専門家ではない為専門的なことはあまり言いたくないが、性別違和について勘違いを産むのも嫌なので、上部に貼ったリンク先も是非見て欲しい。


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Twitterタグ #アラサー乳をとる でレポ何個か書いてます✌️


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