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だから君はここにいるのか(客席編)(55分2人)

缶の階公演・Recycle缶の階公演 上演台本
@ウイングフィールド[2014/12/15-12/16]
@船場サザンシアター[2014/12/13・14・27]@パシフィックシアター

作/久野那美

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登場人物 
椅子を並べる男(男)
椅子に座る女(女)


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登場人物
椅子に座る女(女)
椅子を並べる男(男)

劇場の客席。扉は開いたまま。舞台には緞帳が降りている。
男が客席の椅子を丁寧に並べている。
他に人影はない。

並べ終わると最前列の席すべてにチラシを置き、やがて男は席に座る。
(最前列の通路側の席)
しばらく。

劇場の入り口から、トランクを持った女が入ってくる。
男、あわてて舞台の袖に駆け込む。何やら操作している様子。
女、男に気づかず最前列の、通路から二番目の席に座る。
男は客席に戻ってくるが、座りそびれて通路に立ったまま…
スピーカーからアナウンスが聞こえてくる。男の声である。

アナウンス 本日は、お忙しい中、遠方よりお越し頂きましてまことにありがとうございます。
もう、まもなく開演いたしますので、いましばらくお待ち下さい。
開演に先立ちまして、いくつかお願いがございます。
携帯電話など、音の鳴るものをお持ちのお客様。音が鳴らないように、設定してください。
また、上演中はお電話の着信だけでなく、お客様の方からの発信もご遠慮ください。
上演中に席を立ち舞台に上がられることや、他のお客様と談笑されることもご遠慮下さい。途中で気分が悪くなられたり、外に出たくなられたお客様は、入ってこられたのと同じ扉から静かに退出してください。扉は閉めますが鍵はかけません。
お客様の姿は、劇の登場人物には見えておりません。
上演中は、彼らに話し掛けたりせず、驚かせないよう静かに見守ってください。
何かしたくなっても、何もしないで下さい。
上演時間は1時間です。ごゆっくりお楽しみ下さい。

しばらく。

男 …開演時間、過ぎましたね。(座っている女に話しかける)
女 !(驚いて男の顔をまじまじと見る)
男 お客さん…少ないですね。
女 (客席を見渡して、不安になる)わたしたち、だけ…ですか?

男、笑みを浮かべて女の方を見ている。

女 …やっぱり、あまりにも少ないと、中止になったりするんでしょうか?
男 …?
女 …お客さん…。
男 …
女 …それとも…
男 …
女 …こういう、趣向なんでしょうか。
男 え?!
女 …なんか、普通に始まるっぽい感じがしなくないですか?
男 普通に始まるっぽい、感じ…?
女 あ。普通に始まる時はどんな感じなのか…て、よく知らないですけど…
男 そうでしょうね。(鼻で笑っている)普通ですよ。とても。
女 え?
男 …劇場へは…あまり、いらっしゃらない?
女 …はい。
男 (ひどく残念そう)そうですか…。今日は…この公演は、どこで?
女 チラシを見て。
男 (席に置いたチラシを手に取って)これですね?
女 あ、それです。
男 いいチラシです。
女 そうですか?私には…前の時のとはずいぶん感じが違うなというくらいしか…
男 前の時??…どうちがうんです(詰問する)?
女 このチラシには、劇のタイトルと場所と時間のほかに、登場人物の名前がぜんぶ書いてありま
すけど、
男 いけませんか?
女 いえ…前に見たチラシには、登場人物ではなくて、出演者の人の名前が書かれていました。
男 ………細かいところをよく見てますね。
女 …細かいですか?
男 チラシには劇を見に来るために必要な情報が書かれていればそれでいいと思います。
現に、あなたはこうやって、劇場に来ているわけですし。
女 そうですけど…。
男 チラシの内容は劇によって違うものですし。
女 でも同じ劇ですよ。
男 同じ劇?
女 ……私、二年前に、ここで、同じタイトルの劇を見たんです。
男 …!
女 ?
男 あなた、さっき、あまり劇場には来ないと言いませんでした?
女 言いました。劇を見るのは今日で2回目です。
男 (呆然としている)じゃあ、あなたが人生でたった2回見た劇があの劇とこの劇?
女 いえ、この劇はまだ見てないので…………………あの劇って、言いました?今…
男 はい。
女 ということは、…あなたも見たんですか?
男 …あ…
女 あなたも、あの劇を見たんですか?あの日、ここで?
男 えっと…(ごまかす)、そのときはひとりで見に来たんですか?
女 …はい…。
男 今日も?
女 今日は、ひとりで、もういちど見たくなって。
男 ひとりで、もういちど、みたくなって…。
女 前に上演された劇が同じ場所でまた上演されるなんてことあるんですね。
男 めずらしいことではありません。再演といいます。
女 再演。
男 ただし、なにもかも同じでなければならないというわけではありません。
女 それは、時間が経てば、いろいろ状況も変わるでしょうから、何もかも同じというわけには
いかないでしょうけど。
男 もちろんです。同じことをしても意味が無い。
女 え?
男 あのときとは違うんです。
女 あのときとは違う劇なんですか?
男 そのための、再演です。
女 えーっ!?(憤慨している)
男 ?
女 再演って言われたら、前のと同じ劇が見られると思いませんか?
男 いや、再演って言われたら前のとは違う劇が見られると思うでしょう。
女 私は、あのときと同じのを見たいです。
男 どうして!?
女 同じのを見るために見に来たからです。
男 全く同じのをもう一度見てどうするんですか。
女 あなた、劇を見たらいつもどうにかするんですか?
男 いや、…
女 違うのを見たいなら違うのを見に行きます。わざわざ同じのを見に来て違う劇を見てしまったら、何をしたくて何をしたんだか何をしなかったんだかわからないじゃないですか。
男 でも、それではなんのためにもう一度上演するのかわからないじゃないですか
女 同じ劇をもういちど見るためじゃないんですか?
男 何もかも全く同じでないといけませんか?
たとえば…たとえばですよ、同じ登場人物が、同じ劇のなかで違うことをしてはいけませんかね?
女 なんのために?
男 前はできなかったけど今ならできることだってあるでしょう。
せっかくもういちど機会を得たなら前とは違う、新しいものを創りたいと思うのは自然な気持ちだと思いますよ。
女 せっかくもういちど機会を得たのに、前とは違うものを見たいと思うのは
不自然じゃありませんか?映画だったら、昔見た作品をもういちど見たいと思ったら全く同じものをもういちど見ることができるのに、昔見た劇をもういちど見たいと思っても、昔見たままもう一度見られるかどうかは創る方のひとの自然な気持ち次第だなんて。理不尽です。

女 もしかして……、あなた劇を創る人ですか?
男 いえいえいえいえいえいえ…
女 よかった。
男 なぜ?
女 劇を創る人とは、あんまりお話したくないんです。
男 …なぜ…?
女 …私は劇を創りません。
男 …はい、
女 見たことも一回しかないんです。
男 …はい、
女 私、今から、人生で二回目の観劇をするんです。たぶん。
男 たぶん?
女 そういう、デリケートな時期なんです。
男 …はい。
女 自分のことがまだよくわからない時に、ひとの事情とか分かりたくないんです。
男 …えっと…
女 ほら、事件の加害者と被害者だって、裁判所でも警察でも直接接触しないように工夫されてる
じゃないですか。
男 …は??
女 混ぜるな危険っていうでしょ。
男 言いません。
女 そう?
男 混ぜませんし。あんまり。
女 そう…

女、チラシを見ながら…

女 だから、前のと同じ劇がいいんです。
男 えっと…その…
女 あなたは、劇をよく見るんですか?
男 あ…えと…
女 常連さんぽいですよね。
男 いや…え…
女 あなたがそう言うなら…、やっぱり前のとは違う劇なんでしょうか。
男 あ…えと…
女 答えなくていいです。
男 あ…はい。
女 あなたに聞いても仕方ないことだし。それに、劇が始まればわかることですから。
男 …(慌てている)
女 え?
男 …(すごく慌てている)
女 まさか。
男 (目をそらす)
女 この劇…ほんとに始まらないんですか。始まらないっぽい感じがするだけじゃなくて、
始まらないんですか?

女、思わず立ち上がり、そのはずみに持っていたチラシの束ををばらまいてしまう。

男 …(女の落としたチラシを拾い上げようとして他の席のチラシと混ぜてしまう)
女 混ぜないでください!
男 …すいません。

女、じっと男の目を見る。
男、逃げ場を失い、そのまま見つめ返している。

女 あなた……何か知ってますね。(詰め寄る)
男 …
女 あなた、ただのお客じゃありませんね?
男 ん…
女 そして、劇を創る人でもない。
男 (うなづく)
女 じゃあ、誰なんです?
男 え…
女 劇場のひと?
男 (クビを横に振る)
女 あの、プロデューサーとか、そういう専門的な感じのあれですか?
男 (クビを横に振る)
女 でも劇の関係者?
男 …(クビを縦に振る)
女 関係者。どういう関係なんです?
男 …
女 この劇と、あなた。
男 …
女 再演する劇が上演されないことと、客席にあなたとわたししかいないことと、
あのチラシが前となんだか違うことと、あなたが劇の関係者なことは、関係あるんですか?
男 …
女 あるんですね。

男 …やり直したかったんです。
女 何を?
男 劇を。
女 だから再演するんですか?
男 再演はできません。あのときと同じ劇をもういちど上演しても意味がないんです。
女 …?
男 あれではなくて、本来あるべき劇を上演しないと。
女 じゃあ本来あるべき劇を上演すればいいじゃないですか。
どうしてそういう劇が始まらないんですか?
男 それは…

男、たいへん困っているが、やがて腹をくくる  

男 この劇には、完成された台本がないんです。
女 ? なんの話ですか?
男 台本が完成されないまま、上演されてしまったんです
女 そんなことできるんですか?
男 …劇の作り方について、どのくらいご存じですか?
女 何も知りません。私は劇をつくりませんから。
男 劇を劇にするためには、たくさんの段階があるんです。
女 そうでしょうね。
男 まず、劇作家が劇の台本を書きます。
女 はい。
男 その前に登場人物や俳優が決まっている場合もあります。
女 はい。
男 その台本を演出家が読みます。
女 えんしゅつか…ってなんですか?
男 演出家というのは、台本に書かれていない部分を作る係のことです。
女 台本に書かれていない部分って何ですか?
男 台本に書いてあること以外のあらゆることです。
女 ?
男 舞台がどんな場所で、登場人物はどちらを向いて立っているのか、とか、
そこから見えるものは何なのか、とか、そういったことです。劇として成り立つために音を鳴らしたり灯りをつけたりすることもあるんですが、そういうあれこれについても、演出家が決めるんです。
女 …
男 映画で言えば、監督のような仕事をするひとです。
女 ああ、
男 映画だと分かるんですね。
女 なんとなく、イメージですけど。で、演出家が読んでどうするんですか?
男 台本に書かれている物語を解釈して劇に仕立てます。
女 物語を、劇に。
男 物語を劇にするにあたって、何を重要だと考えるかは演出家によって違います。
この劇の演出家は、台本が完成されているかどうかということにはほとんど関心がなかったんです。物語がどんな結末を迎えるのかということに、関心がなかったんです。
女 ?
男 つまり、なぜ、どこから、どのようにしてこの物語がはじまらなければならなかったのか、
ということに全く興味がなかったんです。
女 はい。(質問のために挙手する)
男 はい。(質問を許可する)
女 でも、台本が途中で終わってたら劇が終わらなくないですか。
男 その通りです。終わるはずがないんです。
女 終わらない劇を上演できますか?私が見た劇は、ちゃんと終わりましたよ。だから、こうやってまた見に来ることができるんです。
男 それは…いいですか?復習します。
演出家というのは台本に書かれていない部分を作る係です。台本に書かれていないことをいかに魅力的に表現するか、で自分の仕事の質を問われます。
彼らは、台本に書かれていないことならなら、なんでもするんです。
女 台本に書かれていないことなら、なんでも?
男 台本が完結していなければ完結させるんです。
女 なんでもしますね。
男 はじまらない劇を始めることはできませんが終わらない劇を終わらせることはできるんです。
女 あなたえんしゅつかが嫌いなんですか?
男 演出家が特に嫌いなわけではありません。
女 …(ほんとに?)
男 話を戻します。
女 はい。
男 完成されていない台本をもとに、その演出家は劇を完成させました。
女 …。
男 物語がどのように終わるかということは、とても大事なことなんです。
女 …
男 それは、おそらく、その物語の成り立ちに関わることなんです。
物語は最後に終わらせたように、最初に始まるんです。
女 …。
男 ですから、そこは、物語の作者が責任を持って決めるべき事だと思うんです。
女 ……作者は何をしてたんですか?
男 それは…
女 どうして完成させなかったんですか?
男 どうしてなのかはわかりません。
女 嫌になったの?
男 嫌になって放り出したのか、間に合わなかったのか、彼自身が途中で終わってしまったのか…
私には詳しい事情を知るすべがないのです。

女、何か考えている…が、話に割って入る

女 台本が完成しなかったのはえんしゅつかのせいじゃないですよね。
作者のひとがちゃんと終わらせないから、だから、えんしゅつかのひとが仕方なく、代わりに終わらせたんですよね。興味があるとかないとかそういう問題じゃない気がします
男 ですから、あの劇はあんなことになってしまったんです。
女 あんなこと?
男 私は納得できません。
女 ??
男 あの終わり方に。
女 え…
男 私は絶対に、納得することができません。

女、何か考えている…が、話に割って入る

女 その、作者のひとが、理由はわからないけど、台本をちゃんと完成させなかった。
男 はい。
女 でも、演出家さんが、それを無理矢理終わらせて劇にした。
男 はい。
女 あなたは、その劇の展開に納得がいかなかった。
男 はい。
女 それで…??今日ここで再演することになったわけですか?…あれ?
男 ですからそれが…力及ばず…すみません。
女 ?
男 あの劇を再演することはできないんです。

女 意味がわかりません。じゃ、このチラシは何なんです?このチケットは?
男 だましたんです。
女 私を?
男 はい。
女 あなたが?
男 はい。
女 なんのために???
男 やり直したかったんです。
女 再演するってこと?
男 ですから再演はできません。
女 ですからそれはなぜ?
男 できないんです。
女 それは、あなたが作者でも演出家でもないからですか?
男 …あ…え…
女 つまり、あなたは…
男 「…つまりあなたと私は出会ってはいけなかった…ということでしょうか。
こんな、地続きのところで、こんな線一本隔てただけのわずかな距離で、出会うなと?そういう約束事だから出会うなと?」

女は呆然と男を見ている。

女 私…あなたと以前どこかでお会いしていますか?
男 覚えておられますか?
女 どこで?(記憶をたどっている)

女は混乱している

女 あの。…………もしかして、あなたは………

男は舞台裏から椅子を一脚持ってきて、
舞台中央の緞帳の前に客席を向けて置く
※舞台は緞帳の手前に少し張り出している

男「最初に誰が何のためにここに椅子を置いたのかということです。
この椅子がもし、こんなふうにこっち向きに並べられていたら。
あなたは三日月ではなくオリオン座を見ていたでしょう。
もしかしたら、三日月を一度も見ることなくここを去ったかもしれない。
でもあなたは今、私の肩越しに三日月を見ている。
置いてある椅子には置いてあるように座るものです。
そして、そこから見えるものを見るんです。
そこからでは見えなかったものは見ないんです。」
女 それは、「三日月を背にする男」の台詞ですよね。
男 おお。よく覚えておられますね。
女 あの台詞のことはよく覚えてます。

女、混乱している

女 ということは、あなたは…
男 …はい。
女 …三日月を背にする男…役の俳優さん?
男 …どうして??
女 だって。
男 違います。(見るからに)違うでしょう?
女 え?じゃあ、だれなんです?作者でもない。演出家でもない。劇場のひとでもない。
俳優さんでもない。でも劇の関係者…

男「起こらない理由のあること以外はどんなことだって起こるんです。
出会ってはいけないのならこんな無防備な環境を作るべきではなかったのです。」

女、考え込んでいる…

女 …見た感じも話し方も違いますけど、でも、なんだかあなた…
男 実は、そうなんです。
女 (半信半疑で言ってみる)「上演されなかった劇の登場人物が霊になって劇場を漂う」って
聞いたことがありますけど…もしかして…そういう…あれですか?
…いえ、でも、あの劇はたしかに上演されましたよね。
男 あの劇はね。ああいう具合にね。本来あるべき形ではなく。でもたしかに上演はされました。
女 …
男 ですから、漂ってるつもりはありません。私は私の意志でここにいるんです。
女 なんのために?
男 あなたに会うためにです。
女 !?

男 あの時あの劇を見た人にもう一度会うためです。
女 そのために、こんな手の込んだことを?
男 結果的にずいぶん手の込んだことを企てて、しかも失敗しているように見えるかもしれません
が、私は普通にやり直したかっただけなんです。
女 ?
男 ですからまず、作者を探しました。
女 それがいいと思います。
男 ですがみつかりませんでした。
女 …
男 次に…
女 えんしゅつかに相談したんですか?
男 なぜ?
女 だって…、物語を劇にするのはえんしゅつかなんでしょ?
男 作家はみつからない。演出家は信用できない。そんな状況で劇をやりなおすには
どうすればいいか…
女 …
男 論理的に考えてみました。
女 …
男 誰の助けも無くひとりで問題を解決するためには、何よりもまず論理的でなければなりません。
女 はあ。
男 考えてみました。劇が劇になる過程について。
女 劇が劇になる過程?
男 まず、作者が台本を書きます。
女 そして演出家が劇にするんですね。
男 そうです。でも、それだけでは劇にならない。ここに、解決の糸口があると思いました。
女 ?
男 劇が劇になるには最後の過程が必要です。
女 それはなんですか?
男 観客が劇を見る過程です。
女 …
男 劇を劇にする過程は、そこで、完了するんです。
最後に観客が受け取ったものがその劇の内容なんです。
女 その通りだと思います。
男 あなたは観客ですから、当然、そう言うでしょうね。

男 ということは。
女 ということは?
男 作者と演出家と俳優が何を言おうと何をしようと何をしまいと、
観客がこういう劇だったといえばそれはもうそういう劇なのだということです。
女 …
男 私は、作者ではなく演出家でもなく俳優でもなく、この劇の登場人物のひとりに過ぎません。
女 …ついに断定しましたね。
男 さっきのやりとりでこのあたりはもうクリアしているかと…
女 なんとなくそうなんだろうなとは思ってましたけど、
男 なんとなくではなく、そうなんです。
女 …聞かなかったことにしておいたほうがいいですか?
男 いえ。できれば、無理のない形でじんわりと正体が明かせればいいなと思っていました。
女 かなり無理ありますけど…無理のない形で伝えられるような内容じゃないと思いますけど…
でも、無理すれば、納得できないことはないです。
男 ありがとうございます。では先に。実はここにあまり時間をかけられないのです。
女 え?

男 続けます。
女 はい?
男 そこであなたにお願いがあります。
女 なんですか?
男 あなたの見た劇は、実はああいう風に終わらなかった、ということに
して頂けませんでしょうか。
女 はい?なんですって?
男 ですから、あなたの記憶の中にあるあの劇を、ああではなくて、本来あるべき劇に
修正して頂きたいのです。
女 なんのために?
男 やり直したいんです。
女 再演するってことですか?
男 わからないひとですね。再演はできないんです。
女 なぜ、できないんです?
男 ですから、私が作者でも演出家でもなく俳優でもなく登場人物のひとりに過ぎないからです。
女 あなたひとりで劇をもう一度上演するのは難しいでしょうね。というか無理ですね。
男 そうです。
女 それでも嫌です。
男 なぜ?
女 私が見た劇はそんな劇じゃないからです。
男 そんな劇じゃないことは知っています。だからお願いしているんです。
女 お願いされても嫌です。
男 なぜ?
女 だいたい、あなたに何の権利があってそんなこと…作者でもないのに。
著作権侵害です。断固反対します。
男 反対って…著作権って…そもそも作者がちゃんと仕事をしないのが悪いんです。
女 そんなことは私には関係ありません。上演する前に修正するのはありだと思いますけど、
もう上演してしまった劇をお客の記憶のなかで修正するなんて、そんな話、聞いたことがありません。そんなのなしです。卑怯です。そんなのがありなんだったら、最初から上演しないでお客に直接好きなように説明すればいいんです。
男 また極端なことを。
女 あなたが言ってるのはそういうことですよ。お客の受け取り方次第で劇の結末が変わるなんて、
あり得ません。私は劇の一部じゃありません。私が劇を見て何を感じるかを誰かに決められたくありません。
男 そんなに熱心に嫌がらなくても。私は当事者ですよ。本人ですよ。本人が言ってるんですよ。
女 本人だから何なんです。そもそも作り話でしょ?フィクションでしょ?虚構でしょ?つまり、嘘でしょ?嘘の話の当事者ってなんですか?嘘の話の本来あるべき内容って何なんですか?
男 現実のひとにとってはたかが虚構かもしれませんが、
たかが虚構の私にとっては虚構の中で起きる事はすべて虚構的にほんとうのことなんです。
女 知りません。私。現実のひとなんで。
男 私だってそう思ってました。
女 なんですって?
男 いえ…
女 それに。私の記憶を訂正したって解決しませんよ
男 ?
女 もういろんなひとに、話しちゃいましたから。
男 え?!
女 そんなに驚かないで下さい。
男 はあ
女 見てきた劇のことをひとに話す事ってふつうにあることじゃないですか。
男 何人くらいのひとに、話したんです?
女 さあ。何人だったかしら?
男 誰に話したんです?
女 さあ。誰だったかしら?
男 それは…反則です
女 どうして?
男 だって、あなたから聞いた話は、あなたの主観が混じるでしょう。
女 私が見たものだって私の主観が混じってるんだから同じじゃないですか。
男 どんな風に話したんです?あの劇のことを。
女 そんなの、話す時によって違いますよ。
男 ?
女 話す相手によっても変わるし。
男 …だったら、修正してくれてもいいじゃないですか。
女 嫌です。私は、あの時見たあの劇を初めから終わりまでもう一度見たいんです。
男 ですから、それは、できないんです。

男、何をどうやってもうまくいかないので困っている。

女 (チラシを見ながら)「誰もいない森で、木が倒れた。そのとき、音はするのか…」
男 ?
女 2年前のチラシには書いてあったんです。
男 ?
女 今回のチラシにはありませんね。
男 はい。
女 なぜですか?
男 その問いには、「音はしない」と答えるのが正解だからです。
女 ?
男 これは、ジョージ=バークリーという哲学者による存在と認識についての議論です。音というのは空気の振動が鼓膜に伝わって知覚されるもので、知覚する鼓膜、つまり聞くひとが誰もいない状況では<音はしない>と考えるのが妥当だということです。
女 たしかそんなふうな台詞がありましたね。
男 そうです。あの劇の結末はその議論を下敷きにして作られましたから、
あの劇を見た人はみんな、なるほどそうかと思ったんじゃないでしょうか。
女 なるほど…そうですね。
男 そうでしょうか?!
女 ?
男 そうなんでしょうか?!!

女、男の勢いに圧倒されている…

女 でも、でも哲学なんでしょ?
男 哲学だったらなんなんです?なぜ、自分の事情を哲学に説明されるんです?
女 あなたが登場人物だから…?
男 私はあの劇の登場人物であって、哲学の登場人物ではありません。
女 あなたの事情とその哲学は何か関係あるんですか?

男 音を。聞いたような気がするんです。
女 あなたが?
男 はい。
女 誰もいない森の奥で木が倒れた音を?
男 はい。
女 あなたそんなこと言ってなかったと思いますよ。
男 言いませんでした。そういう台詞がなかったからです。
女 ほら。
男 ひとは、言葉にしたことだけを考えてるわけではありません。特に劇の登場人物は。
女 木が倒れたとき、あなたは、森の中にいたんですか?誰もいない森に?
男 誰も居ない森の中に誰かいるわけないでしょう。
あの物語は、私が森を離れた後に始まっています。
女 じゃあ、森の外で聞いたんですか?森の奥で木が倒れた音を?
男 そうです。森の中には誰もいませんから。聞くのであれば森の外です。
女 そんなの変です。
男 なぜ変なんです?誰も居ない森の奥の音は森の外の誰かには聞こえないんですか?
女 …
男 月が出ていました。
女 木が倒れたのは夜だったんですか?!
男 凍るような三日月の夜でした。森の中はうっすらと明るくて。
地面に落ちた木々の影がさらさらと揺れていました。
女 待って。あなたは森の外にいたんですよね。
男 そうです。
女 なぜ、森の中の様子を知ってるんです。
男 音が聞こえたからです。そんな森の奥で、そんな風に木が倒れる音が。
女 あなたが聞いた音が、その森から聞こえてきた音だっていう証拠があるんですか?
男 ありません。
女 じゃあ、あなたの思い込みかもしれないじゃないですか。
男 そうかもしれませんが、そうじゃないかもしれません。
女 …
男 とにかく私は、あの劇の結末には納得できないんです
女 どうして?
男 あの森がたしかにあそこに在ったことを知っているからです

男 誰もいない森には、誰がいないんでしょう。
女 ……
男 誰かいるときは誰がいるのか気にするのに、誰もいない時は誰がいないのか誰も気にしない…
女 …
男 誰もいない森の奥で木が倒れた。物語はその森から始まっています。
女 でも…
男 ですから、あの物語はああいう風に終わるはずがないんです。
女 でも、あなたの言ってることが正しいなら、その演出家はどうして、あなたが思ってるような
結末にしなかったんですか?
男 彼が語ろうとしたのはあの森ではないからです。
女 どうして?森を間違えたんですか?
男 !(一瞬言葉につまるが…やがて笑い出す)
女 なんですか?
男 …そうですね。わざと、間違えたのかもしれませんね。
女 ?
男 彼には、自分の知らない森のことを語る必要と理由と方法がわからなかったんです。
女 ?
男 どこにどんな風にあるのか、いえ、そもそもあるのかどうかもわからない森のことを、手を尽くして誰かに伝えたいと思わなかったんです。
女 それは思わないでしょうね。
男 ですから彼は、彼がよく知っていて、彼自身が十分に魅力的だと思っている別の森について伝えることにしたんです。
女 …そんなことしていいんですか?
男 (無視して続ける)森が違うんですから、劇の結末も違います。
女 … 
男 あの劇にはあの結末がきっと正しい。
女 …
男 知っている森のことですから自信を持って紹介できる。説得力も魅力もある。
女 …だったら
男 観客も安心して劇を楽しむことができます。
女 …
男 そういう劇を創ったんです。彼にはそういう劇を創る責任がありますから。
女 …
男 実際、あの劇は、たくさんの観客に受け入れられた。
女 たしか…チケットもぜんぶ売り切れたって。
男 そう。とても評判がよかったんです。
女 あなたは何が気に入らないんですか?
男 私は劇の登場人物です。
女 「三日月を背にする男」
男 そうです。私はたしかにあの森にいたんです。
女 …
男 ですが、最後まで見届けることができなかった。
女 …
男 森を離れたからです。私だけじゃない。一人残らず、そこを離れなければならなかった。
女 だから誰もいなくなったんですか?
男 だから納得したくない。
女 …
男 あの森がどこにどんな風にあって、そこにはどんな木が植わっていて、どれくらい広くて、森の奥はどれくらい暗くて、どれくらいの時間どんな風に月の光が差し込むのか。どこにあるどれくらいの高さの木がどんな風にどういう理由で倒れるのか…。彼は結局何も知らなかった。知らないことを知るために語ろうとは思わなかった。音がするのかどうか知るために彼自身が耳を澄ますことを思いつかなかった。
女 …
男 語るべき森が選ばれて、語るべきことばで語られて、語るべき姿で観客に届けられた。
女 …
男 あの森は、その過程のどこにも入る余地が無かった。

しばらく。長い間。

女 あなたは。森の外とか中とかにいたから知らないでしょうけど。
男 ?
女 チケットが売りきれるくらい人気の公演だったのに、最後の日、一番前のこの(通路の横の)席は、劇の間、ずっと空いてたんです。
男 ?  
女 あの劇の間、ずっと空いてたんです。
男 誰が座ってなかったんです?
女 私は、あの日も、劇が始まる前からこの席に座ってました。
男 …
女 あの日はここに座っていたら劇が始まりました。劇が始まっても隣の席は空いたままでした。
劇が終わっても空いたままでした。空いている席の隣に、私は劇が終わった後もしばらく座っていました。
男 …誰かと一緒に見るはずだったんですか?
女 (答えない)私は劇を見たことがなかったんです。
男 そういうひとは多いです。
女 あの日、初めて劇場へ行ったんです。
男 …
女 劇を創るひとは、劇を見ないひとを劇場に連れて行きたがるんです。
男 劇を創るひとと見に来たんですか?
女 (答えない)見ればきっとわかると思ってるんです。
男 何がわかるんです?
女 知りません。私は劇を創りませんし、見たのも1回だけですから。
男 …はあ。
女 行ってみることにしたんです。
男 劇場に?
女 劇場に行って劇を見れば、劇を見ればわかることだと劇を創ってる人が思ってることが、わかるかと思って。
男 ん…(頭を整理している)
女 私に何を見せたいのか、わかるかなと思って。
男 …
女 公演の半年前にチケットを一緒に買いました。チラシを、部屋に貼って…
男 例の、出演者の名前が書いてあるタイプのやつですね。
女 (無視して)そして、あの日、劇場へ行ったんです。
男 あ………あれ?…あなたさっき、ひとりで…って
女 ひとりで行きました。
半年あれば。けっこういろんなことが半年前とは全然違ってたりするんです。
男 …
女 あの劇だって、半年前には劇じゃなかったでしょ?
どんなふうに始まってどんな風に終わるのか、誰も知らなかったんでしょ?
男 おそらく。
女 作者のひとだって知らなかったくらいですもんね。
男 …
女 その劇を見る理由も見せたい理由もなくなったけど、それで劇がなくなったりはしないんです。
男 …それは…そうです。
女 そういうわけで、私は見る理由のない劇を見たんです。
男 …何かわかりましたか?
女 わかるわけないじゃないですか。
男 …
女 ないんですから。
男 …
女 ほんとうはどうだったのかとかどうでもいいんです。誰が始めたとか誰が終わらせたとか
どうでもいいんです。どの森がほんとうの森とかどうでもいいんです。
男 …
女 私は、あの劇と同じ劇を終わりまでもう一度見たいんです。
今日は、あの劇を見に来たんです。
男 …なぜ?
女 なんだかものすごく複雑でものすごく大変そうですけど、
でも、私にはあなたの事情はわりとどうでもいいんです。

女 ごめんなさい。
男 いや…謝らないでください。私も同じ気持ちですから。
女 え?
男 だって、あなたの問題は…まあこういっては何ですが……所詮、劇の外の話じゃないですか。
女 !?
男 誰もいない森の奥で木が倒れた。
女 …
男 客席にいたあなたにとっては劇の中の架空の森の話にすぎないんでしょうが。
女 …
男 どんな場所にも当事者はいるんです。

女、ふと横を見ると、男が隣の席に座っている。

女 えー?!なんですか?

男、女にチケットを見せる。

女 …あなたの…?
男 A-6番です。

しばらく。ふたり、座っている。

女 今日、この席には誰が坐ってるのかなと思ってたんです。
男 …?
女 誰が座ってても誰なのかわからないでしょうけど、誰が座ってるのかなと。
男 …誰でしょう。
女 三日月を背にする男…
男 わかってよかった。
女 ?
男 隣に誰が座るのか、わかったほうがいいと思います。

女 あれ…。ちょっと待って下さい。
あなたは劇の中では、こちらを向いて二人で向かい合わせに座ってましたよね。
男 はい。私が三日月を、彼女がオリオン座を背にしていました。
女 舞台の向こうに三日月、客席の後ろにオリオン座が出てたんですよね。
男 よく覚えてますね。
女 つまり、あなたが見ていたのはオリオン座、向かいの彼女が見ていたのは、三日月…
男 はい。
女 あなたがここに座ると三日月はこっちに(客席の後ろを指す)出ていますか?
今客席からはオリオン座が見えるんですか?…ここにすわっていれば、私にもオリオン座が見えますか?
男 見えません。
女 じゃあ、あなたがここに座るとあなたには何が見えるんですか?
男 ここからは三日月が見えます。オリオン座があっち(客席の後ろを指す)、三日月があっち(舞台の奥を指す)です。
女 あなたにはもう、オリオン座は見えないんですか?

男、立ち上がりって舞台に上がり、緞帳の前の椅子の後ろに客席を向いて立つ。

男 「最初に誰が何のためにここに椅子を置いたのかということです。
置いてある椅子には置いてあるように座るものです。そして、そこから見えるものを見るんです。そこからでは見えなかったものは見ないんです。」
女 …?
男 (舞台に置いた椅子に座る。)ここからはオリオン座が見えます。オリオン座があっち、三日月があっちです。
女 オリオン座は、客席からは見えないんですね。

男、女の顔をじっと見る。なにか考えている。

男 あなたがあの日、この劇場へ劇を見に来たのは、
女 会いたくなかったからです。
男 ?
女 ここにいるのがいちばん、会わずにすむと思ったから。
男 …
女 そして実際そうだった。
男 …
女 ここに座っていたら劇が始まった。だから劇を見てたんです。
男 …
女 劇が終わる時間まで。
男 …
女 修正することはできないんです。
男 ?
女 覚えてないんです。どんな風に終わったのか、
男 …!!
女 私はたしかにここに座ってたけど、劇を見てたけど、あなたの台詞も覚えてるけど、
でもどんな風に終わったんだか思い出せないんです。
女 あの劇が、どんな風に終わるのか、見に来たんです。
男 …
女 だから、あなたに協力することはできないんです。

男 ………どんな風に終わるのか、あなたはまだ知らないんですね。
女 …

男、じっと女の顔を見ている。
が、ふと思い出して時計を探す…乱暴に女の腕を取り、時計を確認する…
女、思わず腕を引っ込める。

女 …始まらない劇を始めることは演出家にもできないんですよね!
男 …?
女 実は、誰も、何も、始めないのかもしれないですね。
いつの間にか始まってたことを自分が始めたような顔をして終わらせてるだけで。終わらせたことを、さかのぼって、自分が始めたような気になってるだけで。
男 ん?じゃあ、この劇の作者は何をしたんですか?

女、ちょっと考えて。

女 音を……聞いたんじゃないでしょうか。
男 どんな?
女 どんな音がしたのか知ってるのは音を聞いたひとだけです。
男 …
女 あなただって…。


女「誰も居ない森の奥で木が倒れた。その時音はするか。」
男 ?
女 私は、聞きました。
男 え?!
女 っていうひとがいるかどうかじゃないでしょうか。森の外に。
男 いいんですか?それだけで…
女 それだけではダメですか?
男 ?
女 誰かが確かに聞いたというのを、「そんなはずはない」って否定するんですか?聞かなかったひとたちが?

男、なにか考えている。しばらく。

男 聞こえたんですね。
女 きっと。
男 だからあの森はああやってあそこにあったし、私たちはあの森にいた…
女 どうして途中でやめてしまったんでしょうね。
途中でやめてしまったら、終わらせられないじゃないですか。終わらせないと終わらせたように始まらないじゃないですか。それじゃ、誰にもわからないままじゃないですか。
男 わからなくなったのかもしれません。
女 なにが?
男 そもそも、ほんとうに、自分はその音を聞いたんだったのか。
女 …
男 聞いたのは彼ひとりなんです。空耳だったのかもしれないし、思い込みだったのかもしれない。
たしかめる方法が何もないんです。そんな根拠の不安定な森のことなんて…。
女 でも、それじゃ、その木のことは、誰も知らないままじゃないですか。
みんなが知ることができるのはみんなが知ってる森のことばかりじゃないですか。
男 …語るべき森が選ばれて、語るべきことばで語られて、語るべき姿で観客に届けられるんです。
女 …知るすべがないというわりには、いろいろよく知ってますよね。
男 想像してるだけです。自分しか知らないし、実は自分だって知ってるのかどうかよくわからない
もののことをあなたは最後まで信じることができますか?
女 …
男 たいへん残念ですが。そろそろ…
女 え?
男 劇の登場人物が観客の前にいるのは劇が上演されている間だけです。
女 ?

男、緞帳の前から客席へ降りてくる。客席の椅子をひとつずつ、緞帳の前に積み上げて片づけ始める…一番前の列の椅子を着々と片づけていく。
女は立ち上がり、それを呆然と見ている…

男 この劇の上演時間は1時間です。
女 でも…始まってないんでしょ。始まってない劇がどうして終わるんですか?
男 ここが劇場だからです。
劇場では、劇は始まる時間が来たら始まって、終わる時間が来たら終わるんです。
女 わたし、また騙されてるんですか?
男 (答えない)
女 またここへ来たら会えますか?
男 あなたは、もうここへはこないと思います。
女 どうして?私はもう少しあなたと話をしたいんですけど
男 今はそう思っても、きっと、劇場を出たら変わります。
女 そんなことないですよ。ちゃんと覚えてて、そして誰かに話したりしますよ。観客は、劇を創ること以外はなんだってやるんです。

男、女の座っていた椅子も片づけようとして持ち上げる…が、ふと考え込む。そしてその椅子を女に差し出す。

女 え?

女、突然椅子を差し出されて困る。…が、受け取ってしまう。

男 ぜひ、話してください。でも、きっともうあなたは来ないと思います。
女 どうして?
男 もっと別の劇を見に行くからです。いろいろな劇を見れば、どの劇もあの劇とは違っていて、
あの劇とは違う風に面白かったり面白くなかったりすると思います。面白い劇を見ればあの劇は他の劇のように面白くないことに気づくかもしれません。いや、もしかしたら反対に、あの劇ほど面白い劇には一生出会わない可能性もありますが。

女、渡された椅子を持ったまま舞台に上がる。緞帳の前に積まれた椅子の横に客席を向けて置く。
男、それを見ている。
女、自分の置いた椅子に腰かける。客席を向いて座る。
そこからはオリオン座が見える。

女 …劇をたくさん見たりしません。
男 では、これからいろんな劇場へ行って、いろんな劇を見てください。
女 あなたはこれからどうなるんです?今ここは客席で、森の中でも外でもないですよ。
劇は始まらなかったのにここは劇場だから1時間で終わるんでしょ?
男 私にもわかりません。
ですが、ずいぶん「椅子を並べた」ので、片づけるにはもうしばらく時間がかかります。
女 椅子を並べた…(空っぽの客席を見渡している)
そういえば、劇の中にそんな台詞がありましたね。
男 表現は多少違いますけど、どこの国にも昔からある言い回しです。
女 ことわざみたいなものですか?

男、一番前の列の椅子を片づけ終わると手を止め、女の横に立ち、並んで客席を見る。女も客席を見ている…

男 空っぽの椅子があると…誰かが…
女 誰かがいないんだなって思いますね。

男、女に先取りされて口ごもる…が…

男 …あるいは……、誰かが……いるんじゃないか、という気がしてきます。
女 …

ふたり、並んで、まだ片づけられていない二列目以降の客席を見ている。
彼らの目には誰も見えていない。

男 今日、このたくさんの空席には、誰が、座っていなかったんでしょうね。
(女の隣に腰かけようとする)
男のことばを遮るように突然暗くなる。
しばらく。

真っ暗な中。
木の倒れる音がする。凍るような三日月の夜に森の中で木が倒れる音が。
やがて。
舞台が明るくなる。
緞帳が開いている。
舞台の上には客席が、こちら向きにずっと奥まで並んでいる。
つまり、灯ったのは舞台の上の客席の灯。
女が最前列の通路から二番目の席に座ってこちらを見ている。
しばらく座って前を見ているが、やがてトランクを持って立ち上がり、通路を通って舞台奥へ去る。
扉の閉まる音がする。
……外へ。出て行ったのだ。                     


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