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ここはどこかの窓のそと(60分3人)

作:久野那美   (2000年12月 山羊の階上演台本)


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登場人物 (3人)
本を読む女
建物を訪ねる男
エプロンの女・手紙 

< 0 >   がたん、がたん、がたん…。真っ暗な中で、電車の音。

手紙  だんだん寒くなりますけど、お元気ですか?
風が強いのに。今日はなんだか、ずいぶん静かです。
窓の外に空が見えます。
遠くに、空が見えます。
空はとても薄くて高くて、
空の下には建物があって、
たくさんの建物があって、
建物の窓には…
今ここから見えるものをみんなあなたに伝えたいのに。

そこからは、今何が見えますか?
窓の外に何が見えますか?
遠くに何が見えますか?
空の下には…
聞きたいことがたくさんあるのに。

ですけどこれは、最後の手紙です。
・・・・さようなら。 11月30日木曜日。快晴。

電車が通り過ぎていく。


< 1 >空は高く晴れている。
建物の裏口。
太陽は真上近くにあるが、北向きの裏庭にはほとんど陽が差していない。
周囲を破れた柵で囲っただけの裏庭には隙間風がびゅーびゅー吹いている。
中央に大きなドラム缶があり、細い煙があがっている。
地面にはみかんがふたつ転がっている。

壁にはチョークやマジックの落書き。
定番の相合い傘に混じって、数学の公式とか、円とか放物線とか、英単語とか乱雑に描かれている。

近くに高架の駅があるらしく、電車の音が時折り聞こえてくる。
女がひとり、壁にもたれて本を読んでいる。

ごおおおっ。音を立てて、飛行機が空を横切っていく。
白い雲を引いて、ゆっくりと通り過ぎていく。
女は空を見上げ、細い雲を目で追う。
しばらく…。
階段の上から音がする。
エプロンをつけた女が、2階から駆け下りてくる…。

エプロン  (あたりを見回して)あれ?
女 …
エプロン   おかしいな。
女 …
背後にいる女に話しかける。
エプロン   何か来ませんでした? 今。
女 ………え?
エプロン   (あたりを見回して)おかしいな。
女 ?
エプロン   音がしたような気がしたんですけど…
女 ……あれじゃないですか?(空を見上げる)
エプロン   え?
 
エプロンの女、同じように空を見上げる。
青い空に、クレヨンでひいたような飛行機雲がひとすじ。
 
エプロン   あら。 ずいぶん低いですね。
女 …ええ。
エプロン   どうしてなんでしょう。
女 …さあ。
 

 
女 何か来るんですか?
エプロン   本が届くんです。
女 本?
エプロン   ええ。届くはずなんです。
女 …どんな本ですか?
エプロン   さあ。届いてみないとわかりません。
女 …
エプロン   届いた本を本棚に並べて、汚れたり破れたりして読めなくなった本と入れ替えるんです。
女 本を…。
エプロン   もしかして、開くの待ってます?
女 …
エプロン   ごめんなさい。今日休館日なんですよ。
女 休館日?!
エプロン   せっかく来て頂いたのに…すみません。
女 …今日は…開かないんですか?
エプロン   すみません。返却だけならできるんですけど。
女 …どうしてお休みなんですか?!
エプロン   明日から12月でしょう。11月30日は、書庫整理の日なんです。
女 …書庫整理…。
エプロン   ええ。
 

 
女 あなたは、図書館のひとですか?
エプロン   ええ。
女 ずっと?
エプロン   え?
女 いえ。
エプロン   …?
女 あの…
エプロン   はい?
女 ここにいると邪魔ですか?
エプロン   今日は休館日です。
女 …
エプロン   だから誰も通りません。
女 …。
エプロン   それにここは図書館の外ですから。
女 …。
エプロン   どうぞ、ご自由に。
女 はい…
 

 
エプロン    何の本ですか?
女 ………物語です。
エプロン   何の?
女 ……………風の話です。
エプロン   風?
女 秋が冬に変わる瞬間に空へ帰っていく、最後の風の話です。
エプロン   …風…。
女 ええ。
エプロン   秋が冬に変わる瞬間って、いつですか?
女  11月30日の4時半です。
エプロン   そんなにきっちりきまってるんですか?
女 ええ。本に、そう書いてあるんです。
エプロン   書いてあるんですか…。
女 ええ。
エプロン   (空を、見ている)
女 あの。
エプロン  休館日なんです。
女 え?
エプロン   11月30日は、書庫整理の日なんです。
女 はあ…。
エプロン   毎年。
女 …
エプロン   私はひとりでその風を見送らないといけないんですね。
女 …。
 

 
女 …古いんですか?この図書館。
エプロン   (無視する)
女 書庫整理は…
エプロン   11月30日です!
女 …絶対に?
エプロン   ええ。
女 そんなにきっちり決まってるんですか?
エプロン   ええ。
女 どうして?
エプロン   図書館って、そういうものなんです。
女 図書館…。
       木枯らしが吹く。寒い。

エプロン   風がずいぶん冷たくなってきましたね。
女 ええ。
エプロン   ごめんなさいね。寒いでしょう。
女 え?
エプロン     ここは風が強いし。
女 …いえ…。
エプロン   でもね。開けるわけにはいかないんです。
女 …?
エプロン   休館日ですから。
女 …いえ。
エプロン   どうしてもね。開けるわけにはいかないんですよ。
女 いえ…そんな…おかまいなく。
エプロン   でも、寒いでしょ。
女 いいえ。
エプロン   寒いはずです。風がこんなに冷たいんだから。
女 寒くはないです。
エプロン   ほんとに?
女 ほんとに。
エプロン   でも…。
 
エプロンの女、干してあった座布団をドラム缶の前に置く。
女は呆然としてそれを見ている。

エプロン    どうぞ。
女 …。
エプロン   ここなら少し暖かい。
 
女はドラム缶を見ている。
 
女 …たき火ですか?
エプロン   ええ。
女 図書館の裏で?
エプロン   ええ。でも、もうあらかた燃やしてしまったし。
女 何を燃やしてるんですか?
エプロン   …そっちは煙がかかるから。
女 …
エプロン   こっちの方がいいですね。
女 …。
 
エプロンの女、座布団を適切な位置に設置する。
女は仕方なく、座布団に座る。
 
女 …すみません。
エプロン   いいえ。せっかく火を焚いてるんですから。
女 あの。
エプロン   はい?
女 ……夕方まで、ここにいてもいいですか?
エプロン   夕方?
女 …図書館が閉まってるって知らなかったので。
エプロン   ?
女 夕方までここにいるつもりだったから。
エプロン   いいですよ。
女 すみません。
エプロン   いいえ。だって今日は休館日です。
女 …
エプロン   そしてここは図書館の外ですから。
女 …。
エプロン   どうぞ、ご自由に。
女 はい…
 
女は座布団に座って本を広げる。
 
エプロン    本を読むのは好きですか?
女 ええ。
エプロン   いいことです。
女 そうでしょうか。
エプロン   そうですよ。図書館へ行けばきっとそう言われますよ。
女 …好きですけど……
エプロン   ?
女 読んだことをちゃんと覚えてられないんです。読む度に、違うことが書いてるんです。
エプロン   いいじゃないですか。1冊の本を何回も楽しめて。
女 そうでしょうか。
エプロン   ええ。そうですよ。
女 でも…みんながそうだったら、
エプロン   ?
女 図書館がいらなくなりますよ。
エプロン   …それは困りますね…。
 
女はふたたび本に目を落とす。
エプロンの女、ふと壁に目を留める。
大きな○と、その接線が、チョークで書いてある。
 
エプロン   あーあ。また増えてる。なんでここに書くんでしょうね。
女 …?
エプロン   あら。
 
エプロンの女は壁を見ながら何か考えている。
女は怪訝な顔で見ている。
 
エプロン   (ふっと思い出したように)こんな話、知ってますか?
女 え?
エプロン   題名は忘れちゃったんですけど…。円と直線の物語。
女 円と、直線?
エプロン   ええ。円には円の法則があって、直線には直線の法則があって、どっちの法則にもあてはまる点が1点だけあって、円と直線はそこで一回だけすれ違うんです。
女 …
エプロン   一瞬だけ出会って。そして別れていく…
女 ……悲しい物語なんですか?
エプロン   かなしい?
女 ええ。
エプロン   かなしい…。
女 悲しくないですか?
エプロン   かなしい…。(なにか考えている)
 
やがて。
 
エプロン   点には面積がないんですって。
女 え?

 
エプロン   数学の世界では。点には面積がないんですって。
女 そうなんですか。
エプロン   面積の無い場所で、どうやって会うんでしょうね。
女 …円が?
エプロン   線と。
女 …会って、それからどうなるんですか?
エプロン   「そのとき円は直線の一部になる。直線は円の一部になる。」
女 それで?
エプロン   それだけ。
女 …
エプロン   そして別れて行く。
女 それで?
エプロン   おしまい。
女 どういうジャンルの物語なんですか?
エプロン   冒険活劇。
女 ふうん。
エプロン   …かもしれないし、
女 …
エプロン   ミステリーかもしれないし、
女 …
エプロン   ラブストーリーかもしれません。
 

 
女 会うことしかできない場所なんですね。
エプロン   ええ。でも、面積があれば…、他に何ができたんでしょうね。
女 円が?
エプロン   線と。
女 うーん(つい考えている。がわからない。)
エプロン   何かできたら。それはもう円じゃないんですよね。
女 …、
エプロン   それはもう、線じゃないし。
女 …数学に詳しいんですか。
エプロン   読みかじりの知識は多くて。いろんな本がありますから。
女 本…読むんですね。
エプロン   ここは図書館ですよ。(憮然として胸を張る)
女 そうですけど…。
 

 
女 物語が好きなんですか?
エプロン   好きですよ。
女 どんなところが?
エプロン   始まった物語は必ず終わるところ。
女 …?
エプロン   まだ事件の起こらないミステリーを読みながら、まだ出会わない二人の運命を読みながら。どきどきしながら、でもおしまいのページをこっちの手で持ってる。
女 …持ってる。
エプロン   でも、終わるまでにはページのぶんだけ時間がかかる。
女 …
エプロン   ページの数だけ紙がめくられて、言葉の数だけ目が移動するまでは絶対に終わらない。
女 それは…
 
突然。
ピンポンパンポン。チャイムの音。
スピーカーから聞こえてくる大きすぎる音に、ふたり、どきっとする。
 
エプロン   …ごめんなさい。
女 あの…
エプロン   12時のチャイムです。
女 …でも、休館日じゃないんですか?今日…
エプロン   休館日ですよ。
女 休館日でも、チャイム鳴るんですか?
エプロン   疑ってるんですか?
女 いえ…そんな。でも…
エプロン   ここの館内放送、オートメーションなんですよ。
女 オートメーション?
エプロン   ええ。
エプロン   タイマーがセットされていて、決まった時間に決まったチャイムと音楽がなるんです。
女 …そうなんですか…
エプロン   じゃあ。お昼ですから。これで。…どうぞごゆっくり。
女 ……はい。
 
エプロンの女、落ちているみかんをふたつ、拾ってエプロンのポケットへ放り込むと建物の中へ入       って行った。
女はひとり。そこに残される。
空を見上げる…。

高架の線路の上を、電車が通り過ぎていった…。

< 2 >同じ日の同じ場所。
日は真上より少しだけ西にずれている。
裏庭はまだ建物の影になっている。
座布団の上には、本が1冊置いてある。
女の姿はない。

裏道からリュックを背負った男が入ってきた。
あたりを見回し、歩き回っている…。
いぶかしげにドラム缶の煙を見上げ…。
ポケットからたばこを取り出し火をつける。
電車が1台通過する…
 
しばらく…。
 
男は座布団の上の本に気づき、ふと手に取ってみる。
女が戻ってくる。男は女に気づかない。
女が突進してきて、男
の手から本を奪い取る。
男は唖然として立ち尽くしている。
 
女 …すみません。
男 …いえ。すみません。置いてあったんで…。 あなたの本でしたか。
女 いいえ。
男 え?
女 でも…。まだ…。
男 …?
女は座布団に座り、本を広げる。
男 あの…
女 閉まってますよ。今日。
男 え?
女 図書館…。
男 図書館?? どこの?
女 ここの。(裏口を指す)
男 図書館…。
女 ここの。
男 図書館なんですか。
女 ええ。
男 嘘。
女 どうして?
男 だって…。こんな地味なのが図書館?
女 裏口なんです。
男 …図書館だったんですか…。
女 図書館が地味だと何か問題あるんですか?
男 いや…
女 表は向こうです。表はもうちょっと派手だと思います。
男 ……表は開いてるんですか?
女 閉まってます。休館日なんです。
男 休館日?
女 図書館の。書庫整理の日なんです。
男 あなたは、図書館のひとなんですか?
女 違います。
男 何してるんです?ここで…。
女 …え…あ…。
男 ?
女 …待ってるんです。
男 待ち合わせですか?
女 …あの…
男 休館してる…図書館の…裏庭で…待ち合わせ…。
女 そんないかがわしい言い方しないでください。
男 いやあ。だけど…
女 あなたこそ何なんですか?
男 え?
女 何のご用ですか?
男 いえ…(なぜか困っている)
女 どこから入ってきたんですか?
男 どこって…そこの裏道から…。
女 図書館に用事があるんじゃないんですか?
男 …違います。
女 でも、これ以上歩いても、あそこで行き止まりですよ。(図書館を指す)
男 あの…。
女 何のご用ですか?
男 いや…。
女 実は本を借りに来たんですか?
男 …違います。
女 じゃあ何ですか?
 
電車の通りすぎる音。
 
女 …駅が近くにあるんでしょうか。
男 電車で来たんじゃないんですか?
女 ええ。私は。
男 小さな駅ですよ。
女 小さな駅。
男 ほとんど誰も使わないような。
女 なんでそんなところに図書館を?
男 …ねえ。
女 …くわしいですね。
男 …いや、最近のことは知りませんけど。
女 …
男 昔は…そうでした。
女 昔?!!
男 え…え。ずいぶん、昔。でも、変わってないんで驚きました。
女 この辺りに…住んでらっしゃったんですか?
男 この辺りというか…電車で3つ離れた駅です。
女 電車で3つ。
男 ここから反対側に3つ離れた駅に学校があったんです。
女 1、2、3、4、5、6、…(指を折って数えている)
男 急行だとひとつでした。
女 …。
男 間に5つ駅があったんですけど。どの駅にも一度も降りたことがありませんでした。
女 …
男 窓からいつも見ていたのに。
女 …
男 3つめの駅と4つ目の駅の間に、妙に背の高い建物があって…
女 …。
男 殺風景な、古い、灰色の…。
女 …
男 何の建物なのかわかりませんでした。
女 …
男 そこにはいつも人の気配がなくて。
女 …
男 煙があがっていました…。
女 煙…。
男 図書館だったんですか…。(なんだか納得がいかない)
女 何だと思ってたんですか?
男 ……焼却場か何かだと…
女 焼却場に何しに来たんですか?
 
男は少し言葉に詰まる…
 
男 …乗る電車を間違えたんです。
女 ?
男 はじめてこの町の駅で電車が止まりました。
女 …。
男 ドアが開いてはじめて気が付きました。驚いた。
女 あなたが間違えたんでしょう。
男 …気が付いたら電車を降りてしまっていました。
女 降りたことなかったんですか? 
男 …あの駅では。
女 それでここまで歩いてきたんですか。
男 ほかに知ってるところがなかったんです。
女 ここのことだって。知らなかったじゃないですか。
男 …。
 

 
男 何の本ですか?
女 え?
男 …それ。
女 …
男 古い本ですね。
女 ええ。(なぜか困っている)
男 …すみません。
女 ……………物語です。
男 …?
女 物語の本です。
男 …………どんな?
女 本です。
男 いえ…だから…
女 1冊の本と…図書館の話。
男 図書館?
女 おなじところに建っているたくさんの図書館の話です。
男 同じところ?
女 ええ。おんなじ場所。
男 同じ敷地の中に、図書館が並んで建ってるんですか?(すごい情景を想像する…)
女 いいえ。それはおなじ場所とはいいません。全くおなじ場所に図書館が並んで建つわけにはいきません。
男 あの…
女 図書館たちはそれぞれ違う時代に存在していて、そこにはそれぞれの本が集められています。それぞれの時代の人がそれぞれの時代の本を読みにやってきます。
男 …
女 そして、おなじ窓から外を見ている。
男 つまり、同じ図書館なんですか?
女 おなじじゃないんです。
男 …。
女 おなじ窓から別々の風景を見ている、たくさんの図書館の物語。
男 …。
女 同じ時間には。図書館はひとつの町にひとつあれば充分です。図書館が並んで建つことはありません。
男 …
女 その図書館たちは。おなじ場所にいるために、おなじ時間にそこにいることをあきらめました。
男 …。
女 長い歴史の中で、図書館は次々に入れ替わります。
男 入れ替わる…。
女 入れ替わる瞬間、新旧二つの図書館は一瞬だけ接触します。
男 …
女 新しい図書館が生まれる瞬間、もう一方の図書館は同時にそこから消えていきます。
男 …
女 図書館へ来る人たちは、そこにたくさんの図書館があることを知りません。
男 …
女 図書館自身も。過去に自分とは違う図書館がそこにあったことを知りません。
男 …
女 これから先、自分とは違う図書館がそこに現れるかもしれないとも思いません。
男 …
女 同じ窓から外を見ている…。
男 …
女 まったくおなじ場所に建っているっていうのはそういうことです。
男 …
女 そういう、図書館の話です。
 

 
女 ぜんぶの図書館に所蔵されている本が1冊あるんです。
男 図書館全部に同じ本が1冊ずつあるんですか?
女 いいえ。1冊だけ。
男 ??
女 図書館の本は古くなるから、どんどん新しいものに入れ替わっていきます。だけど1冊だけ。いつまでも処分されずに残ってしまう本があるんです。
男 …どうしてですか?
女 図書館が入れ替わる時に、たまたまそこにないからです。
男 はあ。
女 もしかしたら。そこが図書館なのは、誰かが本を借りるためじゃなくて、誰かに本を借りてもらうためなのかもしれません。
男 借りてもらう?
女 届けてもらうために。
男 どこへ?
女 今はまだそこにない、もう一つの図書館に。
男 何が書いてあるんですか? その本には。
女 さあ。
男 それは、どういうジャンルの物語なんですか?
女 冒険活劇。
男 え?!!!!?
女 …かもしれないし、
男 …
女 ミステリーかもしれないし、
男 …
女 ラブストーリーかもしれません。
男 …。
 
男は何か考えている。
女は座布団に座りなおし、本を読みはじめた。

男 どうして中で読まないんです?
女 え?
男 図書館なんでしょう。
女 休館日なんです。
男 (腑に落ちない)
女 何ですか?
男 いえ。
女 何ですか。
男 ほんとうに図書館なんですか?
女 疑ってるんですか?
男 だって…。
女 ?
男 なんか不自然じゃないですか。
女 何がですか?
男 図書館の外で、ざぶとん敷いて、図書館の本の本を読んでるなんて。
女 しょうがないじゃないですか。休館日なんですから。
男 いや。そういうことじゃなくて…
女 不自然だと何か困るんですか?
男 いや…
女 世の中には図書館はたくさんあるし、ざぶとんだってたくさんあるし、本だってたくさんあるんですから、たまにはそういうことだってあるでしょう。
男 …。

図書館の扉が開く。
ふたり、息をのんで見ている。
エプロンの女が現れる。
エプロンの中にたくさんの本を抱えて。
 
エプロン   お取り込み中すみません。
 
エプロンの女は二人の前をとおりすぎ、抱えてきた本をどさっとぶちまけた。
汚れたり破れたりして読めなくなった本が雪崩落ちてくる。
男は呆然としている。女に、目で助けを求める。
 
男 このひとは…
女 このひとが、図書館のひとです。
男 図書館のひと?!
エプロン はじめまして。
男 いえ…あ…こちらこそ…
エプロン    本を探しに来られたんですか?
男 …いえ。
女 昔の…、
男 いや…
エプロン   休館日なんですよ。今日。
男 …
エプロン   すみません。ですから扉を開けるわけにはいかないんです。
男 …
女は持ってきた本をぱらぱらとめくっている。
       
男 手伝いましょうか?
エプロン いいえ。私の仕事ですから。
男 はい…
エプロン お気づかいなく。
男 はい…。
 
男は怪訝な顔でエプロンの女を眺めている。
しばらく…
 
女 寒くないですか?(エプロンの女に)
エプロン   ええ。私は。
女 そうですか。
エプロン   あなたはあたっててください。指が凍えるとページがめくれませんから。
女 はい…。
エプロン   どうぞ、気にしないでください。
 
女はひとり火にあたっているのがなんだか居心地悪くて…
 
女 あたります?(男に)
男 え?
女 寒くないですか?寒いでしょう。
男 え? いや…
女 手だけでも(暖めたらどうですか?)
男 ああ…。
女 そこに座布団もありますし。
 
エプロンの女、男にも座布団を用意し、再び本の山に向かう。
男、しかたなく座布団に座る。
男の両側でふたりの女が本を読んでいる。
しばらく。
男、しかたなく空を見上げる
 
女 …首痛くないですか?(本から顔を上げずに))
男 え?
女 ここ建物が高いから、うんと上をみないと空が見えないでしょう。
男 …はあ。
女 うんと上を見てましたね。
男 …。
 
女も本を置いて空を見上げる。
 
女 11月の空。
男 もう12月ですよ。
女 今日はまだ11月です。
男 …
女 11月は秋です。11月の空は秋の空です。
男 …
 
電車が通過する…。
 
女 …秋はいつ始まって、いつ終わるのか知ってます?
男 え?………いつですか?
女 11月30日に終わるんです。
男 …そんなにきっちり決まってるんですか?
女 ええ。
男 そんな…
女 きっちり決めておくんです。
男 ?
女 決めておかないと。
男 ?
女 終わったことに気がつかない。
男 え?
女 そしたら最初から何もなかったことになる。
男 そんな…
女 いいえ。そうですよ。
男 …
女 そしたらはじめから、何もなかったことになる。
男 …?
女 秋のはじめの日なんか、どこにもなかったことになる。
男 …。秋の始まった日…。
女 覚えてないでしょう。
男 え…
女 だってその日は夏が終わった日だったから。
男 …
女 覚えてないでしょう。
男 …。
女 毎年。
男 …。
女 目の前で夏は必ず終わったし、冬は必ずやってきたのに。
男 …
女 …って。本に書いてあったんです。
男 …ああ。
女 でも、読んだことがあるような気がするだけかもしれない。
男 え?
女 確かに読んだような気がするのに、もういちど読みたくなって探してみても、本の中のどこを探しても、みつからないんです、
男 …。
女 ほんとうは違う事が書いてあったのに、私が読み間違えたのかもしれません。
男 …そんな…。
女 だって肝心なことを覚えてないんです。
男 肝心なこと?
 
びりびりびり…。音がする。
エプロンの女が本のページを破っている。
ふたり、唖然としてそれを凝視する…。
びり、びりり、びり、エプロンの女は楽しそうにページを破っている…。
 
女 …その風が、どっちの方向から吹いて来るのか。(破られている本を見ている)
男 …風?(破られている本を見ている)
女 どっちに向かって吹いていくのか。(破られている本を見ている)
男 ……それは肝心なことなんですか?(破られている本を見ている)
女 ……わからないと見逃してしまうじゃないですか。(破られている本を見ている)
 
男は目の前の光景を打ち消すように座りなおし…。
 
男 始まったのはいつですか?
女 え? 何が?(突然話し掛けられて驚く)
男 11月30日に終わった秋は、いつ始まったんですか?
女 …それは…終わってみないとわかりません。
 
女も男の話に返事をするが、やはり頁を破る音が気になっている…。
 
男 おしまいの日は決まってるのに?
女 ええ。
男 どうして?始まったことがわからないのにどうやって終わるんですか?
女 …。
男 ?
女 終わらなかったら、始まったことがわからないんです。
男 …
女 だから。おしまいの日を決めておくんです。
男 おしまいの日には、何があるんですか?
女 …
 
エプロンの女、何かを思い出したように突然立ち上がり、書庫の中へもどっていく。
ふたり、呆然とそれを見送る・・・
女はエプロンの女の残していった本の山をみつめている…。
しばらく…。
 
女 …風が。
男 え?
女 秋の最後の風が空へ帰っていきます。
男 …風?
女 …秋が冬に変わる瞬間。11月30日の午後4時半。
男 …4時半?
女 最初に下りてくる冷たい風と入れ違いに。
男 …
 
男、思わず腕時計を見る。
       
男 あ。今日は。11月30日なんですね。
女 にしむくさむらい。11月は今日でおしまい。
男 …
女 明日から12月です。
男 …
女 12月は冬です。
男 …(何か考えている…)
女 どうしたんですか?
男 いえ…。
女 ?
男 11月30日…。
女 何か知ってるんですか?
男 …
女 あ!
男 なんですか。
女 何か隠してますね。
男 隠してなんかいませんよ。
女 ほんとに?
男 なんで僕があなたに隠し事をする必要があるんですか。
女 何でですか?
男 だから違うって。
女 ねえ。
男 はい?
女 ……どっちなんですか?
男 え?
女 風はどっちから吹いて来るんですか?
男 …。
 
エプロンの女、ふたたび本を抱えて出てくる。さっきの山に本を追加し…。
男は呆然とそれを見ている…。
エプロンの女、建物の中へ戻ろうとして、ふと立ち止まり、ポケットからみかんをふたつ取り出し、       男に投げ渡す。
エプロンの女、小走りに建物の中へ消える。
男はみかんを両手に立ち尽くしている
しばらく。
 
女 昔読んだ本の記憶って、あてにならないんですよ。
男 え?
 
女は独り言のように話している…。
 
女 この本に書いてあったと思ったのに。その本を今日私は返しに来たのに。今日もう一度読んでみたらどこにも書かれてないんです。
男 え?
女 秋が冬に変わる瞬間。空へ帰っていく風の話。
男 …
女 11月30日の午後4時半。
男 …
女 たしかに、この本で読んだのに…。
男 その本だったんですか…
女 …ええ。でも…
男 でも、あなたさっき…
女 …私が読んだのは図書館の物語でした。
  これまで読んだことのない物語でした。
男 …
女 そんなはずはないんです。だってこの本はずっと私の部屋にあったんですから。
男 …いつ、借りたんですか?
女 ずいぶん昔です。…きっと。
男 きっと?
女 覚えてないんです。
男 ?
女 ずうっと昔からこの本は私のところにあって。
  秋の終わりの風のことを書いた物語だと思っていました。
男 それは…
女 ずっとそう思っていました。だけどどこにも書かれてない。書かれてないものはしょうがない。別の本に書いてあったのを私が勘違いしていたのか。全然違う物語を読み間違えていたのか…
男 間違えて違う本を持ってきたのか…。
女 いいえ。この本です。それは間違いないんです。
男 …。
 

 
男 どうして図書館の本だって(わかったんですか?)
女 背表紙に貸し出しカードが入っていました。
男 カード…
女 それから蔵書印。びっくりしました。ずっと気が付かなかったんです。
男 この、図書館のですか?
女 蔵書印にここの住所が。
男 覚えてないんですか?
女 ええ。
男 ほんとうにあなたが借りたんですか?
女 わかりません。もしかしたら、別の誰かが借りた本が何かの事情で私の手元にあったのかもしれません。
男 借りた本を覚えてないなんて…。
女 すみません。
男 いや、そういう意味じゃなくて。
 

 
女 返却することにしました。
男 どうして?
女 だって図書館で借りた本ですよ。
男 …
女 図書館で借りた本は読み終わったら返却するものです。
男 …あなたが借りた本じゃないかも知れないのに?
女 図書館の決まりでは。誰が返したっていいらしいんです。
男 そうですけど…。
女 借りる時には本人じゃないといけないけど。返すのは本人じゃなくてもいいんです。
男 …。
女 地図で調べて。来てみました。
男 …思い出しました?
女 いいえ。何も。来たことがあるかといえばあるような気もするし、ないといえばないような気もします。
男 …
女 でも、借りたときには図書館は開いてたでしょうから、閉まっている図書館を見ても思い出せないかもしれません。
男 …。
女 この本を返して。別の新しい本を借りて帰ろうと思ってました。
男 …
女 だけど11月30日は、休館日でした。
男 …
女  本を。返すことしかできない日でした。
男 …明日、また来ればいいじゃないですか。
女 カードには返却日のスタンプが押してあったんです。
男 …
女 11月30日。
男 11月30日…
女  明日じゃもう間に合わない。
 
男は何か考えている。
 
男 11月30日…。
女 あ。
男 なんですか?
女 何を知ってるんですか?
男 え…ああ…
 
女は男を凝視している。
しばらく…
 
男 11月30日。きっとあなたの役に立つ情報じゃありませんけど…。
女 …?
男 その日付に…覚えがあります。
女 あなたも本を返しに来たんですか?
男 違います。
 

 
男 手紙をもらったんです。その、日付の書かれた…。
女 …
男 さようならの手紙でした。
女 …11月30日。…いつの?
男 …毎日あの電車に乗って、窓からこの建物を眺めていた頃。
女 …
男 毎日が駅6つの往復だった頃。
女 …
男 文通してた相手から届いた手紙です。
女 文通!!してたんですか?!
男 …僕が文通してたら、何か問題あるんですか?
女 ……ありませんね…。
男 …。
女 でも、どうして、文通してたんですか?
男 …会ったことがなかったんです。
女 え?
男 結局一度も。
女 遠くに住んでたんですか?
男 …ええ。
女 …そうなんですか。
 

 
男 ……最初は、間違いだったんです。
女 間違い?
男 彼女が出した手紙が、間違って僕のところに届いたんです。
女 …ふうん。
男 送り返した手紙に、返事が来ました。
女 …
男 その手紙に返事を書きました。
女 …
男 その返事に返事が来ました。
女 …
男 そうこうするうちに。いつの間にか…。結局1年近く続きました。
女 おわっちゃったんですか…。
男 ………ある日。いつもとなんだか感じの違う手紙が届きました。
女 ?
男 綺麗にタイプされた、宛名のない手紙でした。
女 …。
男 差出人も宛名も書かれていない手紙でした。
女 …
男 さようならの手紙でした。
 
女はふんふんと聞いている。

男 週に1回届いていた手紙が来なくなっただけのことでした。
だからって何が変わったわけでもない。
女 …
男 だけど1週間に1回来ていた手紙は、もう二度と来ませんでした。
女 …。
男 別に、いつまで続けようと思ってはじめた文通じゃなかったから。いつ終わってもおかしくなかったんですけど…
女 …。
男 そのうち忘れてしまった。手紙の来ていた日は手紙の来ない日になって、普通の何でもない日になった。
女 …
男 …子供の頃の話です。さっきあなたの話を聞くまで。思い出したこともありませんでした。
女 …
男 そのときのことを、考えてました。
女 …。
男 手紙の最後に日付がかかれてました。「11月30日 木曜日。快晴。」
女 快晴…。
男 ええ。
女 …11月30日。その日は木曜日で、空は綺麗に晴れてたんですね。
男 …僕がそれを受け取った日も、天気のいい日でした。
女 …よく覚えてますね。
男 空を見てました。
女 空。
男 考えようと思ったんですけどわからなくて。
女 …
男 突然の「さようなら」の向こう側で何が起こってたのか。
女 …
男 別に何も起こってなかったのかも知れない。
女 …
男 ただ単に、手紙を書くのに飽きたのかもしれない。
女 …
男 おもわせぶりな悪戯だったのかもしれない。
女 …
男 そのどれでもないかもしれない。
女 会いに行かなかったんですか?
男 …どうして?(とてもびっくりしている)
女 だって、気になったんでしょ。
男 会いに行く…。(困惑している)
女 だって…
男 ……………そんな風には考えませんでした。
女 どうしてですか?
男 (しばらく考えて)彼女は僕にとって手紙の中の言葉だったし、僕は彼女にとって、手紙の中の言葉だった。
女 …
男 手紙が来なくなったら…、それで
女 …
電車が通過する…。

男 わからないままにしておきたかったんでしょうね。
女 …。
男 毎日が駅6つの往復だった頃。僕は「何かがおしまいになる」ということを、正しく知らなかったような気がします。
女 おしまいになる…。
男 僕が最後に出した手紙の返事が、いつかまた届くかもしれないと思ってたのかもしれません、
女 だって…
男 …
女 だって、「さよなら」の手紙が来たんでしょう?
男 もしかしたら。最後の手紙は僕のところに届くはずの手紙じゃなかったのかも知れない。
女 そうなんですか?
男 だって宛先が書かれてなかったんです。
女 …。
男 最初の手紙が間違って僕のところに届いたように、もしかしたら誰かが誰かに書いた「さよなら」の手紙がまた間違って僕のところに届いたのかも知れない。
女 …
男 あるいは彼女がほんとうは別の誰かに書いた手紙だったのかもしれない。別の誰かがうけとるはずだった「さようなら」の手紙を、僕は間違って受け取ってしまったのかもしれない。
女 …。
男 そう、思っていたかったんです。
 
女は本を閉じ、何か考えている。
やがて。
 
女 だとしたら…。
男 …?
女 ぜんぶ、そうだったのかもしれませんね。
男 え?
女 あなたに宛てた手紙は、最初から1つもなかったのかもしれない。
男 …?
女 誰かに書いた手紙が間違ってあなたに届いた。あなたはそれに返事を書いた。彼女はそれに返事を書いた。その返事にあなたが返事を書いた。そして1年が過ぎた…。
男 宛先なんかどうでもよくて。ただ、書きたかっただけだっていうことですか。
女 そうじゃなくて。そうだったらそれは手紙じゃありません。
男 ?
女 誰かに宛てて書かれなかったものは手紙じゃありません。
男 …
女 どこにも届かなかったら、それもやっぱり手紙じゃありません。
男 じゃあ…。
女 そうだとしたら…。(慎重に、何か考えている)
男 なんですか?
女 彼女はたしかに手紙を書いたし、
男 …
女 手紙はたしかにあなたに届いた。
男 …
女 あなたはそれを読んで。
男 …
女 空を見ていた。
男 …
女 そして今日。私にそれを話してくれた。
男 …
女 私は今、あなたの話してくれた、彼女の見ていた、その日の空のことを、考えています…。
男 …。
女 ね。
男 なんですか?
女 ほんとうのことはどこにもなかったのに。
男 …。
 
長い間。その間に電車が通過する
 
女 ほんとだ
男 え?
女 ぜんぶ、通り過ぎていきますね。
男 ああ。電車ですか。
女 ええ。
男 特急も、準急も急行も快速もとまりません。
女 よっぽど運が悪かったんですね。
男 え?
女 ここでとまってしまうなんて・・・
 

 
男 なんだか変ですね。
女 何がですか?
男 たまたまこの近くを通る機会があって。そしてたまたまあの駅から電車に乗った。たまたま電車を間違えて止まるはずのなかった駅で止まってしまった。窓の外に見覚えのある建物をみつけて、思いついて電車をおりてみた。そしたらここは図書館で、空は遠くまで綺麗に晴れていて、そしてあなたが本を読んでいた。
女 …世の中に、電車はたくさんあるし、乗り間違えることだってあるし、窓の外にはたくさんの建物があるし、本だってたくさんあるし、本を読む場所もたくさん、あるんですから、たまにはそういうことだってあるでしょう。
男 だって、今日ここであなたに会わなければ、そしてあなたの話を聞かなければ、僕はきっと、あの手紙のことを思い出すことはなかったでしょう。
女 …
男 思い出したいのに忘れていることがあるような気がしてたんです。
女 ?
男 それが何だったのかわかりました。
 

 
女 そういう思い出がきっと他にもありますよ。
男 え?
女 今日私に会わなかったら。ここが図書館じゃなかったら。私がその本を読んでいなかったら。そしたらあなたはきっと、別のことを思い出したんです。
男 え?
女 今日。あなたは私と会ったから。偶然ここで私と会ったから。そしてここは偶然図書館で。
図書館は偶然閉まっていて。
男 …
女 だから思い出したこともあるし。だから思い出せなくなってしまったこともあるかもしれない…。
男 …
           
長い間。
男は持っていたみかんをひとつ、女の足元に転がす。
みかんは女の足元で止まる。女はそれを目で追っている…。
          
男 たとえばそれは、こういうことですか?
女 ?
男 11月30日の午後。ひとりの女が図書館へ本を返しに来た。
女 …(男を見ている)
男 自分で借りたのかどうか記憶のはっきりしない本を持って、彼女は図書館へやってきた。
女 …読み終わった本は図書館に返すことになってるからです。
男 その日は11月30日。
女 …
男  秋が冬に変わる日。
女 …
男 彼女は返却するはずの本を図書館の裏庭で読み続けた。
女 …図書館が開いてないからです。
男 夕方まで、そこにいたかった。
女 …
男 読んだはずのない物語の記憶を訂正したくて。
女 …
男 11月30日の午後四時30分。きっと何も起こらない。
女 …
男 だけど、それまでの時間に、別の何かが起こるかもしれない。
  別の誰かに会うかもしれない。
女 …
男 夕方が近づいた頃。とおりすがりの男の思い出話につきあって、彼女は空を見ていた。
女 …
 
電車がやってきた。通過する…と思いきや、その音はゆるやかになり、今度は停車した。
ふたり黙って立ち尽くしている…
建物のドアが開く。
エプロンの女が小走りにやってくる。
 
エプロン   なにか、来ませんでした?
ふたり  …
エプロン   おかしいな。音が聞こえたような気がしたんだけど…
 
がたごとと音を立て。電車はまた動き出す…
しばらく…。
エプロンの女はため息を付く。
エプロンから懐中時計を取り出し…
 
エプロン   あら。
 
本の山へ駆け寄る。
ふたりは黙ってそれを見ている。
 
エプロン  これだけか…。   
 
エプロンの女、本の山の前へしゃがみこみ、なにやら本を並べ替えている…。
しばらく。
女は男を一瞥すると。
本を持ってエプロンの女に近づいて行った。
 
女 …返却したいんですけど。できますか?
エプロン   …ええ。ここは図書館ですから。
女 …本を返しに来たんです。
エプロン   …はい。
女 ずいぶん長い間借りてたんですけど。
エプロン   …
女 今日が返却期限なんです。
エプロン   …
女  今日返さないと、返せなくなってしまう。
エプロン   …それは困ります。借りた本は返してもらわないと。
女 …
エプロン   そういう決まりですからね。
 
エプロンの女は女からひょいと本を取り上げる。
女は呆然と立っているが、やがて裏道へ続く出口へ向かって歩き出す…。
エプロンの女は本をひっくりかえしたりたたいたり、向きを変えたりしている…。
やがて、ふと、思い出したように話し出す。誰に話し掛けるでもなく、独り言のように…。
       
エプロン  …あの時。図書館の扉は閉まっていて、私はそれをあけることができませんでした。
女・男 ?
 
女は立ち止まり、エプロンの女の声を聞いている。
 
エプロン   裏庭へ通じるドアでした。
ふたり …
エプロン   私は図書館の中にいて、窓から空を見ていました。
ふたり …
エプロン   図書館の中はたくさんの人や本が溢れていて。
ふたり …
エプロン   扉には鍵がかかっていて、私はそれを開けることができませんでした。
ふたり …
 
女、振り返って。
 
女 あなたはずうっとこの図書館にいるんですか?
エプロン   (本のページをめくっている)
女 覚えてませんか? 私のことを。
エプロン    (本のページをめくっている)
女 私はこの本を、この図書館にいつ借りに来たんでしょう。
エプロン   知りません。(顔を上げて)
女 …
エプロン   だって、あなたに会うのは今日が初めてですから。
女 …。
エプロン   だからきっと、その図書館はこの図書館とは違う図書館です。
女 …。
 
エプロンの女、 ふと、ページをめくる手を止める。
物語を読み始める…。
 
エプロン   白山羊さんはある日。手紙を食べずに封を開いた。
そんなことは初めてだった。
どうしてそんなことをしようと思ったのか、
ぜんぜんわからなかった。
 
はじめて開いた手紙は干し草の香りがした。
「さっきの手紙のごようじなあに。」
几帳面な小さな文字がならんでいた。
 
あの日。
白山羊さんは黒山羊さんに手紙を書きたかった。
どうしてもどうしても手紙を書きたかった。
だけど何を書けばいいのかわからなくて、
考えている内に、なぜだか「さようなら」の手紙を書いてしまった。
どうしてなのかわからなかった。
だけどどうしても。
どうしても黒山羊さんに手紙を届けたかったので
「さようなら」の手紙を出してしまった。
 
次の日。
黒山羊さんから返事が来た。
「さようなら」に返事が来た。
白山羊さんは困ってしまった。
どうしていいのかわからなくて。
途方に暮れているうちに、食べてしまった。
仕方がないので返事を書いた。
「さっきのてがみのごようじなあに。」
 
あれから気の遠くなるような時間が過ぎ。
気の遠くなるような数の手紙がふたりの間を行き来した。
はじめて開いた手紙は干し草の香りがした。
「さっきの手紙のごようじなあに。」
几帳面な小さな文字がならんでいた。
白山羊さんはちゃんと覚えていた。
さっきの手紙のご用事…「さようなら」
の手紙を書いた。
 
黒山羊さんは今日。手紙を食べずに封を開いた。
そんなことは初めてだった。
どうしてそんなことをしようと思ったのか、
ぜんぜんわからなかった。
 
はじめて開けた手紙は干し草の香りがした。
「さようなら。」
几帳面な小さな文字がならんでいた。
     
ふたり、呆然とそれを聞いている。物語は音楽のように、静かに裏庭を包んでいく。
エプロンの女は物語の途中で本から顔を上げ、目を閉じる。
ぺーじをぱらぱらとめくり、本を持ち上げ、回し、リズミカルに動かしながらよどみなく物語を語っていく…。物語は本ではなく、まるで彼女の中から生まれてくるかのように…。
男は途中でそれに気づき、エプロンの女と本を凝視する。
 
エプロンの女は物語を語り終えると息を潜めて黙り込んだ。
静かに、何かを待っている…。

しばらく。

ごおおおおっ。はるか上空から低い音が聞こえてきた。
飛行機のエンジンのような荒い音。
エプロンの女は慎重に上空を確認している…。

突風が吹いた。
風は地面を這い、積み上げた古本の山をいきおいよく蹴った。  
本のページを散らしながら、勢いよく空へ帰っていく…。
ほんの一瞬の出来事。
跡には、細かく破られたページが羽のようにふんわりと宙を舞っている。
斜めに差し込む日光を受けて、きらきらと光る。
そして静かに、ゆっくりと地面に落ちる…。
紙片は風の向かった方向を差すように散らばっている。
3人はぼんやりとそれを見ている。
男も、女も、エプロンの女も…。
しばらく、見ている…。 
やがて、
 
エプロン   こっちからでしたね。(女に向かって)
女 …?
エプロン   風はこっちから吹いてきて。あっちへ吹いていきました。
 
3人。風の通り過ぎた跡を見ている。
陽は傾き、建物の端から、日陰の裏庭にやっと太陽の光が差し込んでくる。          
空は遠く、どこまでも遠く…

………………電車が、通過する。


< 3 >同じ場所。日はすでに暮れている。
地面には本とページの山が散らばっている。
女の姿はない。
足元に転がっていたみかんもない。
男が座布団に座って本を読んでいる。
暗い空を飛行機が1台。空を横切っていく。
男はそれを目で追っている。
 
と。階段から音がする。
エプロンをつけた女が走り降りてくる…。
 
エプロン  (あたりを見回して)あれ?
男 …
エプロン   おかしいな。
男 …
ふと、男に気づいて
 
エプロン   あら。まだいたんですか。
男 いけませんか?
エプロン   いいえ。
 

      
エプロン   あの…。
男 はい?
エプロン   何か来ませんでした?
男 え?
エプロン   音がしたような気がしたんですけど…
男 あれじゃないですか?(空を見上げる)
エプロン   え?
 
エプロンの女、同じように空を見てみる。
    
エプロン   あら。綺麗ですね。
男 ええ。
エプロン   流れ星みたい。
男 流れてませんよ。
エプロン   そうですね。
男 誰が来るんですか?
エプロン   本が届くんです。新しい本。
男 どんな本ですか?
エプロン  どんな本…。さあ。届いてみなくちゃわかりません。
男 …。
 
エプロンの女、風が散らかした本の山を整理している。
1冊ずつ、拾い集めて束ねていく…。
 
男 …書庫整理…、まだ終わらないんですか?
エプロン   (何も答えない。)
男 この図書館、明日は開くんですか?
エプロン   …どうしてですか?!
男 …いや…なんとなく…。
エプロン   …。
男 なんだか。いつも書庫整理してるような気がして…
エプロン   …
男 いつも休館してるような気がして。
エプロン   ふん、
男 なんですか?
 
エプロンの女、振り返り。
 
エプロン   冷えてきましたね。
男 ええ。
エプロン   冬ですからね。
男 明日から12月です。
エプロン   12月は寒いですよ。
男 冬ですから。
エプロン   ええ。
 
エプロンの女、ふと、男の手元にある本に気づいて…。
 
エプロン   あら。
男 (あ…)さっき彼女が持ってた本だと思ったんです。
エプロン   …
男 だけど中身が違います。
エプロン   …
男 図書館の物語を探してたんですけど。
エプロン   図書館?
男 同じ場所に建ってる図書館の物語。
エプロン   へえ。
男 だけど中身が違います。図書館の話でも、山羊の話でもない…。
エプロン   …。
男 あの話。読みたかったんですけど。
 
男、ぱらぱらとページをめくる
 
エプロン   何を読んでたんですか?
男 水をかけると死んでしまう怪獣の話です。
エプロン   あら。どんな?
男 ジャミラって名前です。
エプロン   …ジャミラ…。
男 有名な怪獣ですよ。
エプロン   …聞いたことはあります。
男 どうして、水かけたら死ぬのか、知ってます?
エプロン   いえ…。
 

 
男 遭難した宇宙飛行士がいたんです。
エプロン   そうなんですか。
男 …遠い宇宙の果ての、見知らぬ星にひとり取り残された飛行士は、水と食べ物を求めてさまよいました。
エプロン  …
男 水のない、乾いた星でした。地面はひび割れ、大地は固く乾いていました。
エプロン   …
男 水がなければ生きていけない。ここで死ぬしかないと思いました。
エプロン   死んだんですか?
男 …いいえ。
エプロン   どうして?
男 水が要らなくなったんです。
エプロン   …え?
男 生きるために、どうしても水がほしかった。欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて…。生きるために水を求める彼の気持ちは、彼の身体を水のいらない違う姿に変えてしまったんです。
エプロン   …
男 人間は生き物ですから、生き物は新しい環境に適応するためのプログラムを持っていますから、どうしても必要な時には必要な形に自らを変形させる事ができるんです。
エプロン   …
男 私達はそれを進化と呼びます。
 

 
エプロン   ジャミラは、進化した人間なんですか?
男 水のない環境に適応したジャミラには「水」は要らなくなりました。むしろ水は新しい彼のシステムを壊してしまう脅威になりました。
エプロン  だから…
男 乾いたひび割れた地面の向こうに、彼はいつも水を見ていました。絶対に手の届かない遠いところに、冷たい水を湛えた泉を、そして地球を…。
エプロン   …
男 彼はやがて地球へ戻りました。そして、もはや異境の地となってしまったかつての故郷の星で、たっぷりと水を浴びせられて消えていきました。
エプロン   …
男 何考えてたんでしょうね。
エプロン   …
男 水をかけられて、溶けていく瞬間…
エプロン   …
男 ほんとうのことは、どこにあったんでしょうね。
エプロン   ジャミラの、物語…。
 

 
男 物語は好きですか?
エプロン   好きですよ。
男 どんなところが?
エプロン   始まった物語は必ず終わるところ。
男 …
エプロン   まだ事件の起こらないミステリーを読みながら。
まだ出会わない二人の運命を読みながら。どきどきしながら、でもおしまいのページをこっちの手で持ってる。
男 …持ってる。
エプロン   でも、終わるまでにはページのぶんだけ時間がかかる。
男 …
エプロン   ページの数だけ紙がめくられて、言葉の数だけ目が移動するまでは絶対に終わらない。
 

 
男 早く来るといいですね。
女 え?
男 どんな本が届くんですか?
エプロン   …
男 なんですか?
エプロン   分かりませんよ。私には。
男 …
 
女は本の山を束ねて抱えあげるとどさりとドラム缶の中へ放り込んだ。
男は呆然とそれを見ている…。
女は本を全て放り込むと、座布団を抱えて建物へ向かった。
男はそれを見送っている。
エプロンの女は帰り際にポケットからみかんをひとつ取り出すと、男の足元に転がした。
男は黙ってそれを見ている…。
エプロンの女は何も言わず、そのまま建物の中へ消える。
裏庭に、男がひとり取り残された。
しばらく。

ポケットに手をつっこむと、みかんがひとつ。
取り出して、ぽんと地面に置く…。
街灯の灯りだけがぼんやり照らす裏庭で、男はもう一度本を開いた。
壁にもたれて再び読み始める…。地面には、みかんがふたつ転がっている

真っ暗な図書館の中からは、
静かに閉館の音楽が聞こえてきた。
がたん、がたん、がたん…。軽快な音を立てて、電車が通り過ぎて行く…。


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