海に送った灯

作:久野那美(1999年9月 船の階上演台本)

登場人物
海の写真を撮る男
海を見ている女
白衣の女(白衣)
腕章の男(腕章)
唄歌い

※上演に際するお問合わせは xxnokai@gmail.com まで


《1》

夜明け前の海。まのびした唄声が聞こえる。
コンクリートの壁にもたれ、奇妙な格好の女がしゃがみこんで歌っている。
潮は満ちている。大潮の波が灯台の足下に寄せては返す。
繰り返し、繰り返し…。
コンクリートの地面には古い壊れたベンチがひとつ。
赤い靴を履いた白衣の女が灯台から降りてきた。
煙草を手に、海を見ている。
しばらく。

やがて、唄が終わる。

唄歌い こんばんは。
白衣  …こんばんは。

煙草の煙が海へと流れる。

唄歌い  …今夜は月が見えません。(誰に話しかける風でもなく)
白衣  …。
唄歌い ときどきそんな夜があります。
白衣  ひとつきに一回。
唄歌い  …。

唄歌い、歌うのを止め目をつぶる。

波の音。しばらく。

白衣  ……歌わないんですか?
唄歌い (ひとさしゆびを口元にあて)
白衣  ?
唄歌い 時々。
白衣  ?
唄歌い 耳をすましてみないと。
白衣  ?
唄歌い 波の音が聞こえなくなります。
白衣  …。
唄歌い 波の音が聞こえなくなったら、海の唄は歌えません。

波の音。

白衣  ・・・・・・あなたにも、歌えない唄がありますか?
唄歌い (無視する)

波の音。

白衣  …あの日も、潮が満ちていました。
唄歌い あの日は月も満ちていました。
白衣  波の静かな夜でした。あの日も。あなたはここで歌っていました。
唄歌い 今夜は月が見えません。
白衣  ここから。いちども船を見ることができませんでした。
唄歌い …。
白衣  あの船は。結局戻って来なかった。

唄歌い 今夜も大潮です。潮は朝まで満ちてます。
白衣 (海を見ている)
唄歌い もうすぐ、夜が明けます。
白衣 (海を見ている)

白衣の女、遠く海の向こうを見ている。

白衣 あの時の唄ですか?
唄歌い ?
白衣  さっきの唄は、あのときの唄ですか?
唄歌い …。
白衣  あの大潮の夜。あの満月の夜。あなたがここで歌っていた…。
唄歌い (答えに困っている)
白衣  あの唄は…。
唄歌い 今日歌ってるのは・・・・あの唄の2番です。

波の音

白衣  2番・・。2番があったんですか?
唄歌い 唄にはだいたい2番があります。
白衣  …。

白衣  もう一度、あのときの唄が聞きたいんだけど・・。
唄歌い …1番の歌詞は忘れてしまいました。あのときの唄は、だからもう歌えません。
    今夜は今夜の唄しか・・。
白衣  …

唄歌い、歌い始める…。
しばらく。白衣の女、立ち上がり、灯台へ向かって歩き始める。

唄歌い (唄を止めて)??
白衣  もうすぐ夜が明けます。灯りを・・・・消さないと。

白衣の女は灯台の中へ去る。
唄歌いは白衣の女が去るのを見届け…やがてまた静かに歌い始める。
水平線の向こうから白い光が差し込んでくる。
波音は高くなり。絶えることなくいつまでも聞こえている。

暗転

《2》

昼下がり。
コンクリートの埠頭。港のように見えるが、船の姿はない。
色あせたベンチに座って海を見ている男が一人。
横に立てられた三脚にはカメラが備えられている。
   
灯台の屋根に腰掛け、唄歌いが歌っている。
歌声は風に乗って港へと流れてくる・・・。
女が一人。港の端に立ち、海を見ている。
身動きもせず。水平線を見ている。
男は女をぼんやり眺めている。
女は男に気付かない。

白衣の女が、灯台から降りてきた。
書類の束を幾つも重そうに抱えている。
海を見ている女はそれには気付かない。

白衣の女は埠頭の端まで来ると、海の上で両手を離した。
紙の束は、風にばらけて海に散る…。
男は唖然としてそれを見ている。

白衣の女、立ち上がり海の向こうを見やる。
太陽は空の半ばに留まり、海面を照りつけている。
暑い。飛行機が一台。空を横切っていく。
白衣の女、しばらく海を見ているが、やがて振り返る。
男と目が合う。

白衣 こんにちは。
男  …こんにちは。
白衣 …暑いですね。
男  ええ…。

白衣の女、海の向こうを眺めている。

男  あの。
白衣 はい。
男  …何を…?
白衣 (ふっと笑う)いらないものを捨てたんです。
男  何の書類ですか?
白衣 (きっと男をにらむ)知りたいですか?
男  いえ…。

男  …あなたは…
白衣 …灯台守です。
男  灯台守?
白衣 この港を、管理しているものです。
男  港…。灯台守?
白衣 でも、灯台守はアルバイトなんです。
男  はあ…。
白衣 ここは公園ですから。
男  は?
白衣 (笑っている)
男  あの…。
白衣 何か?
男  …港じゃないんですか?
白衣 …ありました。港が。
灯台の灯りが海を照らして。岸はいつも船を待っていました。
男  待っていました…?
白衣 今は公園です。
男   でも…。
白衣  港のまま。公園になったんです。

白衣 コンクリートの岸。ロープ。波の立つ水面。灯台。浜から来る風。
みんなおんなじ。そのまま、公園になったんです。
男  港と、港公園とでは……なにが違うんですか?
白衣 港は船を迎える場所です。送り出す場所です。公園は違います。
男  …。
白衣 ある時。港が閉鎖されることになりました。
船が要らなくなったからです。そのとき出ていった一艘の船がありました。
その船が戻るのを待って、港は閉鎖されて埋め立てられることになりました。見送りの中、船は出ていきました。船はなかなか戻りませんでした。毎日、毎日、港は船を待ち続けました。毎日、毎日…。けれども。船はいつまでも戻りませんでした。港は船を待ち続けました。そういう、約束だったから。
人々は戻ってくる船を待つために、港へ船を見に行くようになりました。
…この公園には、そんな伝説があります。
男  どんな…船だったんですか?

白衣の女、三脚に近づき、カメラの方をちらっと見て…

白衣 暑いですね。
男  …はい。
白衣 写真を…?
男  …ええ。まあ。
白衣 そうですか。写真を。(鼻で笑っている)
男   ここは…写真を撮っちゃいけないんでしょうか…。
白衣 (ふりかえって、男をじっと見る)
男  …。
白衣 撮って下さい。どんどん。たくさん、好きなだけ撮って下さい。
男  …はい…。
白衣 じゃあ。ごゆっくり。

白衣の女、くるりと背を向け、去る。
男、狐につままれたような顔をして見送る。
灯台の上からは唄歌いの歌声がきこえてくる。
男は聞くともなく、その唄を聞いている。
女は相変わらず海を眺めている。
時折潮風が吹く。
男はしばらく見ているが、やがてそっとカメラを構える。
強い風が吹く。
女は風を避け、岸の方へ顔を向ける。
カメラを構えた男と目が合う。

女  (男の顔を見ている)
男  (ファインダー越しに女の顔を見ている)

男、シャッターを切る。
 
男  こんにちは。
女  ………こんにちは。

女、再び海に向き直る。
 
カシャ。男はもう一度シャッターを切る。
女は振り返り、むっとしてにらみつける。

女  何ですか?
男  いや…。
女   失礼ですね。
男  失礼ですか?
女  失礼ですよ。
男  すみません。
女   (海を見る)
男   何見てるんですか?
女  え?
男  ずいぶん、長い間そうしてるから。
女   あなたは…
男  私?
女   さっきから…ずっと?
男   ええ。まあ。
女   黙って…?
男   あなたが気付かないから。
女   …。
男   特に音を立てる理由もないし。
女   …。
男  用事もなかったし。

女、むっとして海の方へ向き直る。

男  何か見えますか。
女  え?
男  ずいぶん、長い間、見てるから。
女   あなたも。
男   いや…。

男  あんまりそうしてると、髪が潮でべとついてきますよ。
女  …。
男  何か、見えますか?
女  いえ。
男  海へはよく?
女  いえ。
男  旅行ですか?

女、振り返る。

女  あなたは、この辺の人?
男  …私は、観光ガイドを作っています。今日は、これ。(カメラをさして)
女  取材…ですか。
男  まあ、そんなもんです。
女  ここは…人が観光に来るような場所なんですか。
男  あなただって。
女  いえ。私は。
男  ?

女  静かですね。
男  海ですから。
女  ・・・・・・・・・

女  写真を…撮ってらっしゃるんですか?
男  ええ。
女  海の?
男  海の。
女 (しばらく、何か考えているが…) あの。
男  …はい?
女  ここは、なんていうところですか?
男  ?
女  …海の名前。
男  海の名前?
女  海…あの…港の…。
男  さあ。
女  だって。
男  知りません。
女  本を作っているんでしょ。
男  ええ。
女  どうして、知らないんですか?
男  だって、どこにも書いてないし。
女  だって…。
男  どうするんです? 海の名前なんか、聞いて。
女  …昔。この海を見たことがあるような気がするんです。
男  そうですか。
女  知ってる海に、とてもよく似ているんです。
男  海辺の風景はどこもよく似ています。
女  ……。
男  その、海の名前は?
女  …知りません…。
男  だったら、ここの海の名前が分かったところで、どうしようもないじゃないですか。
女  …そうですね。

男  どんな海ですか?
女  え?
男  いえ。…ずいぶんいろんな海の写真を撮りましたから。
女  ああ…。 どんな本を作ってるんですか?
男  記事のない、写真だけの本です。
女  え?
男  いろんな、海の写真の。
女  そういうのって…観光「ガイド」になるんですか?
男  なりませんか?
女  だって…。
男  だって?
女  だって。その本を見て、「あ。この場所へ行きたいなあ」って思ったとして。その場所を、どうやって探すんですか?
男  知りません。
女  そういうのって、無責任じゃありません?
男  そうですか?
女  ええ。
男  そうかなあ。
女  …。

女  いつから、そのお仕事を?
男  ずうっと昔です。
女  ずうっと?
男  ええ。

女  ……船、見えませんね。
男  はい。
女  ここは…。
男  公園らしいですよ。港の形の、公園。
女  …ええ。
(海の方へ向き直り…)
…ある時。港が閉鎖されることになりました。
船が要らなくなったからです。そのとき出ていった一艘の船がありました。
その船が戻るのを待って、港は閉鎖されて埋め立てられることになりました。
見送りの中、船は出ていきました。船はなかなか戻りませんでした。毎日、毎日、港は船を待ち続けました。毎日、毎日…。けれども。船はいつまでも戻りませんでした。港は船を待ち続けました。そういう、約束だったから。
人々は戻ってくる船を待つために、港へ船を見に行くようになりました。
男  ……………聞こえてたんですか?
女  (笑っている)

男、何か考えている。女を見ている…。

しばらく。

女  なんですか?
男  いいえ。なんだか…。
女  ?
男  いや。あなたも…、船を見に来たのかな…と思ってたから。
女  え?
男  …?

女、水平線から視線を上げ、動いていく雲を見ている。

女  その日はとてもお天気がよくて。
男   ?
女  こうやって見ると、ずいぶん向こうの方まで見渡せたんです。

女  暑くて。風がとても気持ちよかった。
男  ………その日…?
女  こんな風にお天気のいい日。暑くて。風が…。
男  その…。
女  その日。そこから、船が出て行ったんです。
男  …。

女  あなたは? ここへは…初めてですか?
男  ……たぶん。
女  たぶん?
男  海辺の風景はどこもよく似ていますから。
女  よく、似ているんですか?
男  ええ。びっくりするくらいよく似ています。
女  ………。
男  ?
女  写真に撮ったらおんなじなんでしょうか?
男   え?
女   港も、港公園も。
男  いや…。

男、海を見ながらしばらく考えている。

女  どうして、海の写真を撮るんですか?
男  …どうして…。どうしてかなあ。
女  わからないんですか?
男  …たぶん、やめられなくなったからです。
女  どうして?
男  どうして…。
女  面白いですか?
男  面白い…?(何か考えている)
女  …やめられなくなる前はどうだったんですか?
男  …。
女  海の写真、ばかり撮るんですか。

男  海岸線を辿って、歩き続けて。その間にたくさんの写真を撮りました。
女  海岸線…。
男 (笑って)海辺の風景というのは、どこもよく似ています。
女  …。
男  ほんとうに、見分けがつかないくらい、どこもよく似てるんです。
女  …。
男  どこもそっくりで、嫌になるほどそっくりで。
女  …。
男  うんざりするほどそっくりで。
女  それは、海の写真を撮ることの理由なんですか?
男  …。

男、何か考え込んでいる。
灯台の上では、唄歌いが歌っている。

女  唄…。
男  何でしょうね。さっきから。
女  歌ってるんですよ。
男  それはわかりますけど、
女  歌ってるんです。さっきから。ずっと。
男  …。

ふたりは聞くともなく聞いている。
しばらく。

男  暑いですね。
女  そうですか?
男  暑くないですか?
女  …。

男はポケットから1枚の写真を取り出し、ぼんやりと眺めている。
女は気になってそれを見ている。
男がふと顔を上げる。女と目が合う。
しばらく。
やがて。男は手にした写真を差し出し、女に見せた。
女、戸惑いながら写真を受け取る。
長い間、じっと見ている。

女  …………綺麗な海ですね。
男  …ありがとう。
女  あなたが撮ったんですか?
男  ……。
女 (男が黙っているので、仕方なく、写真を見ている)
男  ある朝、目が覚めると。この写真が一枚だけ、窓に留めてありました。
女  窓に。
男  ええ。窓に。
女  誰が留めたんですか?
男  …こんな写真ばかり、撮ってたひとです。
女  こんな写真?
男  どこで撮ったのかわからないような、こんな、写真。
女  そのひとが、そう言ったんですか?
男  いいえ。でも…。
女  …じゃあ・・・。
男  こんな写真が段ボールに一杯ありました。
女  こんな写真?
男  そこからどういうわけかこの一枚だけ選び出して。窓に張り付けて。そして…。
女  ?
男  消えてしまいました。
女  消えてしまった?
男  私の前から。消えてしまったんです。
女  いつですか?
男  …とっても暑い日でした。
女  暑かったんですか。
男  ええ。暑いから窓を開けて風を入れたかったのに。開けられませんでした。
女 (写真を見ている)
男  仕方がないので。一日中、窓に貼られた風景を見ていました。
女  どうして、見てたんですか?
男  窓に貼ってあったから。
女  一日中?
男  いえ。
女  ?
男  夏のあいだ、ずっと見ていました。
女  窓は?
男  開けられませんでした。
女  ふうん。
男  何ですか?
女  いえ…。暑かったでしょう。
男  暑かったです。
女  何考えてたんですか?
男  ?
女  そのとき。
男  …。
女  暑かった、こと以外に。
男  何…。(考え込んでいる)
女  ?
男  何考えればいいのか、を考えてたのかもしれません。
女  暑かったでしょ。
男  写真を剥がさないと窓を開けられなかったんです。
女  写真を剥がして、窓を開ければいいじゃないですか。
男  なんでそこに貼ってあるのかわからないものを剥がせますか?
女  …。
男  夏の間。私の窓にあるのは、海辺の風景でした。だから毎日そこから海を見ていました。
女  毎日。
男  他に、見るものがなかったから。
女  それでも、わからなかったんですか?
男  え?
女  なんの写真なのか。
男  …。
女  わからなかったんですか?
男  え・・・?

女  写ってるんだから、どこかにあるんでしょう。
男  あったんでしょうね。
女  あったんですよ。
男  (何か言いかける・・)
女  いつの夏ですか?
男  ・・・・・・・・ずいぶん昔です。

女、海を見ている。

女  これは、この写真は…ここの海の写真ですか?
男  そう思いますか?
女  だって…
男  わかりません。海辺の風景は、どこもよく似ていますから。
女  …。

女、しばらく海を見ているが、ふと三脚のカメラをいじってみる。
ファインダーをのぞき込み、カメラのレンズ越しに海を見る。

女  この海のこっち側にひとが居て。この海を見てたんですね。

女、そのままゆっくりとカメラの向きを変え、レンズ越しに男の顔を見る。
男はカメラをのぞく女を見ている…。
しばらく…。
やがて女は顔をあげる。

女  (クイズを出題するように)そのひとは、どうしてこの写真を残していったんでしょう?
男  ・・・・わかりません。
女  あなたは、どうして海の写真を撮るんですか?
男  …。
女  海の写真ばかり撮るんですか?
男  …。
女  そのひとは、どうしてこの写真を残していったんでしょう?

男は女の態度に困惑しているが、やがて視線を海へと移し・・・・・

男  ここは、いつから公園だったんでしょうね。
女  …。

女、黙って海を見る。
唄歌いは歌っている。
女は写真を持ったまま、海へ向かって歩き始める。ゆっくりと。
男は女の背中を目で追っている。
しばらく…。

女  探してるんですか? その…海…。
男  え?。
女  みつかりそうですか?
男  …。
女 「港の風景」はどこもよく似てるんでしょう?

男  そうなんですよ。海岸線をたどって。行っても行っても、どこまで行っても、同じような風景ばかりが続きました
女  どこまで行っても?
男  どこまで行っても。

女は風に吹かれ、海を見ている。

女  海岸を、歩いていて。
男  え?
女  あなたです。
男  あ。はい。
女  みつかりそうですか?
男  みつかるまで歩きます。
女  みつかりませんよ。あなたには。
男  …?
女 (男の方へ向き直る)「海辺の風景はどこもよく似てる」んでしょう。
男  …。
女  「海辺の風景はどこも同じ」なんでしょう。
男  (女を見ている)
女   (男を見ている)

女   だったら、そのひとは、どうして・・・・・・・・・・・・

…と。奇妙な腕章をつけた男が堤防を降りてくる。
ふたり、思わず目で追ってしまう。
腕章の男はふたりに気付かず灯台の方へ向かう。
灯台の階段を上り、また、すぐに降りてくる。
あわてた様子。
やがてふたりを見つけ、話しかける。

腕章 …あの。
男  はい。
腕章 先生を…見ませんでしたか?
男  先生?
腕章 ちょっと。ですね。急いで伝えなければならないことがあって。
女   先生?
腕章 あなたがたは?
男   あなた方と言われても…私達は特に…。
腕章 特に具体的にご関係を説明頂かなくてもいいんですが。
男  いえ…。そういう…
女  あの…あなたは…?
腕章  失礼しました。私は、公園倫理委員会の者です。
女  公園…倫理…委員会?
腕章  ええ。(ちょっと謙虚に振る舞うが、ふたりには何のことだかわからない)
公園を管理している…まあ、管理人のようなものです。
女  管理人?
男  ひとりで?
腕章 いえ。ひとりではありません。私は委員長なんです。
男  委員会…。
女  委員長…。
腕章 ええ。
女  つまり、他にも大勢いるんですね。
腕章 ええ。もちろん。
女  そして、あなたがいちばん偉いんですか?
腕章 偉いのかどうかはわかりませんが、私が責任者です。
男  …それで…その委員会は何をしているんですか?
腕章 公園とひとくちに言いましても。いろいろと難しい問題があるんですよ。
男  設計とか、予算とかですか?
腕章 まあ。そういうのもありますけど。
男  はあ…。
腕章 もっと大きな問題は、どこを公園にするべきか。どのような公園にするべきか。そして、どのような公園であり続けるべきか、ということです。

ふたり、よくわからない。

腕章 公園には人が集います。何故かというと、そこが公園だからです。
女  はい。
腕章 公園には人がやってきます。何故かというと、そこが他の場所ではないからです。
男  …はい。
腕章 人々は公園にやってくる。ひとりで。あるいは友人と。誰かと約束して。あるいは何の予定もなく。公園というのはそういうところです。
出かけていく目的がはっきりしている場所なら、私たちは目的を考えて場所を選ぶことができます。けれども、公園は違う。公園だから、という理由だけで、そこへでかけていくのです。我々は公園が公園として提供するものだけを、無条件に受け取ります。人々は公園に対して、極めて無防備なのです。
あるべき公園のあり方を日々模索し、美しい公園のあり方とその正しい利用の仕方について考え、努力する。それが私ども公園倫理委員会の仕事なのです。
女 …正しい公園って、どんな公園ですか?
腕章  正しい公園ではありません。美しい公園です!
女  すいません・・・・・・その、「美しい公園」って・・・
腕章 「正しい」という表現は、公園には不適切です。
女  はあ。
腕章 世の中には「正しい」ものと「間違った」ものとがあり、正しいものが間違ったものを制するべきだ、という考え方では公園を語ることはできません。
女  はあ。
腕章 公園とは、力で支配する場所ではないのです。「正しい公園や「間違った公園」などあっては困る。存在する権利は全ての公園に平等にあるのです。
男  でも、さっき、あるべき公園って・・・・・・
腕章 そこなのです。だからこそ、我々が基準にするのは正しさではなく美しさです。
ふたり ・・・・・・・・??
腕章 最も大切なルールを損なわずにそこにあることができるものを、私たちは「正しい」と言います。でも、私達が目指しているのは「正しい公園」ではありません。私達が目指すのは、「美しい公園」です。
ふたり 美しい公園…。
腕章  どんなルールも、他のどんなものとの関係も無効にしてしまうほど、それ自体の中で整合し、合理的に完結している姿を、私たちは「美しい」と呼びます。
男  …。
腕章 「何かが確かにそこにあり」かつ、「それがそこにあることがそれがそこにあるということ自体で保証されている状態」を、私達は「美しい」と表現します。そういう公園をつくりたい。
ですから。公園を観察し、実験を試み、結果を記録してよりよい公園の可能性を模索していくことが我々の使命なのです。

ふたり、とりあえず聞いている。

男  そんな委員会が…。
女  知りませんでした。
腕章 活動は地味ですから。
女  団体は派手なんですか?
腕章 まあ。それほどでも…。(何故か照れる)

男  今日は…その…視察ですか?
腕章 ええ…まあ…。(言葉を濁して)
女  誰か探してるんですか?
腕章 ええ。まあ。ここで、誰かに会われませんでしたか?
女  …さっきから…上で歌ってるひとがいるみたいですけど。
腕章 ああ。あれは。
男  ご存じですか。
腕章 歌ってますね。彼女。
男  ええ。
腕章 歌うんですよ。彼女は。公園で歌うんです。
女  何の唄を歌ってるんですか?
腕章 何の唄なんでしょう。新しい公園ができると彼女は必ずやってきて歌うんです。
男  公園、全部にですか?
腕章 ええ。全部です。
女  大変な数なんじゃ…
腕章 いえ。必要な公園の数は決まっています。どこかでひとつ、新しい公園が増えると必ずどこかでひとつ、公園がなくなるのです。
女  公園が…
腕章 それも、私たち公園倫理委員会の大切な仕事なのです。
女  公園整理ですか。
腕章 ええ。
男  大変な仕事みたいですね。
腕章 いや。そうでもないです。(謙遜する)
あなたは写真を撮られる方ですか? それだって充分大変なお仕事ですよ。
男  はあ…。
腕章 公園が壊れることが決まると。彼女はやってきて最後に歌います。そして次の新しい公園へ向かうのです。
女  あの人も、その…委員会の人なんですか?
腕章 違います。(きっぱりと)
女  …違うんですか…。
腕章 ええ。
女  どうして、歌うんでしょう。
腕章 知りません。歌うんです。彼女は歌うんです。必ずやってきて歌うんですよ…。
女  どんな公園にも。
腕章 どんな公園にも。

女は考え込んでいる。
腕章の男は、話を公園にもどしたがっている。

腕章 より美しい公園を、私達は残していかなければなりません。
女  美しさって…公園の…。どうやって、確かめるんですか?
腕章  正確で詳細な記録です。
女  記録。
腕章  どうして、人々はここへ来るのか。何をしに来るのか。何故、ここが公園である必要があるのか。ここはどういう公園なのか。どういう、意味のある公園なのか。
女   でも…正確に記録できないことだってあるでしょう。
腕章  あるでしょう。でも、公園の数は決められているんです。我々は記録されなかったものの中から選ぶことはできないんです。
女   …。
腕章  記録してもらわないと。記録したものを提出してもらわないと、困るんですよね。
男  提出?
腕章 困るんですよ。

男  …あ。
腕章 何です?
男  さっき。そう。ここで…白衣を……。
腕章 …会われましたか。
男  なんか・・・書類をたくさん海へ撒いてましたけど・・・
腕章 ・・・ああ・・・・・・・・(ため息)やりましたか。
男  あの・・・・・・・?
腕章 どこへ行ったかわかりますか?
男  あっちへ…(指を指す)。
腕章 いつ頃ですか?
男  だいぶ前ですけど。
腕章 そうですか。ありがとうございます。

腕章の男、堤防の方へ行きかける。

腕章 (振り返って)もし戻ってきたら。私が探していたと伝えていただけませんか?
レポートはもう必要ありませんと。
男  レポート?
腕章 そう…言えばわかります。
男  …はい…。
腕章 お願いします。それでは。

腕章の男、急ぎ足で去る。
ふたり、ぼおっと見送っている。
女は考え込んでいる。
しばらく。

男  なんだったんでしょう。
女  人を、探してるんじゃないですか?
男  それは見ればわかりますけど…
女  立派な腕章をつけてましたね。
男  ええ。
女  あれは…その委員会のひとたち全員がつけてるんでしょうか。それとも、あの人が委員長だから…?
男  さあ…。

灯台の上では唄歌いが唄っている。

男  この灯台は…。
女  上の階に灯台守がいるんですって。
男  何で知ってるんですか?
女  書いてあったんです。
男  どこに?
女  そこの…灯台の掲示板に。
男  …。
男  アルバイトらしいですよ。
女  え?(灯台の上を見る。唄歌いが歌っている。)
男  …あのひとは、違いますよ。
女  はい。
男  …でも。
女  ?
男  灯台守? 船の着かない港なのに…?
女  あの人が探しているのは、その灯台守なんでしょうか?
男  たぶん。
女  えらくあわててましたけど…。
男  そうですね。

男、海の方へ向き直る。
女、埠頭の端へ歩き、海を見ながら何か考えている。手に持っている写真に再び目を遣り、しばらく、見ている…。
男は女の後ろ姿をぼんやりと見ている…

飛行機が空を横切って行く。

男 (女の背中越しに)私が撮った写真です。
女  …?
男  私が、撮った海なんですよ。
女  この、写真?
男  ええ。
女  …知ってます。
男  どうして?
女  ……あなたの…話を聞いて。

男  …窓に貼られた風景を、彼女が撮った写真なんだと思っていました。
   僕は彼女の撮る風景がとても好きだった。
女  …。
男  自分のフイルムの中に、同じ風景をみつけたとき。
おどろきました。動揺しました。とりかえしのつかない、やりきれない気持ちになりました。
女  …。
男  …なにを、とりかえしたいと思ったのか…。この風景を見にいかなければいけないような気がしました。
女  …。
男  気が付くと。海岸線を歩いていました。
女  海岸線…。
男  海岸線を、歩いていました。

男  もういちど、この海を撮ってみようと思ったんです。
この海を探し出して。そこで、自分が見ているものを知りたいと思いました。
女  それは、この風景にもう一度会いたいということですか?
男  …。

女  この、風景を、探して?
男  ええ。
女  海の写真を撮りながら?
男  ええ。
女  海岸線を歩いて?
男  ええ。
女  あなたは、「海岸線」を歩き続けて、「海辺の風景」を探し続けて、
…写真を撮り続けるんですね。
男  …。

長い、間

男  海辺の風景はほんとうにどこもそっくりで、嫌になるほどそっくりで。
なのに、いつも新しく違っていました。
女  …
男  どこへ行っても同じなのに、どこへ行ってもここじゃない。
女  …。
男  何枚も。写真を撮りました。

男  振り返るといつも見える、同じ風景があります。
女  …(この、写真?)
男 (笑う)歩けば歩くほど。どんどん、遠ざかっていくような気がします。
どんどん遠ざかる。歩き続けた道の上で別の海に会う。
遠ざかる道の上に、やっぱりその道以外のどこにもない、たくさんの「海辺の風景」がある。
女  ………。
男  そのうち、この海はどこにもないんじゃないかという気持ちがしてくる。
似たような風景ばかりが続く。うんざりする。それでも、何度も会う。はっとするほど綺麗な海に会う。ここだ、と思うと思わず…。
女  …。
男 (笑う)撮った瞬間にわかるんです。あー違った。ここじゃない。
女  分かるんですね。
男  そうやって撮った写真がとても美しく見える。
女  え・・・・・・
男  いいなあ。と思う。
女  その写真よりも?!
男  ………。
女  どうして?それは…。
男  探していたのはほんとうはこっちだったんだ。と思う。
女  え…。
男  だから、これはもう、いいじゃないか、と思うんです。
女  え…。

男  そして、とりかえしのつかない気持ちになる。
女  ?
男  そして、また、歩くんです。

女  海岸を?
男  海岸を。

女  そのひとの風景を…。あなたはそうやって壊してしまうんですね。
男  ………………
女  そのひとの風景を…。あなたはそうやって壊してしまうんですよ!

     女は男を見ている。男も女を見ている。
     しばらく…。

     男は女に微笑み返す。

女  ……?
男   そうやって。持って歩こうと思ったんです。ずっと。
女   ずっと?
男  (女を見ている)ずうっと。
女   そのひとは?

男 (海を見ながら)もしかしたら、そういうひとはいなかったのかもしれません。今、こうやって歩いていることから遡って作ってしまった、私の個人的な伝説なのかもしれません。
女  ほんとにそう、思います?
男  海岸を…歩きながら。
女  …………。

女はゆっくりと男に近づいてくる。
手にしていた写真をそっと男の前に差し出す。
男は戸惑っているがやがて写真を受け取る。
女、男に写真を返すと、背中を向け、海の方へ向き直る。

女  そのひとは、どうして、その写真を残していったんでしょう。
男  (写真を見ている)

女  (背中越しに。写真を見ている男へ向かって)……………綺麗な海ですね。

女、男の方へ向き直る。

男  (顔を上げ、女を見る)ありがとう。

唄歌いの歌声が灯台の上から聞こえてくる。
女はまたゆっくりと海の方へ歩いて行く。
海を見ながら、コンクリートの地面を歩き回っている。
男は灯台から聞こえてくる唄をぼんやりと聞いている。
しばらく…。

女  (海の方を向いて。独り言)あるところに。姉と妹がいました。
男  ?
女  姉は生まれてくることができなかった。両親は悲しみました。けれど、運命だと思いました。しかたない。そういうことも、ある。でも。原因が、母親が飲んでいた薬だということがわかりました。母は自分を責めました。原因が分からない間は、同情する人はいても責める人はいなかった。だけど原因がわかりました。誰がどこでどんな風に間違っていたのかがわかりました。誰かがその薬のことを正確に調べてそれをみんなに伝えたからです。まもなく、その薬は生産を中止されました。やがて新しい薬が作られて使われるようになりました。
男  …。
女  原因がわかったからって。そのとき母親にはどうすることもできなかった。後悔すること以外に。とりかえしのつかないことの原因をつきとめることで、誰が幸せになるんでしょう。
男  …。
女  副作用の少ない、新しい薬が使われるようになりました。
男  …。
女  幸せになったのは誰でしょう?
男   …。
女  …その後生まれてくる子供です。
男  …。
女  母親は新しい薬を使うようになりました。
男   …。
女  4年後に、女の子が生まれました。
姉のために用意された洋服や靴は妹のものになりました。
男  …。
女  母は…、母親は、幸せだったと思いますか?

長い、間

男  …そのお母さんには。いつも。ふたりの女の子がいたんじゃないかと思います。
女  …。
男  …ずうっと。

ふたり。それぞれ海を見ながら何か考えている。
しばらく。

遠く、海の方から霧笛が聞こえてくる。
男と女、顔を見合わせる。

男  何か…。
女  聞こえましたよ…ね。
男  ええ…。

もう一度。霧笛が鳴る。

女  ………霧笛…。
男  霧笛?
女  霧笛…です。
男  でも…。ここは…この公園では霧笛も鳴るんですか?
女  灯台にはサーチライトと霧笛があったと思いますけど…。今の音は…
男  海の方からでしたよね。
女  …でしたよね…。

男  船が…?
女  …?

ふたり、呆然として、海の向こうに目をこらす。
しばらく…。
白衣を着た女が一人。堤防の上から走ってくる。

男  あ…。(白衣の女の顔を見る)

男、白衣の女に話しかけようとするが、白衣の女はふたりを無視して大慌てで灯台へ駆け上る。ふたり、唖然として見送っている。

男  なんでしょう。
女  (灯台の上を見ている)あれ。
男  (灯台の上を見る)

ぽー。灯台の霧笛が鳴る。
霧笛の音が公園に響く。

船の霧笛が鳴る。
灯台に灯りがともる。
灯台と船の霧笛が交互に鳴り響く。

ふたり、海を見ている。

男  船・・
女  ……………船?

霧笛の音、大きくなる…

暗転

《3》

写真家の男、女、灯台から降りてきた白衣の女、腕章の男の4人が灯台の麓に集まっている。白衣の女はひとり、海を見ている。

女  それじゃあ。あの船は違ったんですか?
腕章 そういうことです。
女  …。
男  たまたま、流れ着いただけで…。
腕章 そういうことです。

腕章 向こうの町のヨット倶楽部の船でした。
男  ヨット倶楽部…
腕章 エンジンの故障で遭難していたところを漂着したらしいのです。
男  どうして、ここが港だと?
腕章 霧笛が聞こえたらしいのです。
女   霧笛が…。
腕章 ええ。霧笛が…。
女  出ていかなかった船が帰ってきたんですか。

腕章 ちょうどいい機会ですね。

ふたり、怪訝な顔をしている。

腕章 お集まりのみなさんには、残念な報告をしなければなりません。

ふたり、しんとしている。

腕章 本日を持ちまして、ここ港公園は閉鎖されることになりました。長らくのご愛顧、
   ありがとうございました。

あまりのことにふたりは呆然としている。

腕章 明日の朝いちばんに工事の車が来ます。港を埋め立てて町を作るんです。

ふたり、引き続き呆然としている。

男  え……あの…ここは…つまり…なくなるんですか?
腕章 そうです。
男  どうしてですか?
腕章 公園倫理委員会の総会で決定したのです。詳しいことは申し上げられません。  
   規則ですから。
男  …でも……いつから…いつ、決まったんですか?そんなこと。
腕章 ついさっきです。
女   どうしてですか?
腕章 (白衣の女の方を見る)
   私たちは、記録されなかったものの中から選ぶことはできないんです。
白衣 (無視して海を見ている)

しばらく…。

写真の男、怪訝な顔で白衣の女と腕章の男を見ている。
女はなにやら考えている。
腕章の男は白衣の女を視界の端に留め、男と女に話し続ける。

腕章 決まってしまったことですから。仕方がないのです。必要な公園の数は決まっていますから、無制限に公園を増やすわけにはいかないのです。
男  そんな…。
腕章 公園を入れ替えていくことも、私達の仕事の一つなのです。
どうしようもないのです。はじめからそう、きまっているのです。新しくできた公園はいつか必ず壊れて新しい公園に生まれ変わります。筋の通った話です。泣いても怒ってもどうにも仕方がないのです。

ふたり、呆然としている。
白衣の女はずっと海を見ている。

腕章 世の中には「理不尽に悲しいこと」があります。理不尽なことに対して、私達は怒りをぶつけることができる。声を荒げて憤ればいいのです。だけど、「筋の通った悲しいこと」というのもある。私たちが全く、どうすることもできない悲しみです。黙って、受け入れるしかないんです。
誰も彼もがどうしようもなく悲しい、「筋の通った悲しいできごと」って、いうものもあるんです。

腕章の声を背に。白衣の女は海を見ている。
腕章の男は白衣の女にはひとことも話しかけない。

腕章  (絞り出すように・・ひとりごと・・・)美しい…公園を…つくりたい…
男・女 …。

腕章の男は立ち上がり、ベンチの埃を払い、背もたれから外れかけている看板をまっすぐに掛け直す。
看板の文字は汚れて消えかけているが、かすかに読みとれる。
<公園を美しく>
男、女、言葉もなく呆然としてそれを眺めている。

腕章の男はベンチの汚れを丁寧に丁寧に拭い去ると、両手で抱え、黙って去っていった。

女  行っちゃいましたね。
男  ベンチ…。
女  どこへ持ってくんでしょう。

白衣の女は灯台への階段を上っている。
ふたり、ぼんやりと見送っている。
白衣の女は灯台の中へと消えた。
残されたふたりは特に立ち去る理由もなく、
なんとなくその場に立ち尽くしている。
夕方が近づいてきた。
浜風が吹き始め、波が次第に高くなる。
しばらく。

男  港を失くした船は、これからどうなるんでしょう。
女  …遠くの海を、航海するんです。いつまでも…。
男  あなたは…。
女 (男の顔を見る) 
男  何を考えてたんですか? さっき。
女  え?
男  海を見ながら…。
女  …。
男  お姉さんのこと?
女  お姉さん?(一瞬戸惑うが、男の言葉の意味を察してあいまいに微笑む)

大きな音と共に、灯台の明かりと発電機の音が消えた。
あたりは静まりかえり、波の音が大きくなる。

ふたり、怪訝な顔で灯台の方を見遣る。

白衣の女が大きな荷物を持って灯台から降りてきた。
コンクリートの岸に立ち、遠く、海を見ている。

男 (白衣の女に)あの・・・
白衣 また、公園を壊してしまいました。
男  …あなたが壊したんですか?
白衣 そうです。
男  どうして?
白衣 港には灯台がありますから。
男   ?
白衣 私は灯台守でした。
男   …?
白衣 だから、船を待ってたんです。
男  ・・・・・・・・
白衣 灯台の上から見ると、ここは公園ではなく、船を待つ港でした。
男 ・・・・・・・・・
白衣 だから船を待っていました。
男 ・・・・・・・・・・
白衣 けれど、私が壊したのは公園です。
男 ・・・・・
白衣 公園がなくなってしまいました。だから、船はもう帰ってこない。
男  ・・・・・・

白衣の女、男の方を振り返り、

白衣 ほかに質問はありますか?
男  ・・・・・・・・・

女、何か言いかけるが言葉にならない。
ただ、白衣の女を見ている。
白衣の女も、女を見ている。
しばらく・・・・・・。

女、白衣の女に笑いかける。
白衣の女、女の表情に戸惑う。
男は呆然とそれを見ている。

白衣の女はやがて、荷物を持ってふたりの横を通り過ぎ、
ゆっくりと堤防を上っていった。

男はそれを見送っている。
女は海を見ている。唄歌いは歌っている。
やがて…

女  さっきと同じ唄。
男  …え?そうですか?
女  …同じ唄ですよ。ほら。だけど…。
     
ふたり、しばらく聞いている…。

女  唄にはどうして2番があるのかって。考えたことあります?
男  2番?
女  2番。
男  3番もあるじゃないですか。
女  …唄にはどうして3番もあるのか。
男  あのひとに聞いてみればいいじゃないですか。
女  …忙しそうだし…。

唄歌いは歌い続けている。
風が強くなってきた。ふたり、ぼんやり聞きながら海を見ている。
長い、間。
やがて。女がふと思いだしたように話し始めた。

女  海辺で靴を失くしたことがあるんです。
男  靴?
女  赤い靴でした。ぶかぶかの大きな靴をはいて、私は海岸を走っていました。砂の上にざくざくって足跡をつけて、走って、走って。そして、ぽーんと、地面を蹴りました。靴は大きな放物線を描いてぽちゃんと海へ落ちていきました。ずいぶん、長い時間をかけて、海へ落ちていきました。そして戻ってきませんでした。探したんですけど。見つからなかった。結局、片方だけ裸足のまま、帰りました。
男  片方だけ…。
女  赤い靴でした。履けなくなった靴はいつのまにか新しいのに変えられて。捨てたり、破れたり、したんでしょうけど、全然覚えていない。その、赤い靴のことだけは覚えてるんです。こんな風に波の高い日。海を見てると、そのうち波と一緒に打ち上げられて戻ってくるんじゃないかという気がするんです。

男  戻ってくるのは片方だけですか?
女   ええ。だって失くしたのは、片方だけですから。
両方戻ってきたら、片一方余るじゃないですか。
男  余る…
女  ええ。片一方。

男、しばらく考えている。

男  でも…もしもですよ、もしも、だからといって片一方だけ戻って来たりしたら、それはそれで困ったことになりませんか?
女   ?
男  あなたには、今度は失くさなかったはずの片方の靴が欠けていることになる。失くした靴は戻ってきても、失くさなかった靴は戻ってきませんよ。
女  おんなじです。失くした靴が戻ってきたところで、私はもう、その靴を履いて歩くことができません。
男  …。
女  戻ってくるような気がするだけです。海辺に落ちていた靴を。誰かが履いて歩いているのかもしれないなと思うこともあります。
男  …。
女  履けなかった靴を、妹が代わりに履いて歩いたように。
男  (女の顔を見る)

     女は黙って海を見ている。
     
男  ……あなたは……今日は…、どうしてここへ来たんですか?
女  よく似ていたんです。私の知ってる海に…。
男  …。
女  (笑う)その日はとてもお天気がよくて。
こうして見るとずいぶん向こうの方まで見渡せたんです。
男  …
女  岸はどんどん遠ざかって…やがて船から見えなくなりました。
男  !
女  その日。(男の方を振り返り)そこから船が出て行ったんです。
男  ・・・・・・・・・・・・・・

女、海の方へ向き直り、黙って水平線を見つめている。
しばらく。
男、女を見ているが、ふと思いついてカメラを構える。
海を見ている女に焦点を合わせ……しかしそのままシャッターを切らず、
カメラを女の視線の先へ向ける。レンズの向こうには遠く、海が広がっている。

女  綺麗な海ですね。

海辺の夕暮れの風景の中。
男は海へ向かってシャッターを切った。

灯台の上では、唄歌いが最後の唄を歌っている。

終わり 

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