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MOFUMOFURADIO!2023/10/17(火)vol.3 ゲスト:バッグデザイナー佐野正子さん


毎週火曜日19時~ 放送中!
FMブルー湘南のホームページでリアルタイムのみで聞けます

俳優でシンガーソングライターの九里みほの初!冠番組がFMブルー湘南でスタート!目で見るラジオざっくりアーカイブ!
 
M 『THE SURF COASTERS /Beach Monsters
『九里みほのMOFUMOFU RADIO!』皆さん、こんばんは 九里みほです。
 10月17日 火曜日モフラジ第3回目。
急に寒くなったりして、 やっと11月の気温になったりとかしてますけど、衣替えとか間に合わないんじゃないですか? 
私はいつも、何でも間に合ってないんですけどね(笑)
さて、今日はどんな番組になるのか、 お楽しみに!!!


秋になってね 10月ぐらいになるとね。 
なんかこう1年を振り返ったりとか、ちょっと センチメンタルの気分になったりとかしがちなんですけど、皆さん いかがお過ごしですか? 
モフモフスタジオにはですね。 モフモフ犬のアリちゃんっていうのが、いるんですけど。

アリちゃん

アリちゃん、 アリちゃんはセンチメンタルの気分になったりする?アリちゃん:しない!しないね~意外とですね。私、 繊細な一面がありまして。 嘘だろう? って声が聞こえてきそうなんですけど。私、頭痛外来に行ってて、清水俊彦先生っていう、あのテレビにもよく出ている先生がいるんですよ。その先生が、私の脳波を見て『君って意外と デリケートなんだね』って(笑)言ってたんだよ~! アリちゃん! アリちゃん!デリケート だってすごいね~。もう脳波で繊細さが分かるっていう。もう素晴らしい、頭痛の権威の先生でございます(笑)

さて、10月17日というのは何の日か と言いますと、
上水道の日! なんと 日本で初めて 上水道が通った日。

1887年 明治20年に、横浜市の市街地に日本初の水道が通る。
これね 当初は、外国人居住地に設置されたのが初めて、87軒ぐらいの家に、水が通ったらしいですね 。
上水 っていうのは 皆さんご存知だと思いますが 飲料水、中水は 工業用に使える水。そして 下水はあの 生活排水とか処理が必要なお水。これが、横浜が一番最初ってすごいですよね。
神奈川県が最初なんだね。 やっぱり外国人が住んでるところが最初 っていうのはなんとなくわかるような気がしますね。ここから、どんどん 日本に水道のお水が普及していって、便利になったみたいですね。
はい というわけで今日は 『上水道の日』ということで、ここで1曲聞いていただきましょう。
フロック ス・リープで『水道からタツノオトシゴ』

M フロックス・リープ/水道からタツノオトシゴ

いや~水道からタツノオトシゴ 出てきたら 怖いですね。
間違って飲んじゃったりとかして怖いですけど(笑)
昔ね、江ノ島水族館、今のエノスイに行ったんですけど、水族館の水槽の前にタツノオトシゴの干物が落ちてたんですよ。私、 見つけました!って先生の渡したら、先生がね大喜びでね、 持って帰っちゃったんですけど (笑)
そんな思い出があります。
フロックスリープで『水道からタツノオトシゴ』でした~

【モフっとゲストコーナー】

九里みほ:今日はですね。 初めてのゲストが来ています!わーーーー!
ご紹介します。バックデザイナーそして、ウクレレシンガーの佐野正子さんでーす。

佐野正子さん

【バッグデザイナーとして】


佐野正子:こんにちは よろしくお願いします。
九里:今日は来てくれてありがとうございます~
佐野:いえ、こちらこそ、呼んでいただいてありがとうございます。
九里:バックデザイナーとして
佐野:そうですね~
九里:呼んじゃいましたけど、ウクレレシンガーとしては「まのすさん」という名前で活動してまして、三浦海岸のナツメグカフェで対バン させてもらって以来、いろんなところで。最近でよくお会いする機会があって、まのすさんと色々話しているんですけれども。
まのすさんの、 そのね そのバックデザイナーとしての一面をあんまり知らないなって思って。
佐野:正体かくしてました!(笑)
九里:今日はね 詳しく聞いてみたいなと思って、呼んじゃいました。
まのすさんと呼ばせていただきますが、お名前が佐野正子さん。
私のおばあちゃんが正子さんなので、ちょっと親近感が湧いちゃいますけど。東京都大田区出身。
佐野:大田区大森 なので 京浜急行 だと 梅屋敷とかあの辺ですね。
九里:生まれも育ちも?
佐野:生まれも育ちも。
九里:今、葉山に住んでらっしゃるってことで、葉山出身なのかと思ってました。
佐野:違うんですよ~
九里:いつ葉山に来たんですか?
佐野:えーとですね。最初に引っ越してきたのは、2012年に横須賀なんですよ。不入斗に住んでたんです。不入斗中の向かいくらいに。
九里:不入斗ね!あの山口百恵ちゃんの不入斗中学ですね。
横須賀に何か魅力を感じたんですか?
佐野:そうですね。ま、いろいろ事情があってっていうのもあるんですけど、元々ずっとね 、都内で生まれ育って、あの辺にずっと住んでいたので 初めての土地っていうのもあったんですけれども。
いやかなり面白い土地だなと思って!ちょっとはまってしまいまして。
それから、不入斗から秋谷の方に引っ越したり。で、今は葉山に住んでるんですけれども。もう10年以上経ってしまいましたね。あっという間に。
九里:その時はグラフィックデザイナーをされてたんですか?
佐野:グラフィックデザイナーは学校を卒業して5年間くらいですね。それからは、ずっとバッグデザイナーです。
九里:グラフィックデザイナーの時はどんなものを?
佐野:そうですね。 例えば 雑誌の付録の企画だったりとか。
パンフレットとか リーフレットのデザイン だったりとか。そういう仕事をメインでやってましたね。
九里:そういうのに興味を持ち始めたのはいつくらいから?
佐野:もともと絵を描くのが好きだったんですよ。
なので 専門学校 もちょっとデザイン系の専門学校に行かせてもらって。
それから最初 グラフィックの方の仕事を始めたんですけれども。
5年ぐらい経って、 ちょっといろいろご縁があって転職して、それから バックのデザインですね。
ずっと インハウスデザイナーで活動してまして。
ちょうど横須賀に引っ越してきた時は、 フリーランスで動いてる時でした。
九里:その前はアニエスベーボヤージュに。
佐野:そうですね。そういうところでも。財布も小物も、いろんなことをやってました。
九里:革小物を?
佐野:そうですね。ナイロンバッグ だったり 頒布のバッグの革のバッグ
いろんなデザインを。いろんなブランドをね、いろいろ 渡り歩いてっていう感じでやってましたね。
九里:なんでグラフィックから、バッグデザインに?
佐野:ああ、これもご縁なんですけど、たまたま人づてで、。デザイナー探してるらしいよ 、みたいなの 聞いて。 ジャンルが違うからで最初はお断りしたんですけど。いい機会なので、 お話だけでもと思って面接受けたら、なぜ受かってしまったという。
それから 、もうずっとバッグのデザインですね。
九里:やっぱり魅力を感じたんですね。
佐野:やっぱりこう 何もないところから生み出すっていう、『ものづくりの楽しさ 』だったりとか。もちろんね、 企業のデザイナーなので自分のやりたいデザインを100% 出せるわけじゃないですし、ブランドにそったデザインをしなきゃいけないっていうところは、なかなか自分の中で、すり合わせは大変だったんです。それでもやっぱり自分がデザインしたものが形になって、街中ですれ違った人が自分のデザインしたバッグを持ってるなんてことがあれば、もう、胸がドキドキときめいちゃって。ホントに嬉しいなって思って。

【コロナ禍にSymposioNを立ち上げ】


九里:それはテンションあがりますね~!そして、フリーランスでいろんなところを渡り歩き。 コロナ禍に自身のブランドを立ち上げるという。
佐野:そうなんですよ。
正社員として働いていた会社さんがあって、そこでインハウスデザイナーでやらせていただいてたんですけれども。
コロナの影響が出始めてしまいまして、 私は OEM って言って あの大概的なブランドのデザインを担当するっていうところにいたんですが、 やっぱりコロナで仕事が減ってきちゃって。そんな事情もあって、1回 退職をさせていただきまして。退職金なんかもらいながら、ちょっとぼんやりしてたんですけど。
私も、もう結構いい年ですので、 この機会に、 自分で ブランド立ち上げちゃった方がいいんじゃないかと色々考えまして。
九里:それで『SymposioN(シュンポシオン)』を立ち上げる。

↑こちらのサイトから、SymposioNのバッグを購入できます👜

ギリシャ語なんですね。日本語だと饗宴、まのすさんのイメージに合っている。
皆で集まって飲んだり、食べたり、語り合ったり人との繋がりを大事にしたいというコンセプトで。
佐野:ちょうど、コロナの最中で、それが一番できなかった時期じゃないですか。それもあって、私が一番したいことをブランド名にしようと思って
『SymposioN』という名前にしました。
九里:そのシュンポシオンは、珍しいんですけれども。エシカル。
佐野:エシカル、サステナブル、ちょうどSGDsの時で。
九里:素材の余った部分?っていうんですかね。
佐野:ずっと社内ブランドのデザインでやっていた時に、年末だったりとか お掃除の時とか、棚卸しの時に、ちょっとだけ使って、結局使わなかった 素材ってのが、何トンとか。
九里:何トンも?!
佐野:そうです。そうです。
大きなブランドになると、それくらい残りますね。
九里:それって結局どうしてるんですか?今は、まのすさんみたいに、買い付けている人がいますけど、そうじゃなかったら倉庫に眠り続けるってことですか?
佐野:会社の中で使わなかった素材だったりとか、あとは ハタヤさんって
生地を作る工場 さんですね。そこで 結局大量に作ってお洋服屋さんにおろしたりとかしてるんですけれども、それでもやっぱり何 mとか半端に残っちゃうんですよ。 お洋服ってやっぱり 数も作るし、要尺って使う量もそれなりにあるので、5m とか 10m とか残っちゃったら、そのままになっちゃうんですよ 。
九里:もったいない~!すごくもったいないですね。
佐野:そうなんです。例えばもそういう工場とかに、そういうものがあるって、私は知っていたので 。 自分で ブランド立ち上げるにあたって普通に生地を買って企画して作っても、あまり意味ないなと思って。私もずっと 企業でデザイナーしてた時に、そういうものが 廃棄されていくのを見ていたので。 自分でやるんだったら、そういうもの。1から作るんじゃなくて、まず、あるものから使っていこうっていう。
そういう思いで、工場さんに。昔からお付き合いのあるところに連絡をして、こういうブランドをやりたいと思ってます。 生地を買わせてください!と。で、買わせていただいて、バッグのデザインをして っていう形でスタートしました。
九里:生き返らせる。死んでしまった生地を蘇らせる。

倉庫に眠る残った生地たちは宝物

佐野:そうですね。私はワードとして、サルべージ マテリアル って呼んでるんですよ。
九里:サルベージって引き上げる、宝物を引き上げるって意味ですかね。ということは、生地を見てからデザイン考えるんですね?
佐野:いろんなデザインのやり方はあると思うんですけれども、 最初 デザインを決めてから素材を探す方法と、素材を見てからそれで デザインに落とし込む方法と、私は後者の方を今回のブランドではとっていまして。まずは 素材 ありき。で 、それから 形を作っていたんですけれども。だんだん、 その形に合う素材を選ぶようにはなってますけどね。
九里:どのぐらいのペースで生まれるものなんですか?
佐野:そうですね。 今、結構 百貨店を中心に、ポップアップショップっていう形でメインで動かせていただいてますけれども。だいたい 職人さんにお仕事 出すと、 納期がだいたい決まってるんですよ。まあ 2ヶ月 3ヶ月ちょっと。長いところだと4ヶ月ぐらいかかっちゃうので。そのタイミングに合わせてそろそろ、先のスケジュール 鑑みると そろそろ 発注しなきゃいけないかな って思った時に、生地を探しに行ったりとか。で、職人さんにお願いしていったりとか。そういう感じでやってるので。そんなペースですね。
九里:大量生産はできないわけですよね。そうなると何点ものとか。少ない数になるんですよね?
佐野:そうですね 。数 メーター しか手に入らなかったっていう場合は、本当に作れる本数も、6本とか10本以下ぐらいの形になっちゃうので、もうそれは本当に早いもの勝ちっていう感じですね。
九里:私も一個、小さな革のポーチ、充電器 とかコードとか、ウクレレの小物とか入れられる。 買わせていただいたけど ウクレレの小物とか入れられるもの買わせていただいたけど。本当になんかこう、可愛らしい、手にコロンと馴染むような感じの。

この小ささとコロンとした感じがお気に入り

私、実はブランド物に、全然興味がないんですよ。 なので、こういう一点ものとか、オリジナリティのあるものに、すごい興味があって。いいと思うと本当に例えばお値段がちょっと高くても、気に入っちゃうと買っちゃうんですけど。 今、 いろんなものが値上がりしていて、お金使わなくなってる人が多いと思うんですけど、良いものには お金をかけるんですよね。 美味しいものを食べたりとか、いいお洋服を買ったりとかすると思うんだけど、 やっぱりここのね あの『SymposioN』のバックとか 小物ってそこに当てはまるものじゃないかな って思うんですよね。
佐野:そうですね。結局、気に入って買ってくださったり、すると使い捨てにはならない。大切に使っていただけますし、 可愛がってくださいねって私も買ってくださった方に、いつもお声がけしてるんですよ。
九里:子供をお嫁にだすようなね。
佐野:そうです。そうです。


三浦海岸ナツメグカフェにて、昭和歌謡の女王
まのすさん

【ウクレレシンガーまのす】

九里:そんなあの活動をしながら、 実はウクレレシンガーもやっている。
ウクレレとの出会いは?
佐野:そうですね 。携わり始めたのが 2006年ぐらいですかね。
その時は目黒に住んでたんですけれども 、その時よく遊びに行ってた渋谷のライブハウスがありまして ライブハウスのマスターに、 ウクレレ教えてやるからやってみれば! なんて言われたんですよ。 私も たまたま その次の月かな、プライベートでハワイに旅行に行く予定があったので、『え!やってみたい!』ってなって、『ハワイ 行って、ウクレレ 買ってきたよって!』
九里:カマカですか?!
佐野:それはカマカじゃなかったな。Gstringだったかな
九里:Gstring私も使ってる!いいですよね。
佐野:それで一緒に習い始めた友達と色々やってたんですけれども、私がやりたい音楽が昭和歌謡がやりたい。
九里:最初から昭和歌謡だったんですね。
佐野:そうなんですよ。結局、そんなに難しいことできるわけじゃないし。習い始めの時。で、自分が歌いたい曲とそんなに難しい コード 使わなくてもいい っていう曲で、すり合わせていくと 昭和歌謡 だったっていう。
いい曲いっぱいあるじゃないですか。
九里:そうなんですよね。いい曲いっぱいあって、私の場合はいい曲過ぎて、私がカバーするのは申し訳ありませんって思うんですよね。だからオリジナル曲しか歌ってないんですけど、まのすさんは、昭和歌謡の女王としてウクレレ界で名を馳せているというね。 素晴らしい シンガー なんですけど、その昭和のカバー曲も まのすさんのオリジナルになってますよね。
佐野:結局、技術がそんなにないので、変な話。コピーができないのでカバーになっちゃうんですよね。 自分なりに 解釈して、で、あの自分の中に落とし込んで歌って、弾くっていう形をとっているので、結局自分のものになっていっちゃうっていう。必然的にそういう感じでやってますね。
九里:ライブをやりはじめたのは?いつぐらいから?
佐野:ちゃんとライブとしてやり始めたのが、多分 2010年 とか 2011年とか。
九里:5年くらい経ってすぐ。
佐野:オープンマイクみたいのはね。習い始めた後ぐらいから。
九里:オープンマイクに出てたりすると、ライブにも行きやすいですよね。私ね、オープンマイクに全然出たことなかったんですよ。
で、いきなりライブやってたんですよ。
佐野:え!それもまたすごいですね。
九里:いやいや、そういうシステムを知らなかったので。
そうですね、オープンマイクから
出られるか方、ウクレレ界多いですよね。
佐野:その頃、mixiをやっていたら、ウクレレのコミュニティみたいのがあって、なんかそんなのに入ってたら、メッセージ 頂いて「今度こういう感じで オープンマイクっていうのやるんですけれども、どうですか?」って誘われて。行ったのがきっかけですね。そこでウクレレの仲間ができて、今に至るって感じですね。
九里:そこから、佐野正子が『まのす』になるわけですか?
佐野:mixiのハンドルネームが、まのすだったんですよ。
九里:まのすっていうのは、聞いた所によると、まのすの”ま”は魔女の”魔”?(笑)
佐野:悪魔の魔です。
九里:ふふふふ、それはどういう?
佐野:それを話すと三時間くらいかかるんですけど、手短に。
一人暮らしを始めた時に、ここはもう、私の住処だな~なんて思って、遊びに来てくれた友達といろいろ、飲んでたんですけれども、『正子の住処だね~!』から、『まの巣』『魔の巣』みたいな感じで、ハンドルネームが決まっていったという。たまたま、笑うセールスマンが商談している店の名前が魔の巣で、ちょうどいいや、いずれ将来スナックでもやる時は、
これを屋号にしようなんて思いながら、ハンドルネームを『まのす』にうっかりしてしまったら、今でもずっとその名前がっていう流れですね。
九里:なるほどね。そういうことなんですね~
三浦海岸のナツメグカフェでよくライブやってますけど、まのすさんのライブになると、おでんが食べられたり、お酒を感じられるライブが多かったですよね。
佐野:そうですね。ありがたいことに、何年かずっとバースデイライブをやらせていただいてまして。ちょっとコロナでね 今ちょっと中断しちゃってはいるんですけれども。まあ、せっかくだったら昭和歌謡聞きながら、熱燗でも飲んで、おでんをつついてもらおうというですね。
九里:そういうの似合いますね~
昭和歌謡、日本酒におでん(笑)
佐野:昭和歌謡でも、あんまりポップじゃなくて ダークな感じのところに。
九里:アフリカの月とかいいですよね~
今日はここで、1曲演奏していただきたいと思うんですが、今日は何を。
佐野:この間、フォークしばりのライブをさせていただいて、新曲で自分
中でアレンジして出来上がったばかりなんですけれども。
昔の曲なんですけどね。 『竹田の子守唄』お願いしたいと思います。
九里:はい お願いします 。

生演奏 まのす/竹田の子守唄

【自分の好きなものを作る銅版画】


佐野正子Instagramより

ぱちぱちぱちぱち
佐野:はい ありがとうございました。
九里:ありがとうございました。まのすさんで、竹田の子守唄でした。
アリちゃん!熱燗もってきて~って雰囲気になってますけど。日本酒飲むとバクバクしちゃうんですけど。ホントにすごいですよね。
まのすさんの持ってる雰囲気が。一つ確率されているものがあるというか、芯があるというか。すごいなって思うんですけど。
さらに!!!バッグデザインとウクレレだけじゃなくて、銅版画制作で
個展ですか?
佐野:これは、工房展になりますね。
九里:銅版画までやってたんですね。
佐野:そうなんですよ。学生時代に先ほどのデザイン系の専門学校の時のカリキュラムの一環で、版画のチーム があってそれで結構楽しくやってたんですけれども。横須賀に引っ越してきてから思い出して、ネットで調べたら不入斗の住んでた家の本当に1km ぐらいの、上町のあたりなんですけれども そちらに工房がなぜか、あったんですよ。 なかなかないんですよ。銅版画の工房って。
九里:銅版画ってどうやってやるんですか?
佐野:版画には大きく分けて、凹版と凸版 っていうのがあるんですよ。
よく小学校の時に 図画工作でやるのねは凸版っていうんですよ。
インクを乗せて刷る。銅版画の場合は、銅板を腐食させて、凹ませて。
そのボコッとした穴のところにインクを詰めて、刷るっていう。
合板 っていう。全然 別のやり方ですね。凹版とは全く別の技法になります ね。表現があってなかなか面白いものなんですけれども、工房を見つけまして、先生に『頼もう~!!!!』って言って ドアを叩いて。
そこから先生に色々 習って。もう10年ぐらいやってますね。
九里:グループ展みたいのも、頻繁にやってたってことですか?
佐野:それも私が発起人で、ライブもね、ウクレレのライブってやっぱり 人前でやるとどんどんこう上達していくじゃないですか。
私が入ってから、仲間が増えてきたので、いい機会だからそういう発表の場を作ってやったらどうかって、先生に提言したら『それ、いいね。やろうよ』って。
九里:さすが、やり手ですね~
佐野:ビエンナーレ(イタリア語で2年周期,
二年に一回行われる芸術祭のこと。)みたいな感じで。4回目になります。
九里:それは購入もできる?
佐野:作者の任意なんですけど、何枚でも刷れるので、展示販売っていう形や、会期が終わってから、お渡しっていう形にもなるんですけれども。
もちろん販売もできますし。見ていただくだけでもこういうのもあるんだっていうところで。
九里:へぇーーーーー!ウクレレも暗譜して弾いてるじゃないですか。
デザイナーとしてデザインしながら、ポップアップショップも地方にも行っていて。さらに銅版画をやっている。
どういう生活サイクルで。大丈夫なんですか?何時に寝てるんですか?睡眠時間とかちゃんとあるんですか?
佐野:ちょー寝てます。
九里:寝てます!
佐野:昨日も10時過ぎには布団に入ってました。
九里:すごい!それって要領がいいんですかね?
佐野:やり始めると早いんですよ。忙しい時と暇なときの波があるので、ポップアップショップじゃない時に、版画 だったりとか ウクレレの練習だったりをわちゃわちゃわちゃっとして。っていう感じで。
今はペースを作ってますかね。
九里:緩急がありますね。だから葉山に住んでるっていうのも、ざわざわしてないところで静かに過ごせる時間と、ポップアップショップで、いろんな人に会う時間と。
佐野:メリハリはあるかもしれないですね。
九里:いいですね~
もともと、葉山に出身の私は今は東京にいますが。
いずれ戻りたいなと思うんですけど、なかなか難しいですけど。
職人系の人、デザイナーさん、アーティスト系の人って葉山、横須賀の海の方に住んでる方、多いですね。刺激があるんですね~
佐野:そうですね~
九里:銅版画はどんなものをテーマに作っているんですか?
 佐野:その時々で変わるんですけど、銅版画、私の中でデザインとはまた、ぜんぜん違う。自分の表現方法なんですよ。で、デザインっってある意味、人に見せる物。人が受け入れてくれるものメインで考えなきゃいけなんですけど。 銅版画に関しては本当にもう自分の好き勝手にやってるっていう感じ で。だから、それその時その時で、やっぱりテーマも変わっていくわかですけど。
九里:私も絵を描くのはすごく好きなんですけど、絵を描くのが好きになっったきっかけとか、影響を受けた人とかっていますか?
佐野:影響のあった人っていうのは、特にいないと思うんですよね。
たまたま、絵だったって感じですかね。自分が発信したいもの、表現したいものがあるじゃないですか?お芝居だったりとか、歌だったりとか、それが、たまたま絵だったり、デザインだったりっていうだけであって、 歌を歌う人もいれば、写真を撮る人もいれば、なんかそういう人それぞれで表現方法が違うっていうだけで。
たまたま 私は、絵を選択だったりとか、版画を選択したっていう形ですね。

佐野正子Instagramより

九里:どういう時描いてました?小さい時とか。
佐野:鉛筆と落書き帳とかを与えておけば、静かなタイプの子供だったので。
九里:私もそういう感じで。小さい時に描いた画用紙をですね。父が本屋で有隣堂に勤めていたんですけど、なぜかその画用紙を製本して、いまだにあるっている。子供の時のクレヨンで描いた点々からあるので。これ、どうするんだろう?私が何か残せればいいですけど。九里博物館とかできたら、飾れますけど製本してあるので、もったいないですね。『みほのえ』って百科事典みたいな厚さなんですけど。チェルシーのお菓子の箱の模様とか描いてるんですよ。ははははは。
佐野:今度、機会があったら見せてください。
九里:たくさんあるんですよ。それが!
佐野:お父さん、まめですね。
九里:長女だったので珍しかったりしたんでしょうね。紙があれば描けるから、私はもうなんかテストの答案の裏にですね。描いたりしてましたね。
佐野:教科書の片隅に、パラパラ漫画とか作りましたよね~
九里:やりましたね~友達の似顔絵描いたりとかね。
佐野:楽しかったですね~!やりました。やりました!ふふふふ。
九里:そんな、まのすさんの才能が溢れすぎて、多才すぎて紹介しきれないんですが、今後、たくさん、スケジュールがあるそうで。ご紹介してもらってもいいですか?

【SymposioN・まのす情報】


品川駅エキュートで開催された
ポップアップショップ
素敵なバッグがいっぱい


佐野:まず、最初のお話させていただいたSymposioN
こちらのポップアップショップもう、開催しているんですけれども。
10月の16日から22日。品川のエキュートですね。
駅のコーナーにあるショップなんですけれども、そちらのエキュートの2階エキュートギャラリー というところでポップアップショップ 22日までやっております。
九里:たくさん、出るんですか?商品は!
佐野:そうですね。今、フルラインナップで。
よかったら見に来てください。
九里:それと!

銅版画展
※終了しました。

 佐野:先ほどの版画ですね。 10月の30日から11月の4日までですね。横須賀の日の出町 デニーズありますよね。米ヶ浜のデニーズの交差点を海の方に行った所なんですけれども。そちらにギャラリー フルートさんっていう、地下に降りていくギャラリーがあるんですけれども そちらの方で 藤田 グラフィック版画工房展開催させていただきます。 師匠のね あの 藤田先生 藤田修先生も 横須賀の 衣笠 出身の方なんですけれども 日本全国の美術館にも作品が 収蔵されている。もう素晴らしい先生なんですけれども、 先生の作品もね 一緒に見れますので是非こちらも足を運びください。 11時くらいから、夕方の5時ぐらいまではやっております。
九里:そして!

三浦海岸ナツメグカフェ
イサジ式ライブ
※終了しました。


佐野:先ほど、竹田の子守唄歌わせていただきましたけど。11月の3日こちらですね6時半オープンということで三浦海岸のナツメグカフェ。こちらでイサジ式というシンガーの方がいらっしゃるんですけど、オープニングアクトとして、ウクレレライブやらせていただきますので。こちらの限定 10名 なんですけれども。予約制になっておりますのでお店の方に連絡していただいて、ご予約とっていただいて足を運んでいただければと思います。
九里:私のInstagramでもご紹介しますので、皆さんぜひぜひ アクセスしてください 。というわけで今日のゲストは 佐野正子さんでした~!佐野:どうもありがとうございました。九里:ありがとうございました。引き続き、いてほしいんですけどいいですか?佐野:いいですよ。九里:では、またのちほど~

【ニッポン昔ばなし】

東京都にお住まいのつねきちさんからのお便り

昔々、 日本では 歯磨き粉は粉を使っていた。
きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

九里:粉だって、見たことあります?
佐野:ありますよ。子供の頃、ありましたよ。
九里:粉、粉って何をどうして使うんですか?
佐野:私が覚えているのは、サクマドロップみたいな入れ物で。
上がパコって開くような、それで粉で。ヤニ取り歯磨きみたいな形で。
父親が使ってましたね。
九里:へー!すごい。
この件に関していろいろ送っていただいたんですが。
歯磨き粉は昔は焼き塩とか、焼いた米ぬかなんかを使っていたのが始まりで、江戸の若い衆が女性にモテようとしてせっせと歯磨きをして、歯が白いのが自慢だったらしいですよ。
佐野:きらっと光っちゃうんですね。
九里:そうそう、きらっと光っちゃう。それで、都会人か田舎者か判断されたらしいですね。よく考えると、米ぬかとかで磨いてたってことだから、結構、不潔というか、心配ですよね(笑)もしかしたら、お口臭い?みたいな。
感じもあるかもしれないですよね。
そして、歯磨き粉のあのに続いて、歯ブラシなんですけど 江戸時代の初期に房楊枝っていうのが登場して。柳の木とか、黒文字の木っていうのがあってそれのね先を、ガンガンガンって叩いてつぶして、針のついた剣山みたいなので、じゃじゃじゃじゃって、先を割いて。繊維状にして。歯にしゃしゃしゃしゃって、小さな箒みたいな、そういう形のものを使ってたらしいですね。浅草の浅草寺の近くにね。房楊枝店があって、そこできれいな女の人が売っていたらしいですよ。そういう絵がよく浮世絵にあるんですって。
佐野:そうなんですか。
九里:昔、そういう不潔なかんじだったから、結構 虫歯で亡くなる人が、たくさんいたらしいですね。
佐野:え?そうなんですか?!
九里:第14代将軍の徳川家重さん。甘党だったらしくて、昔は歯が弱いから、あんまり嚙まなかったらしいんですよ。甘いものをバクバク食べて、
21歳の若さで32本あった歯の、親知らずが脱落し、残った31本中の30本が全部虫歯になってしまったという。なので、ほとんど噛むことができなかった。それによって栄養不足。 ビタミン B とか不足してカッケになっちゃったりして。最終的には心筋梗塞などを起こして死んでしまうという。21歳で歯がボロボロになってしまう若者がいるという。モテたんですかね~?
佐野:どうでしょうかね(笑)
九里:歯は大事ですからね。気を付けましょう。
つねきちさん、ありがとうございます。にっぽん昔ばなしでした。

【モフっとお便りコーナー】


はい、第3回目となりましてですね。
たくさんのお便り頂いてます。
ありがとうございます。
ラジオネーム てっくん
九里さんの古くからのお友達です。

ありがとうございます(笑)
パーソナリティを初めてやるというのでどんなものか聞いてみたら
その道 30年のベテランか!というような雰囲気。
また声が聞きやすい。
ふむふむと感心しながら聞いているうちにふむふむふむふむ もふもふ となりました。

だって(笑)
てっくん、ありがとうございます。
そんな 30年のベテランみたいな感じがあるんでしょうかね?
はいどうもありがとうございます。
是非 ゲストで遊びに来てください。
てっくんでした。

こちらがですね。
ラジオネーム タンザニア スノー トップ さんから
九里みほさま、きゅーちゃん!
やばいです!今月の売上 ピンチです !何とかしなければ!

なんの売り上げがやばいか、わかんないからね。
どうすることもできないんですけども。
とりあえず売りましょう。
なんとか売りましょう。
佐野:頑張ってください !
SNS とかね使って売るとか 。
近所の人にね、こう おすすめに行くとかですね。 とりあえず隣の家のドアを叩いて買ってくださいって言ってみるのもいいかもしれませんね。

というわけで リクエスト曲 を頂いております。
リクエストは、ウルフルズ で借金大王
 
M ウルフルズ/借金大王

 さて、私のライブ情報をお知らせしたいと思います。

※無事終了しました。


10月21日土曜日。東中野MUSIC SEE YES!
陽介のハロウイン大暴れ 17時半スタート
出演が九里みほ、Cocon、望月薫、成瀬晃一、
Coconさんはコットン系シンガー、昭和のアイドルをカバーしていて、衣装とかも楽しみなんですけど。
そんな中に、混じってライブしたいと思います。
ぜひ、皆様、ご予約お待ちしております。
ご予約は私のInstagram、またはXのDMでお待ちしております。

【エンディング】


M 九里みほ/空からチクワが落ちてきた。

さて今夜のモフラジいかがでしたでしょうか。
今日はね ゲストのまのすさんに、バッグデザイナーの佐野正子さんに
来ていただきました。
たっぷり お話聞けて。
佐野:そうですね。たっぷり話過ぎて喉乾いちゃいました。
九里:飲んで飲んで、熱燗飲んで!今日はまのすさんの楽しいお知らせがいろいろできましたので、皆さん是非足を運んでください。
佐野:はい ありがとうございます。
九里:それではまた、来週の火曜日にお会いしましょう!お相手は九里みほでした。
佐野・九里:バイバイ ~!

まのすさん、ありがとうございましたー!


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