エッセイその2

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ノート

「烏合の衆」である私達に出来ること

昨日は選挙があった。民主主義は一見良い方法に見える。でもそもそも政治は、片手間に出来るほど簡単なものではない。

国民のほとんどは政治に直接関係ない仕事をしている。まあどんな仕事も、突き詰めれば政治に繋がっていくのかもしれないが、実際の「政治の現場」を知っている人は限られている。

選挙の時だけ政治のことを考えても正直限界があるのだ。政治ほど「プロフェッショナル」が求められる世界はおそらくないが、

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ヴェールの向こうの自分を見つめて

その人の際立っている一面を個性と人は言うけど、その個性とは、今の環境に置かれたことで引き出された側面である。

親の元に生まれ、この国に生まれ、この学校に行き、この会社に行き・・という経験が複雑に絡み合い、ある一面が引き出されて個性と呼ばれるようになった。

実際違う親の元に生まれ、異国に生まれ育っていたら、同じ人でも全く別人になっていただろう。

そう考えると、自分の内側にはどれだけ「現れなかっ

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これからの、人間と太陽

もうすぐ夏になる。にもかかわらず、曇りの日々が続く。しかしこれが終われば、暑い夏がきっとやってくる。

それに備えて、巷では日焼け対策グッズが多く出回っている。日焼け止めクリームやら日傘やら、帽子やらいろいろである。絶対日焼けしたくない人は、これをほぼ全部やるらしい。つまりクリームを塗って、帽子をかぶって、日傘をして。

そんな姿をみて考える。「そもそも日光って、そんなに拒否するものだったっけ?」

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企業よ、学校に刺激をください

先生の中には「社会に出たら理不尽なことがたくさんあるのだから、学校ある程度理不尽さに耐えられるように子どもたちを指導すべきだ」と考えている人もいるらしい。

最近子どもを通じて学校に関わってよくわかったのが、「社会が理不尽だから、学校が理不尽になる」のではなく、「学校が理不尽だから、社会が理不尽になる」ということである。

今社会で活躍している人に、学校を卒業していない人はいない。会社員だろうが社

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女性を癒せば、すべてが癒される

最近はなんでもビジネスとして成り立つらしく、「癒し」という、本来社会とは別の次元に置くべきものまでがビジネスになった。

社会とは一種の戦場のような場所だから、この世界に出るならば無傷ではいられないことを覚悟しなければならない。それは「癒し」も例外じゃない。癒しもまた傷つくのだ。

「癒し」は本当は、お金があろうとなかろうと、同じように与えられるべきものだった。傷ついた体や心を癒せずに、人は生きて

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思考することは戦うこと

考えることは基本的に疲れる。

でも人は、考えることを辞めない。自分の答えを見つけるまで、考えることは辞められない。

答えが出た時、それは考えることを辞める時だ。ひょっとすると、人が考えることを辞めないのは、好きだからではなく、考えることを辞めるためなんだろうか。

考えるのを辞めるために考える。なんだか変な感じだ。

答えがでると、頭がすっきりする。その答えが正しいとか、間違っているということ

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何かが起こる

今、大阪でG20が開催されているようだけど、
今後の日本の予定を眺めていたら、何か大きな変化?がありそうだ。

今、大阪に各国の首脳が結集しているが、10月には即位の礼で世界の国家元首が日本の結集する。

11月には大嘗祭があるが、同じ月にローマ法王が来日する予定である。法王の来日は38年ぶりとのことで、広島、長崎訪問と、東京ドームでの大規模ミサが予定されている。

天皇最大の密議である大嘗祭と同

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現実世界に生きる人が、原住民となる未来

最近新しい通信規格である5Gについていろいろと聞かれるようになった。

5Gは危険だとか、安全だとか、そんな話である。

危険か安全かは、私にはよくわからないけど、「今までの人間ではいられない」という感じはしている。

それは進化と呼ぶものなのか、退化と呼ぶものなのかもわからない。でも、5Gという、人間の体を丸ごと映し出してしまうような電波が、人間の体になんの影響もないはずはない。

5G通信によ

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擬人化から見えること

最近、なんでも擬人化される傾向がある。特に日本では多い。
でもよく考えてみると、擬人化は結構古典的な方法だ。

神話の世界では、太陽が擬人化(擬神化)されて、人間の姿やら人間に似た姿やらになって登場している。

日本ではなんでもキャラ化されるが、これは昔は世界中でしていることだった。神として崇める、という行為は、つまりキャラ化なのかもしれない。

キャラ化、擬人化とは、その物質と人間が交流するため

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結びとSHIBARIの境界線

神道には、教義らしい教義もなく、経典と呼べるようなものもない。でも神道には象徴的な動き、というか、行動のようなものがある。

それは「結ぶこと」「包むこと」「折ること」。

結ぶとは、繋がり、結びつきを表し、人との繋がり、人と物、人と他の生き物などとの、すべての存在との繋がりを表している。結界という言葉は、「結ばれた世界」であり、結びによって作られた世界の事。

包むこと。これは風呂敷や手ぬぐいで

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