思考することは戦うこと

考えることは基本的に疲れる。

でも人は、考えることを辞めない。自分の答えを見つけるまで、考えることは辞められない。

答えが出た時、それは考えることを辞める時だ。ひょっとすると、人が考えることを辞めないのは、好きだからではなく、考えることを辞めるためなんだろうか。

考えるのを辞めるために考える。なんだか変な感じだ。

答えがでると、頭がすっきりする。その答えが正しいとか、間違っているということは関係ない。自分が納得すれば、満足する。

人は自分が納得した答えを見つけると、その世界で生き、その中であらゆる答えを出すようになる。

その答えを出すのに苦労すればするほど、その答えに執着するようになり、やがて固定観念が生まれる。

自分の答えに執着が強ければ強いほど、他人を引きずり込みたくなる。自分の心の中だけではなく、外部も「自分が納得できる世界」にするために。

納得できる答えが出たとしても、そこで止まらなけらば、人はまた動き出す。動いていれば、進化が起こる。他人を縛ることもない。

誰かに自分の意見を押し付ける、という行為は基本的には仲間を増やしたい、という思いからやっているのではなかろうか。共感者が欲しいと強く思うと、無理やり共感させようとしてしまう。

自分の意見を押し付けない、というのは結構難しい。なぜなら「どこから押し付けられていると感じるか」は個人差があるからだ。

自分では押し付けていないと思っても、相手は押し付けられていると感じることもある。

そもそも「押し付けられている」と感じる段階で相性が悪いのだろうとも思う。

相手に意見を押し付けない人になるには、まず思考を辞めないことが大切だ。「これ以上の答えは無い」と思えるような答えが見つかっても、考え続けること。「ほかにも答えがあるかもしれない」と思う気持ちを忘れないこと。

他の答えを探し続ける限り、情報を遮断することはない。信ぴょう性の高い情報も胡散臭い情報も、自分の糧となる。自分がしっかりしていれば、無理に共感者を募ることも減る。しかしそれは孤独な戦いでもある。

相手に意見を押し付けないような人になるために、また誰かの意見に無理やり染められることのないように、私達は戦う。


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kunotan

ウェブライターの電脳魔女です。記事の内容は普通のコラムからオカルトコラムまでいろいろです。エッセイストになります!

エッセイその2

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