日本語好きな私が言うのもなんだけど

私は文章を書くのが好きで、日本語が好きだ。そんな私が書いていいのかわからず、ちょっとためらう。

言語を使って交流しているのは人間だけだ、と考えると言語で交流することは恐らくかなり不自然な行為なんだろうと思う。

知性があるのは人間だけ、なんて言う人が時々いるけど、完全に間違いだ。
自然が持っている叡智に比べれば、人間の知識なんてたかが知れている。
人間が知らないこと、理解できないことも、自然はたくさん知っている。本当に必要なこと、大切なことは自然が教えてくれる。
証明する方法なんてない。でもこれは確かなことだ。

自然を代表する生き物は恐らく木だ。木は言葉は使わない。でも意思がないわけではない。ただ言葉を使わない、それだけだ。

おそらく太古の人間も、言葉を使って交流していなかった。一種のテレパシーのようなもので交流をしていて、発声はできたけどそれは言葉というよりは鳴き声に近かったのではないだろうか。
テレパシーを使っていた頃の人間ならわかるはず。自然が叡智を持っていることを。
真理は自然が教えてくれることを。

最近インスタグラムなどが流行している。インスタグラムと言えば写真を使って自己表現するツールと言える媒体だと思うのだけど、写真を使って何かを伝える、という行為はテレパシーに近いかもしれない。
もし人間以外の生き物と交流したい時は写真や絵など見せながら交流すると意外とうまくいくかもしれない。

これから少しづつ「言葉」というものは減っていくかも、なんて思う。文字は絵文字や顔文字となり、動画や写真、イラストなどですべてを表現していくような世界へと変化していくような気がする。
文章が好きな私にとってはこれは悲しいことでもある。日本語が消えていくことは残念だと思う。

でも言葉が減り、映像が増えることで人間以外の存在との交流も昔の様に当たり前になっていくのかもしれない。
言語は人間にとっては便利なものだった。でも他の生き物にとっては不便なものだったに違いない。

言葉を使うようになった人間を見て自然は「言葉を使う前の人間とは、いつもお話ししていたのに、言葉を使うようになってからはお話しできなくなった」と悲しんでいたかもしれない。

「植物の神秘生活」という本の中で、植物にウソ発見器を付けるエピソードがある。これによってと木は会う人によって喜んだり、怖がったりすることがわかったという。

こんな実験をしなくても、誰の目が見ても明らかなぐらい、自然の思いが見えるようになっていくのかもしれない。
まあ実際は言葉も少しは残るだろうと思うけど、絵や記号がもっと混ざったような感覚的なものになっていくのだろう。
世界は言葉から変わっていく。
人も自然もみんなが使える言葉が出来るともっと素敵かもしれない。

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kunotan

エッセイその2

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