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No.13/学びが人を幸せにしているのか

こんにちは。
子どもたちの伴走者”くのてつ”です。

先日とある有名な事業家さんの話を聞かせていただく機会があり、そこでハッとさせられたことがありました。そこから自分のスタンスや思考を整理してみました。

これからの自分の活動、事業の根幹にもなるようなことだなと思い、備忘録も兼ねて言語化していきます。

あなたは何のために学んでいるのですか?

もうドキッとしました。本質的な問いだなと感じましたし、しばらく聞かれることがなかった。自分でも意識から飛んでいたように思います。

何のためか・・・。まあ自分を成長させるため。ここは終わりがないし、これから先もずっとそうだろうな。少しでも成長すれば、家族や事業で接する子どもたち、保護者の方に貢献できるかな。

そんな風に考えていましたが、どこか違和感がありました。

あなたが学ぶことで誰か幸せにできていますか?

次の問いで違和感の答えが分かりました。まさにその問いそのものです。自分が学んで誰か幸せになっているのか・・・と言えば「なっていない」と自分の中で即答できてしまったからです。

自分が成長することで誰かに貢献できる、なんて考えていましたが主語は自分だったのだな。それを痛感しました。悔しかったし、今の自分の立ち位置がよく分かりました。

家族を幸せにしたいからこれを学ぶんだ。そしてこんな行動に移す。世の中の子どもたちを元気にしたいから、これを学ばなければいけない。これにチャレンジしなければいけない。

こう考えるのが正しい方向性なのだなと、非常に腹落ちしました。正しい方向で正しい量の努力をしなくてはいけない。その意識が明らかに欠けていたと猛反省でした。

なぜ主語が自分になってしまっていたのか

これが整理できなければ、また意識が薄れてしまうので考えてみました。すぐにこれだと分かりましたね。それは「会社員」という草鞋を履いている時間が長いから、それしかありません。

会社員は会社の存続、その会社を使って社会貢献することに力を注いでいます。上司の指示、命令系統に入り、忠実に業務を遂行しなくてはいけません。あれやりたい、これやりたいという意志は反映されません。

一方で一個人、事業主、経営者として見るとどうでしょう。経済的な保証は担保されないものの、あれやりたい、これやりたいという意志を自分の匙加減でコントロールできます。

つまり、会社員である以上「必然的に受動的」であり、一方で個で勝負していれば「必然的に能動的」であると言えます。例えばストレス。受動的なストレスの場合、自分ごと化することが難しい。一方で能動的であれば、そもそもストレスとは感じないでしょう。

能動的に動き、自分ごと化しなければ、幸せを届けることは難しいでしょう。そうなると、会社を離れて個で動き出すことで、自分の学びと誰かの幸せが繋がっていく。

なるほど、やるしかない!


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