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地域の人たちが守ってきた桂川渓谷の弁天橋 / 高尾山~小仏城山~千木良に下山 相模湖までを歩く

高尾山口から6号路で高尾山、小仏城山から千木良へ

 相模湖の近くに千木良(ちぎら)という地名がある。相模ダムから下流に少し下った、相模川の河岸段丘面にある地域だ。甲州街道沿いに位置し、かつては神奈川県津久井郡相模湖町に属していたが、現在は相模原市緑区となっている。
   
    一月中旬のある日、高尾山から小仏城山まで縦走して千木良に下山し、相模湖まで歩いてみることにした。高尾山や景信山、陣馬山、いわゆる裏高尾と呼ばれる山はこれまで何度も歩いてきたが、相模湖方面に下るルートは今回が初めてだ。

 高尾山にはいくつものルートがあり比較的人が少なそうな沢沿いの6号路を登ることにしたのだが、さすが人気の山、真冬の平日なのに思っていたより登山者が多い。後方から次々と追いついてくる人を気にしながら登っていく。高尾山山頂からは、あいにく富士山を望むことはできなかったが、中央線沿線の山々や丹沢方面の山々を望むことができた。

高尾山山頂から丹沢大山方面を望む

 高尾山山頂から景信山、陣馬山方面へと北西に向かう尾根道に入ると登山者の数は大分減る。小仏城山山頂から「東海自然歩道 相模湖方面」という大きな看板に従って、急な登山道を下っていく。

 これまでの明るい尾根道とは違って杉木立の薄暗い森に入っていくと急に人気がなくなり、自然の中にぐっと気持ちが入り込んでいく。しばらくすると木々の間から中央自動車道が見えてきて一時間もかからず千木良の集落に着いた。その間に出会ったのは千木良から登ってくる中高年のご夫婦らしき一組だけだった。

地域の人たちが守ってきた桂川渓谷の弁天橋

 山から下りてきて麓を歩くのはとても楽しい。その土地の様子を知る事ができて必ず何か新しい発見があるからだ。
 千木良の集落の中を歩いていくと手作りの観光案内板が所々に建てられてるのが目に付いた。住宅の敷地内に建てられているのもある。公衆トイレもよく整備され、相模湖駅までの道標も道に迷うことがないようにとてもわかりやすく設置されている。
 
    下山してきた方角を振り返ってみると、中央高速の高い橋脚がそそりたち道路が山の中腹を貫いているのが見えた。東京方面に向かう時、いつも小仏トンネルの手前から渋滞が始まるのを思い出した。この上を走っていたのかと思うと不思議な気持ちになった。
                      
 甲州街道を渡り集落を抜け、道標に沿って再び登山道のような細い道に入っていく。段丘崖の急な斜面を相模川の谷底まで下っていくと美しい渓谷が現れた。川が蛇行し周囲の山々を侵食してできた美しい渓谷だ。渓谷には弁天橋という吊り橋 (人道橋) が架けられていた。
 
    弁天橋は、かながわの橋100選に選ばれ東海自然歩道のルートの一部にもなっている。他に人影はなく、出会ったのは茶トラの猫一匹だけで辺りは冷たい静寂な空気に包まれていた。

桂川渓谷
弁天橋から桂川下流を望む


桂川渓谷にかかる弁天橋

 橋のたもとに「旧弁天橋記念史」と書かれた石碑が建てられていた。現在の弁天橋は昭和61年に建設され神奈川県が管理しているものらしいが、架け替え前の旧弁天橋は地域の人たちによって架けられたものなのだそうだ。
 
 昭和22年に相模湖が完成し桂川渓谷の様相は大きく変わってしまったが、桂川渓谷の景観が唯一残るこの場所に地域の人達が共有林を売却することによって吊り橋を完成させたのだそうだ。吊り橋は有料橋として地域民で三十年余り橋を維持・管理してきたが、橋の老朽化などに伴い維持することが困難になり、神奈川県に移管することになったという事が石碑に書かれている。

 石碑には「桂川渓谷」という名前が刻まれている。そうか、確か山梨では相模川のことを桂川と呼んでいるのだったと思った。しかし、よく考えてみるとここは神奈川県相模原市のはずだ。対岸も相模原市だ。 
 
 歴史を調べてみると明治時代から神奈川県だしそれ以前も相模の国だ。
だが、旧相模湖町の一部が「桂北地区」と呼ばれていたり、少し下流の県道には「桂橋」という橋もあり、桂川とのつながりがある地域のようだ。旧相模湖町や西隣の旧藤野町(現相模原市)は、もともと相模原市中心部よりもJR中央本線や国道20号(甲州街道)でつながっている山梨県上野原市や東京都八王子との結びつきの方が強いらしい。
 地図を確認してみると、神奈川県に入ると「相模川」に名称が変わっている。河川管理的に言えば「相模川」なのかもしれないが、地形的な面や人の流れや文化など実体的なことから言えば「桂川」なのだろうと自分なりに納得してみた。
 
 美しい桂川渓谷の景観を守り、多くの人に訪ねてもらいたいという思いから作られた弁天橋。ここには先人たちの思いが引き継がれているのだということを感じた。弁天橋を渡り、また段丘崖の急登を登り道路に出る。しばらく歩いていくと相模ダムが見えてきた。

旧弁天橋の由来が刻まれた石碑


相模ダム
写真奥の山の中腹に中央自動車道が見える



相模湖と嵐山洞門と嵐山


相模湖
この日は気温が低く風も強くて観光客はほとんど見られなかった。


相模湖のわかさぎフライ定食

 帰りに相模湖駅前の食堂に入った。昭和初期のまだ相模湖ができる前、駅名も相模湖駅ではなく与瀬駅という名だった頃に旅館を開業し、その後食堂を営むことになったそうだ。津久井在来種である大豆料理や伝統の糠漬けが名物らしい。建物は新しくオシャレな感じなのだが、長年にわたり地元の人や多く旅人が立ち寄ったであろう歴史が感じられる食堂だった。
 
    厳冬期の相模湖で採れたわかさぎが食べたいので、わかさぎフライ定食を注文した。山を越えて湖畔の寒風の中を歩いて疲れていた身体に栄養が染み込むようだった。次に訪れた時は、津久井在来大豆を使った料理をぜひとも味わってみたいと思う。

わかさぎのフライ定食


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