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Back to the late 90’s【番外編】第9話 大阪における当時のHIPHOPとREGGAEの関係①盛り上がるHIPHOPと盛り下がるREGGAE

前回執筆した『Back to the late 90’s 第31話』で、当時のHIPHOPとREGGAEの関係について少し触れさせて頂いたので、今回は【番外編】として、REGGAE好きでもある私が、実際に経験した事や感じた事などを、私なりに考案し、もう少し突っ込んで当時のHIPHOPとREGGAEの関係を振り返ってみようと思う。


結論から言えば、90年代末から2000年頃にかけてのHIPHOPとREGGAEの関係は、私の所感では「水と油」だった。では何故「水と油」か?色々と原因はあったかと思うが、自分なりにその要因を分析してみたいと思う。


話しは少し遡るが、1994年にリリースされた大阪府貝塚市出身のブギーさん(BOOGIE MAN)『Pachinko Man』は当時の日本人REGGAE作品では異例の大ヒットをし、ダウンタウンが司会をしていた音楽番組『Hey!Hey! Hey!』にもブギーさん本人が登場。日頃REGGAEを聴かない人達の耳にも届く事となった。私もそれをリアルタイムで観ていたので、とても印象深い。



ちょうどその頃リリースされた洋楽REGGAE作品に目を向けると、ASWAD『Rise&Shine』やINNER CIRCLE『Reggae Dancer』、C.J LEWIS『Dollars』と言ったREGGAEファン以外の一般層を巻き込んだ世界的ヒット作品が発表され、日本において世に言う「レゲエ・ブーム」と呼ばれる時期に差し掛かった。




特に大阪においては、ブギーさん出身の貝塚市を含む泉州地域からのREGGAE熱が凄く「日本のジャマイカ」と報じるメディアもあった。1994年の年末には、関西で活動するREGGAEアーティストのみで構成されたコンピレーションCD『レゲエちゃうの?』が発売され関西における「レゲエ・ブーム」は最盛期を迎えた。

『レゲエちゃうの?』の宣伝チラシ。このアルバムに収録されている楽曲を、リリース元となったSONY RECORDSがプロモーション用に7inchを14枚セットにしてものがあり、現在でもオークションで高価で取引されているのを、たまに見かける。特にDAME-G『タコヤキ』やBOOGIE MAN & DRAGON TURBO『そばにいて』の7inchは、とてつもない金額だ。


しかしブームは、あくまでブームであり、その反動がきてしまう。それが顕著になりだしたのが、ちょうど1997年位だったと思う。前年となる1996年に“ジャパレゲの父”ランキンさん(RANKIN' TAXI)が「日本の年にしたい」とテーマに自身が『Base Kulcha』と言うレーベルを立ち上げ、コアなファン層をより獲得する一方で、上記のブギーさん『Pachinko Man』を超えるような大ヒットは産まれずだった。そして1997年には、これまで日本のREGGAEを支える屋台骨としての役割を果たしてきた『レゲエ・マガジン』が廃刊となり、翌1998年にはタキオン社が倒産してしまう。

1996年3月発刊の『RIDDIM』155号。当時のジャパレゲ・シーンを牽引したアーティストの顔写真が掲載されている。関西勢からはBOOGIE MANや浪花男、それにFAT-SANTAやMAMA COOKなどの写真が載っている。


この時期にぐらいから、REGGAE人気が落ちてきているのを、私自身体感していた。大阪でREGGAEイベントの集客数は以前と比べ落ち込み、大阪REGGAEのメッカだったJUGGLIN' CITYはREGGAEイベントだけでは経営していくのが困難となり、CLUB ItoIと名称を変えて、HIPHOPをはじめ他のジャンルのイベントをやるようになる。


1997年にリリースされたREGGAE作品で大ヒットしたものと言えばBEENIE MAN & CHEVELLE FRANKLYN『Dancehall Queen』ぐらいで、日本人作品からヒット曲は誕生せずにリリース量も少なかった印象を受けた。


一方のHIPHOPと言えば、1996年七夕に『さんぴんCAMP』と言う大イベントが日比谷野外音楽堂で開催され、その1ヶ月後には、その大阪バージョンとも言うべき『Hybrid Night DX』がBayside Jennyで開催される。東京勢に加わりKENSAWさんや、MAGUMAの名前がフライヤーにはクレジットされていて、関西でもHIPHOPが認知されていく。

『Hybrid Night DX』のフライヤー。私のnoteを読んでくれている方ならば、きっと既に読まれているかと思うが『地伝』シリーズで90年代から2000年代の京都、大阪、東京のHIPHOPシーンについて執筆されたGOSSYさんの名前もクレジットされている。



翌1997年にKENSAWさんが『Owl Nite』をリリース。この辺りの事柄は、私が以前『Back to the late 90’s 【番外編】第1話』で執筆しているので、ご覧頂ければと思うが、関西におけるHIPHOP人口は、少しずつ増え始めていった。かく言う私もこの時期にHIPHOPの世界に足を踏み込んだ一人だ。


そして迎えた1999年に『Back to the late 90’s 【序章】』で触れたように、ドラゴンアッシュ『Grateful Days』で一気にHIPHOPはメジャーになり、その人気は日本全国にまで広がったのだ。かたやREGGAEと言えば、冬の時代に追い討ちかけるかの如く1999年3月に関西のREGGAEシーンにおいて絶大な人気を誇ったTOKIWAが解散してしまう……

つづく……

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