2024年3月23日(土)女性のイメージ強いホッケーだけどその昔は大変

冷たい雨が降る休日の朝は暗くて少し寂しい。そういえば最近知っている名前の人の訃報が続いてこれも寂しい。鳥山明にTARAKOさん。別にアニメファンでもないがよく観ていたから。。。えぇ俳優の寺田農が亡くなったか。こちらは世代が違うが昔に岡本喜八監督の映画にはまっていたので『肉弾』の印象が強く残っている。ガリガリで一人での芝居も多く名演でしたね。ネットニュースを見るとラピュタのムスカの声をしていたのか。休日の日も朝恒例のスポーツ関連の読書。へぇー女性の競技というイメージが強いホッケーはやはりそのような歴史をたどってきたのか。日本では「さくらジャパン」の愛称で知られているしね。ノンコンタクトスポーツだったことから女性でもできる屋外競技として注目されたのが19世紀末のイギリス。当時は女性軽視も根強く隠れてホッケーを行っていたとか。ところがオックスフォード大学の学生たちが女性解放のひとつとしてレディマーガレットホールでホッケーをプレーして全国に広がる。とはいえゲーム自体を存分に楽しめたかというとそうでもなかったようだ。当時の風習によって地面から2~3cm以内のロングスカートでしかも胴から足元まで大きく膨らんだものを履いて(着けて?)プレイしなければならずおまけにペチコート、コルセット、固くて高い襟、ネクタイ、そして大きな麦わらのカンカン帽まで。いやいや大変ですね。その後女子のホッケーは主にアイルランドで発展を遂げていき男子の国際ホッケー連盟への加入を拒否されたりIOCから正式競技の申請を拒否されたりと苦難の道だったが1980年からオリンピックで男女とも実施されていますね。ちなみにホッケーはスティック系打球戯の元祖なのですね。日本では東京麻布の教会の牧師のアイルランド人が明治39年に慶応学生に教えたのが始まりだとか。


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