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世界は「見えない愛」でできている ー他人のnoteを批評してみる(1)ー

唐突であるが、他人のnoteを批評して見る、ということをしたくなった。まぁ、いつもの思いつきであるのだけど、とりあえず以下のようなツイートをした。

で、急なことなので誰も寄せてくれないと思っていたのだけど、「おっちーさん」という方が「せっかくなので」とnoteを教えていただいた。こういうノリがいい方は大好きだ。

おっちーさんのお仕事は建築士で、「おっちー 一級建築士事務所」というyoutubeチャンネルで建築解説動画を投稿したりしている。

以前、おっちーさんのツイートが軽くバズったときたまたま目にしてbioを見たらフォローしていただいていたので、面白そうな人だと思って相互フォローになった。交互にリプライを飛ばしたのは2〜3回程度だと思うのだけど、時々おっちーさんがツイートする建築豆知識を見せていただいて楽しませて頂いている。

ところで、「建築士の仕事とはなにか」と聞かれると、「はて?」となってしまう人は少なくないはずだ。少なくとも、私は「えーと…設計…?デザイン…?構造計算…?」とかそれっぽいのは出てくるのだけど、正確に言える自信はない。

そんな素人にとって、このnoteは「設計」の仕事がどういうものか、というのがするりと理解できる内容になっていて、設計とは意外と「自由にやれる」仕事でもないし、むしろ流れ作業の一つ、という感じすら受けるかもしれない。

だけど、おっちーさんは設計士としての矜持としてこのように書いている。

実際素晴らしいと賞賛されなくても構わない。非難を受けたら仕方ない、ただ自分が作った空間で生活ができ、人生を歩むことができる。その人たちを見ることはありませんが、そう考えることを自分の「矜持」として持つようになりました。人の生活、一生を守り、支える。素晴らしく大切な事だと思っています

このnoteで紹介されている「プリンセスメゾン」という漫画は、「家を買う」という過程を通して「生活」とはなにかということを鮮やかに描いているそうだ。

「家を買う」とは殆どの人にとって人生最大の買い物であり、一生を大きく左右するものの一つであろう。何も悩まずに家を買った、という人はいないはずだ。

「物語とは葛藤の中から生じる」ともいうけど、家を買う、ということは、まさにそれ自体が大きな物語になる。普通に描けば、それだけで面白くて当たり前だ。(というわけでプリンセスメゾットは後で買う)

私は田舎の山形に帰るとき、新幹線から街を見下ろすのが好きだ。特に、夕刻の時間に暗闇が広がっていき、ポツポツと室内が灯されていく瞬間は泣きそうになるくらいだ。

あの建物の一つ一つの下に一つ一つの「家庭」があって、無数の物語が広がっていると思うと、それだけで感動してしまうし、それらを抱え込んでじっと佇んでいる建物たちに愛情すら覚える。

私達は自分の家ですら建物を設計した人のことを知らない。おそらく、名前は調べればわかるのだろうけども、殆どの場合は名前を知ってなにかわかるものではない。だけども、この建物を設計した人は、その家に住む人の「幸せ」を考えているはずだ。そこに住む人たちを鮮やかに脳裏に描いて白紙に線を引くはずだ。

私達は、どうしても目に映るもの、わかりやすいものをなにかの代表として認識しやすい。なぜここに壁があるのか、なぜここに扉があるのか、ということを疑問にも思わないけど、壁紙の色やソファーの配置には細かく気を使う。だけども、その壁や扉の配置にも、そこには「見えない愛」が埋まっている。

家を買うとは、自分の人生を決めることに等しい。そして、その家は、無数の見えない愛でできている。他人の仕事という愛でできている。見えない無数の愛があるからこそ、この世界は動いている。そのことをこのnoteは改めて教えてくれる。

そして、もう一度このことばを引用する。

人の生活、一生を守り、支える。素晴らしく大切な事だと思っています

人は衣・食・住の充実がなければ安全に暮らすことはできない。家を作るとは、まさに住民の一生を守り、支えるものだ。普段は誰も気にせず、誰の目に止まるものでもないのだけど。

「見えない愛」は、常にそこにあるのだ。

妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。