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くらげの歪んだ愛憎:または私はいかにして憎むのをやめてsoarのサポーターになったか #soar応援

soarというウェブメディアがある。

「人の可能性が広がる瞬間を捉えるウェブメディア」をコンセプトに、様々な立場やマイノリティを取材し続けている。2015年に開始して今年で5年目を迎えるのだけど、この節目に12月25日まで毎月1000円からで入会できるサポーターを850名まで増やしたいそうだ。

これは残り2日であと15人ほどを集めれば達成出来るらしいのだけど、せっかくだからこの機会にサポーターとして登録してみた。そして、ついでなので、応援文のような物を書いておきたいと思う。

まず、断っておくのだが、私はsoarというメディアに色々と思うことはある。この思うことは、ちょうど昨日、soarの編集長である工藤瑞穂さんが書いていたnoteに出ているマイノリティの方の声そのものだ。

soarには、なにかしら「成功した」「達成した」マイノリティや悲惨な経験をした方が数多く掲載されている。そういう記事は「マジョリティ」のような人たちには感動的に読まれることが多いと思う。

だけども、私のようなどん底を這いずり回っていたり、あるいは今まさに日陰に身を潜めているような「マイノリティ」にとって、同じような境遇でありながらなにかを成し遂げているように見える人はマジョリティの成功者よりも遥かに「敵」に見えることが少なくない。

同じような状態なのに、自分はなぜ辛くて、あいつは幸せそうなんだ、という「嫉妬」に身が焦がれそうになるし、「同じような境遇でもキラキラになれるんだから、あんたも努力しなさい」というような責める声が聞こえるような痛みを感じる。そういう記事を量産しているsoarに対して、むしろ感受性やアンテナが高い「当事者」ほど、何かしらの粘ついた感情を持つことが多いのだろう。

では、soarを見なければいいかというと、過去に幸運と良縁と悪ふざけが激突したことで誕生してしまった「ボクの彼女は発達障害」という本を出した関係で、元LITALICO発達ナビ編集長でsoarの理事である鈴木悠平さんと知り合って、わりと親しくさせていただいている。

とはいえ、soar方面はあえてあまり見ないようにしていた。なんというか「マイノリティ」が見世物になっているようなそんな感じがどうしても抜け難かったからだ。(これは自分のヒガミも存分に入っているので、一般的に見たら間違いなく私が非道である)

しかし、知り合った翌年くらい鈴木さんは心身ともに調子を崩して、鈴木さん本人も「自分は生きにくさの当事者だ」という「自覚」を強めた、という話を聞いた。その後、鈴木さんがsoarに投稿した記事はこれまでのsoarになかった「肉体性・当事者性」を帯びたようで、俄然面白く感じるようになった。

なんというか、「あちら」が「こちら」を覗いて書くようなどこか浮ついた感じを僻み半分で感じていたが、鈴木さんの記事は「こちら」に降りてきて、同じ視点で面白がって書く、とかそういう変化があったように思う。そういうわけで、soarの記事を気が向いたら読む、くらいにはなってきた。

一方で、編集長の工藤さんに対しては「なんかよくわからない人 」「別な世界に生きている人」「キラキラしている人」という印象が強く、まぁ、極端に言ってしまえば「自分の対局にいる人」という感じだった

そんな私がsoarのサポーターになったのはなぜかといえば、Twitterで工藤さんのツイートをたまたま目にしたのがきっかけだ。それのツイートは「元気がないときはキングダムを読む」というような内容だった。キングダムとは中国の春秋戦国時代をテーマにした漫画なのだけど、とにかく絵も内容も「濃い」。私も大好きな漫画だ。

それで、なんというか、「むこう側にいる人があれ?こっち側の部分もあるんだ!?」みたいな衝撃を受けてしまった。つまり、勝手に妬んで、勝手に傷つていたのは、工藤さんをなにも知らない自分だったのだ。これでsoarに対する変な敵意というか緊張がすぅーっと一気に薄れてしまった。いや、かってに恨まれて勝手に和解されても困るし、その経緯を書かれても困るだろうけど、私の中では事実である。

その後、ちょこちょこTwitterで工藤さんにリプライを送るようになって、いくらかsoarのラファン拡散のお手伝いもさせていただいた。そんで、今回はついでだから、とsoarのサポーターになった、というわけである。

とはいえ、soarの記事を読むと、妙な疎外感を覚えることがあるのも確かだ。これはおそらく「マイノリティの方を扱ったメディア」ではあるのだけど、「マイノリティの方のためのメディアなのか?」というと、おそらくそうではない。そういうギャップは「書く側」と「書かれる側」に常にはらむ問題なんだろう。

とはいえ、この数年で私は「soarのような記事」を書くこともあれば、取材されて記事を書かれる立場にもなったことがある。そうなると、記事に書かれるのは「その人のごく一部のことをデフォルメした虚像」でしかない、ということを学んでくる。つまり、一面でいいことを書かれている人でも、裏ではどれほどの血や汗を流しているかはわからない。本当は記事に書かれているほど楽でもなければ、悲しいことや辛いことを今抱えていないとも限らない。そういう「虚実」を知りえるくらいの歳にはなった。

一方で、漏れ伝わってくるsoarの編集方針などを見聞きするにつれ、soarの記事作りがどれだけ誠実に行われているかも理解できるようになった。(この辺の話はあちこちにあるので探して読んで欲しい)

また、先に紹介した工藤さんの記事だけど、それを読んでsoar自身が私が感じているよなギャップを「soarの未熟」として痛いほどに認識して、そこから進化しよう、ともがいていることがわかった。これはとても嬉しいことだし、これからのsoarがどれだけ進化出来るのか、とても楽しみにしたいと感じている。(果てしなきウエメセですみません)

ところで、soarは広告などを掲載しないウェブメディアだ。これはPVを意識せずに良い記事を作りたい、という理念によるもので、一方で、ウェブメディアとしては文字通り桁違いの予算をかけて記事を作っている。(これはどちらかというと一般的なウェブメディアが問題だ)つまり、金が入ってこない割に、出費は多い、というめちゃくちゃしんどい運営をしている。

soarはメディアであると同時にNPO法人で、ちゃんと組織運営をしないといけない。よく勘違いされるが、NPOの経営は企業の経営と同じくらいに難しい。特に今年は新型コロナウイルスの流行で、とても大変だったようだ。

soarは、いま日本で一番誠実に「困っている人たち」を扱っているメディアであると思う。そして、少しずつ「困っている人たち」を「扱うメディア」から「困っている人たちと同じ目線でものを見る」メディアになっている。

こういう視点で「困っていること」を語ることができるメディアは、私達「当事者」の「痛みや辛さ」を汲み取って伝えてくれる媒体になってくれるはずだ。私はそれを信じて、日に日に細りゆくお財布からサポーター費用を出していきたいと思う。

繰り返すが、あと2日で15人ほどのサポーターの登録を目標にsoarは頑張っているので、共感することがあれば、月1000円でもいいのでサポーター登録していただけると、soarの皆さまが喜ぶはずなので登録して欲しい。

なお、この応援文はsoarの皆様には一切相談せずに書いているので、怒られが発生する可能性が高い。先に皆様には土下座で謝っておく次第である。

妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。