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私は一等賞になれない

私は一等賞になれない。子供の頃からずっと心の底の運河に流れている言葉だ。私は一等賞になれない。どこまで頑張っても三流にしかなれない。いや、同じ地平に経つことすら出来ない。私は「障害者」だから。

一等賞にならないといけない。特に誰に言われたわけでもないけども、子供の頃から異常に目立ちたがり屋だし、競争心も強かった。これはもう生まれ持った性質でどうしようもない。

でも、聴覚障害があって聞こえない私にとって「普通の人」はどうしても超えられない存在として立ちはだかっていて、何をしても人並み以下でしかなかった。

私は一等賞になれない。逆にいじめられる存在になった。聞こえるようになれば一等賞になれるのに。そういういらだちを常に感じて成長した。

23歳のときに人工内耳の手術を受けて、徐々に聞こえることも増えてきた。しかし、聞こえるようになればなるほど、自分についてどこか「おかしいな」と思うことは逆に増えていった。

とにかく、仕事が出来ない。聞こえているにかかわらず、どうしても理解できないことや動けないことが多々あった。上司からは「聞こえていないのか頭が悪いのかどっちだ」と問い詰められたこともあるくらいだ。聞こえていても一等賞になれない。そういう絶望は自分の心をへし折るには十分だった。

この仕事の出来なさはADHDからくるものだとわかったのは30歳のときだ。それからADHDの薬を飲んだり、ライフハックを積み重ねてどうにか生活も安定してきた。偶然から本を出したし、いろんな縁も増えて活動する範囲も猛烈に増えている。

でも、人の輪が増えれば増えるほどどうしようもなく自分が障害者でしかない、という限界を感じることも増えた。もし、聞こえていれば。もし、最初から勉強ができていれば。もし、ちゃんとした大学を出ていれば。一等賞になれたかもしれないのに。取り返せない過去に一等賞になれない理由を探してしまう。

でも。同時に「一等賞」でない私を認めてくれる人も増えてきた。妻であり、社長であり、ソーシャルグッドに関わる方々であり、私のファンだ、と言ってくれる方であり、友人である。

逆に、一等賞ではない人にでも私の目に人間として入ってくるようになった。私は一等賞になれない。でも、だれだって常に一等賞じゃないし、そもそも一等賞を目指す生き方をしなくてもいい。そういうことを時間が教えてくれた。私は、一等賞になれない。それでも、生きていける。

今日も自分の渾身のコラムがnoteのおすすめに載らなかった。ちょっと心に針が刺さる。唯一自信のある文章でも、今日も一等賞になれなかった、と思う。

でも、noteでおすすめされることが一等賞になることとも限らない。誰かの心にちょっとでも私の文章が住んでくれたかもしれない。

そして、その文章はその人の今日の最高の文章だったかもしれない。私の知らないところで、私は誰かの一等賞になっていたかもしれない。

聞こえなくてADHDの私はこの世界でわかりやすい一等賞になれないけど、誰かの小さな一等賞にはなれるかもしれない。

それを信じて、今日もPCに向かい合いながら、言葉を考える。私は一等賞になれない。でも、それでいいのだ。

心の底の運河から運ばれてくる言葉を、今日も紡ぐ。誰かの心につながるように。誰かの、小さな一等賞になれるように。

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妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。