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日々是くらげ366日目「一瞬でみてわかった気にならない大事さをなんとなく体験してきた」という話

・この三連休は珍しく休日らしい休日を過ごした。だいぶリフレッシュができたので明日から仕事をまた頑張りたい。

・11月3日は6回目の結婚記念日である。もう6年なのかまだ6年なのかと言うべきなのかはよくわからないが、まぁ、この一年は大きなトラブルもなく過ごせたのでよしとする。なにか食べにいこうかとも思ったが生協の弁当が届く日なので普通に過ごす。

・11月4日は「あ、共感とかじゃなくて。」という展覧会を見に東京都現代美術館まで出かける。この企画は「いいね」に溢れている今の時代にあえてわかりにくいけど明確なメッセージを送ることに主眼を置いた芸術であるらしく、解説も説明もなく意味深な動画が流れていたり、引きこもりの部屋を撮影したり、巨人と植物と落とし物をテーマにした一連の作品を展示していたりとたしかに「いいね」をつけやすいとはいえない作品が並んでいた。

・ただでさえ難解なのに、もともと芸術の素養が薄い(なんなら自分から能動的に美術館に行くとのが初めてかもしれないレベル)ので正直なところ「何もわからない」展示会だった。ただ、漫画家の寺島ヒロさんから芸術の楽しみ方のようなものをちょっと教わっていて、とにかく「わからないならわからないなりにずっと見続けること」を意識してとにかく作品を素通りせずにじっと見つめるという(自分にとっての)苦行を行なってみた。そうすると、言葉にはできないけど、なにかしらの意味というか作家ごとに一貫したテーマのようなものがちゃんと入っているのがなんとなく感じられた。

・私は完全に言葉で世界を理解したがる人間なので見たもの・感じたものをすぐに言葉にしないと不安に感じる。そのため、ただ感じるだけという状態はあまり心地よいものではなくて、どうにもむずむずした気持ちになってしまうしすぐにでも目を離してわかりやすいものを見たくなる。今回の展覧会は1時間半しかいなかったが、それでものぼせたように頭が熱くなったし、全身から汗が出るくらいに疲れてしまった。これは普段から「深く考える・感じる」ということをやってこなかった証左でもあるのだけど。

・ただ、言葉にできないことでも感じられるまで観察すること、すぐに理解できなくても感じ続けること、というのはすべてが一瞬で評価されがちな社会にあってともすれば切り捨てられがちななにかを掬い上げることができて、それを通じてしか深まらない感性もありそうだ。作品を通じて「わかりやすくいいねですませるのではなく、わからないなりに感じてみること」を体験できたという意味では確かに「あ、共感とかじゃなくて。」というタイトル通りの展覧会であった。

妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。