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くらげの毒抜き日記 Vol.5 「お金を使う恐怖と戦う覚悟」というお話

【はじめに】
この記事はブログにかくまでもなく、とはいえツイートで流しちゃうのももったいない頭の中のもやもをはき出す日記です。おもしろいと思ったら100円恵んでいただけると泣きます。

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私は生まれついてからお金を使うのが下手である。とにかくお金を使うことに関して「計画性」というものがない。お金はあれば使うという生活をつい最近まで続けていた。今はある程度予算表を作って家計簿をつけることで収支のコントロールがある程度可能になったが今の問題は根本的に金がないことだ。

なぜ金がないかと言えばまず給与が死ぬほど安いということがある。次に妻のあおが仕事を辞めたので生活費はほぼ全額自分が負担することになったということもある。さらには医療費もかさむ。なんとか生活しているが私にとってお金を扱うというのは明日明後日の飯をどうするかとだいたい同じ意味だ。

根本的に給与が安いという問題は転職すればある程度は解決できる問題だ。しかし、障害者の転職は茨道でだいたい何処に行っても安い。それに仕事内容も軽作業や事務ばかりだ。もちろん事務や軽作業は大事な仕事であるが自分には死ぬほど向いていないというのはこの10年間で身をもって知った。

とはいえその他の仕事にありつけるほど学歴も経歴もないしそもそも耳が悪いという時点で一般的な意味での転職はほぼ無理だ。だいたい34歳のぬぼーとしたおっさんを好き好んで取りたがる人はいないであろう。となれば私ができるのは起業ではないかと半年前からずっと考えている。

ではなぜ転職しないかといえば話は簡単で起業資金がないからだ。貧乏人は起業すればいいという方もいるがそもそもその最初の寺銭をどうするかという問題に対処するには頭がいる。そして頭がいい人は寺銭に困るほど貧窮しないのではないか。私も例外ではなく頭が悪いから貧窮しているのだ。

しかし、この状態はあまり精神状態に良いものではない。支払が近づくたびに胃痛が発生し日々たいして意味のない仕事を薄く引き伸ばして時間を潰して給料日に給与の安さにため息をつく。慰めは妻の存在とブログやnoteその他書き物でそこそこ評判が良い(金にはならない)ということくらいだ。

こんな生活をまず平均的な定年まで(一応60歳とする)の26年を続けられるかというとおそらく途中で折れるだろうし続けたところでなにかキャリアアップもできないだろう。できるようならもっと仕事に熱心に取り組むんでいる。もちろん老後の金もたまりそうにない。未来は明るいものではないのだ。

起業する人の9割は失敗する。実は私の血族はほぼ全員起業しており全員が失敗している筋金入りのプロ廃業一族である。そんな血を引き継いだ私が起業に成功してお金持ちになることはまず考えられない。しかし、未来が暗いのであればせめて好きなように生きてみたくもなる。要は決心の問題だ。

そんなモヤモヤを抱えているとき、前回も書いた通り「胡散臭さが服を着て歩いているような投資家が卑しさの塊のような起業希望者に投資をする」という脳内の配線が偉い方向に吹っ飛んでいるイベントがあると知った。これはもしかして何らかの運命かもしれない。そう確信した私は魔境に飛び込んだ。

細かい経緯は省くが結果だけを言う。数十万の投資が決まった。私は舞い上がった。魔王に勝利した勇者の気分であった。しかしそれは間違いだ。投資を受けたということは「勇者が王様にヒノキの棒」を渡されたということに過ぎない。私はヒノキの棒と期待を背負い冒険が始まっただけなのである。

ここ数日間「どうお金を使えばいいのか」をずっと考えている。サラリーマンであったり依頼主の要望で書いている間は「なぜお金が発生するか」はさほど考えなくてもよい。しかし本当に起業しようとしたら「お金がお金を生む仕組み」というのを本気で考えなくてはいけない。これが難しい。

最初に書いたが私にとってお金を使うとは「生活費を満たす」ことである。そして生活費を確保するためには半額弁当を狙うとかまとめ買いするとか「お金が出ていかないこと」を意識すればいい話だ。しかし「お金がお金を生む」という金の使い方は私にとっては魔術のようなものである。

しかし「好きなことをして生きていきたい」と私が本当に願うならばお金を「使う覚悟」が必要なのだ。これまでは金がないからと言い訳できていたがこれからはそれすらもできない。「やる」か「やらないか」だけだ。この3日間で私の悩みのステージは変わってしまったしルールも変わったのである。

金を使うことが難しいと心底感じたのは人生の中で初めてで恐怖すら覚える。この恐怖とどう付き合っていくか逃げるか飼いならすか。幸いアドバイスしてくれる人には事欠かない。しかし最後に何かを決めるのは私だ。私の中の何かが変わらなければ未来も変わらない。繰り返すが覚悟の問題なのだ。

今日長々とこれを書いたのはある種の意見表明でありけじめである。情けない私だがせめて言葉で着飾るくらいはしたいしそれくらいしかできないのだ。そして着飾れば心が上向いてくることもあるだろう。金を使う恐怖に耐えるための武器としての言葉を紡いでいこう。それが未来に一筋の光となるのなら。

さて、今日はこれくらいで。では。

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妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。