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[ことばとこころの言語学23]ピンク色の信号機がないのはなぜ?記号論のお話。

A: ちょっと、雨が降ってきそうだね。
B: ほんとだ。洗濯物をとりこまなきゃ。

この二人の会話を考えてみましょう。どうしてAさんは雨が降ってきそうだと思ったのでしょうか?そして、Bさんはなぜ、「ほんとだ」と言ったのでしょうか?

わたしたちは、何かを見たり、感じたり、考えたりしたことを言葉として発することがあります。外に出たときに「うわ、寒い」と言ったりするのは、冷たい外気を感じたからでしょう。「うわ、氷点下3℃だ」と言ったときは、単に外気を感じたのではなく、目の前にある温度計を見て、それを言葉にしています。

そこで、最初の二人の会話に戻ってみると、Aさんはおそらく空を見上げて、だんだんと雨雲が広がってきている様子がわかり、それが雨をもたらすだろうと判断し、「ちょっと、雨が降ってきそうだね」と言葉に表しました。そして、Bさんも空を見上げて、Aさんの発話に同意していることがわかります。

ここでAさんには「雨雲がひろがってきた様子」が「雨を降らす」という知識があることがわかります。

もう少し別の例を見てみましょう。

A:あ、隣の家から煙が出てる。
B:火事だ!消防車を呼ばなきゃ。

ここでは、なぜBさんが火事だと判断したのでしょうか?それは、Aさんの「煙が出てる」という発話がきっかけとなり、「煙が出てる」ことは「火事」になっていると判断したからです。つまり、この場合、煙が出ていることは火事を意味していると考えてよいでしょう。

雨雲や煙という自然現象は、雨を降らすということや、何かが燃えているという異なった現象と結びついているのです。簡単に書くと以下のようになります。

雨雲→雨が降る
煙→何かが燃えている

つまり、私たちは「雨雲」に「雨が降る」という意味を見いだし、さらに「煙」から「何かが燃えている」という意味を見いだしているのです。

次の例を考えてみましょう。

A:赤だから止まりなさい。

という言葉を聞くと、どういった場面かということが容易に想像できると思います。おそらく交通信号を見ていない人に対して注意を促す発話であることがわかります。どうしてでしょうか?

私たちは、信号機の赤は止まれを意味していることは知っています。これは幼いときから、そうやって教え込まれてきたからですね。生まれながらにして、信号機の赤が止まれであるということを知っている人はいません。学習や経験によって身につけてくるものです。

雨雲と信号の例が大きく違うのは、雨雲は自然現象であり、信号は人為的に定められたものだからです。つまり、誰かがどこかで「赤色のライトがつくと、止まれという意味だ」と決めて、それをみんなが受け入れることで初めて成立します。

ちなみに、信号機の赤が止まれという意味を持つようになったのは、1860年頃イギリスで「信号として見やすい色は何か」という実験で白、赤、緑、青の順で識別しやすいことが分かり、鉄道の信号に赤(危険)と白(安全)の油灯を採用したのが信号の始まりだと言われています。しかし、道路脇の街灯の白色と信号の白色が混同されて危険だということで、白の代わりに緑が使われるようになりました。たまたま、実験の結果「赤」や「白」が見やすかっただけで、色に意味があるのではないのです。ですが、信号機の「赤色」には意味があります

ここまで書いてきたことを別の言葉でまとめると次のようになります。

雨雲(聴覚映像・イメージ)は雨のサイン(記号)となっている。
赤信号(聴覚映像・イメージ)は止まれのサイン(記号)となっている。

さらに、雨雲と赤信号の大きな違いは、前者は自然界の約束事で絶対に変えることができないもの(自然記号)。後者は私たち人間がどこかで決めた約束事でひょっとしたら変えることができるものです(人為記号)。

したがって、次のような信号があったら大変なことになってしまいます。

ですが、何らかの理由で「世界中の信号機はピンク、茶色、白にする」という規則が定められた瞬間、私たちはその規則に従うことになるわけです。そうすると、これまでの赤信号(聴覚映像・イメージ)=止まれ(意味内容)の結びつきがなくなり、ピンク=止まれというあたらしい結びつきができあがるのです。このような聴覚映像と意味内容が結びついたものを「記号」と呼びます

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