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「ヘイト米屋」を「糾弾」する人たちへの違和感【1】

☆書き手の私は在日コリアン女性であり、差別に反対する立場です。
ここに出てくる黒川巌を含むC.R.A.C.メンバーに、直接・間接的に嫌がらせをされた経験を持ち、かつ、マイノリティ属性を持った複数の知人も同じように絡まれた経験を共有しているため危機感を持ってこの記事を書いています。
自らの持つ「暴力性」に無自覚な人たちによる「反差別カウンター」活動とはどういうものなのか、どういう波紋を広げるのか。
自分ごととして、いろんな人に考えて欲しいです。
また、私も考え続けています。

概要

少し前、外来種が増えることへの危惧と同列に、外国人住民の投票権が認められると不安云々と書いていた米穀店(公式アカウント)のTwitterの発言に以下のようなリプライがついた。


店側はツイートを消しているようだが、黒川巌は、この店の前にわざわざ出向き、差別反対を意味するプラカードを掲げてスタンディングをしたことをTwitterであげた。(出向いたのは一人ではなく、数人と見られる)。

さらに、この「ヘイト米屋」のGoogleの口コミの評価を下げるようフォロワーに呼びかけ、それを見た人たちが参加した。
今度は米穀店を庇う人たちが反対に高評価をつけるという仕返しに出た。

「行き過ぎではないか」と黒川らの行動に疑問を呈する声もあったが、両極端な人たち(いわゆる「愛国」の人、対し、いわゆる「C.R.A.C.一派」の賛同者)の声でかき消された。※1

黒川らは、また米穀店前に抗議のために集まるという。それに対し、在特会がらみのメンバーが返信しているものもあった。

(*閲覧注意*ここには直接貼らないので、上記のツイートにぶら下がっているものや引用されているものをお読みください。)
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この記事を書いている時点では本当に彼らが来るかはわからない。
ただ、刺激をしたことは事実である。
「反差別」を掲げる人たちが「ヘイト」をわざわざ呼び寄せたと言っていい。

個人店前に集まることが「ヘイトの現場」へのカウンターとなるのか


HPを見ると、この米穀店は従業員数(アルバイトを含み)7人の、「個人店」といってもいい規模のお店である。
そしてその店舗は、駅には近いが住居も密集した場所に存在し、Googleマップの写真で見る限り、店の前の道幅も決して広くはない。
都心の大きな通りに面したビルにあるような、いわゆる大企業ではないのだ。

このような個人店前で「ヘイトに抗議する」ために集まることに何の意味があるのか、単純に疑問を持った。
「排外的なことを呟いた」人(仮に店主としておく)がいる店が、すなわち「ヘイト米屋」と断罪され、「直接的な行動によって」営業妨害をされてもいいものなのか。


数年前に、複数の大人(主に男性)たちが朝鮮半島出身者への憎悪の言葉を吐きながら嫌がらせ目的でコリアンタウンを練り歩いたり、デマを撒き散らしたり、危害を加えるようなことを大音量のスピーカーで撒き散らすようなヘイト街宣が頻繁に行われていた時期があった。

そのような場で、抗議のプラカードを掲げたり、排外主義者に「この場から立ち去れ」など、多少大きな声で返すことに対しては、「不安に陥っている近隣住民を守る」ために、また「ヘイトに対抗する市民の存在」を可視化させるために、「カウンター」は成り立った部分はあったと思う。

上記のような活動をしたC.R.A.C.のメンバーや賛同者に対し、「よくやってくれた」と言っている在日コリアンの当事者も一定数いるのは事実だ。
私ははっきり言って彼らの「活躍」については直接知らなかったが、彼らのこれまでの行動全てを否定する気はない。


ただ、今回のようなケースで、同じ手段で臨むのは全く筋違いであると言いたい。
「ヘイト街宣」の現場と「排外的主張をする店主がいる店」への対応とでは、取り組み方を変えなければいけないはずだ。
同じ「差別」という要素を含んではいるが、性質の違う事案なのだから。

件の米屋の前に集団で集結したとて、店主が外国人を不当に扱っている「現場」を取り押さえられ「悪が征伐され」「差別がなくなる」のか。
そうとは思えない。
残念だけど。
(また、前提としても「店主が日本に住む外国人たちに取り返しのつかないダメージを与えるほどの重大なヘイト行為をした」という事実もないのだから、カウンターをする意味がない。単に嫌がらせとしか機能していない)。※2

【2】にも書くが、日常的にそのような事案は転がっており、当事者からすると「相手にしていると時間がいくらあっても足りない」という部分もある。

どうしてその(影響力の小さい)個人の米穀店をわざわざ標的にしたのか。
それは、「たまたま」「C.R.A.C.の黒川が」「その米穀店をヘイト米屋と呼んだ」からとしか思えない。※3-1


それから、買い物をしたわけではなく、ましてや一度も来店すらしたことのない人たちが、Googleのレビューに好き勝手な評価をつけることも公正ではないと感じた。
(良い評価をつける行為であっても同じ)。

Amazonの在日外国人作家の作品に対し、読んでもいないのに低評価をつける「ネトウヨ」たちを批判して来た「リベラル」風な人たちが、今回嬉々として「星ひとつにしてやりました!」などと報告しあっている幼稚な様を見て、私はとことん失望した。
「不正義」を糺すためなら何でも許されると思っているのか、この人たちは、と。※4

「スタンディング」のみに着目するにしても、「差別への抗議」という意味で行うならば「公共の建物前やスペース」で、そして社員数の多い会社、社会に大きな影響を与える事象を対象にするならばまだ一定の効果がある行動と言えるのではないか。
もちろん「差別事案」が看過できないほどひどい場合である。

個人店の店主の呟きを過去にまで遡ってネチネチと拾い集団で責め立て「ヘイト米屋」などと吊し上げるのはどう見ても、バランスが悪すぎる行為であり、「世間の感覚」とかけ離れていると言っても良い。※5


私は、彼らが「大きい相手」には向かわず、攻撃しやすそうな対象に向かっているのを見て、嗜虐性を内面に孕んでいる人たちなのだなという気持ちをまた新たにした。※3-2
(Twitterでも、女性やマイノリティアカウントに執拗に絡んでいたことからも)。


もっと、慎重になってほしい。
正当性のない、相手を貶めるためのアンフェアな行為を容認することは、それ自体が「小さな暴力」となり得るのだから。

身近な人は注意してほしい。彼らを、諌めてほしい。
自分のことも振り返って欲しい。
「反差別」という「動機」だけで突っ走っていないか?
意味や結果を考えて行っていることなのか?と。

☆後編に続きます


【2】(次の記事)
・間違った「カウンター」が引き起こすこと
・当事者が日々体験していること
・私刑を許してはいけない



*1 
C.R.A.C.
 
黒川巌はそのメンバーである。(今回、抗議をしようと集まっている人たちがみんなメンバーではないと思われるのでゆるく「賛同者」と書く)。

※2
重大なヘイト行為

もちろん差別発言そのものは許されない。
ただ、恣意的に選んだ「その店」を徹底的に追い詰めようとする人たちへ強烈な違和感を持った、ということを書いている。

※3-1,2
「たまたま」「C.R.A.C.の黒川が」「その米穀店をヘイト米屋と呼んだ」
「大きい相手」

ちなみに、前回の記事で触れた在日コリアンの女性がツイッター上で京都大学の学生の差別発言を注意したところ、数人から絡まれ、嫌がらせを受けたこともあるが、その時に「抗議のために京大前でスタンディングをしよう」と彼らの一人も声を上げなかったことを私は記憶している。
(私は京都大学の学生課に電話をしたが、相手にされなかった。また、こういうことはしょっちゅうある)

大学のような開かれた場所こそ、スタンディングに相応しい場所だと言えないだろうか。私もそこまではできなかったため、偉そうにここに書くのも躊躇われるが、「個人店の前での迷惑なスタンディング」を反差別活動として肯定する人たちが一定数いるため、比較対象として挙げておく。

ランニング途中に、かつて差別的な発言をした企業の建物前に行き、プラカードを掲げて静かなスタンディングをする人が、Twitterのつながりにいて、私は彼を尊敬していた。(今も尊敬している)
静かなスタンディングとはそのようなものだと思う。野間易通が彼の言葉を安易にリツイートし、派手なパフォーマンスに利用したのはなんとも腹立たしい。


※4
「不正義」を糺すためならなんでもありなのか

「不正義と反差別活動」については今後また別の記事に書きたい。

※5
「世間の感覚」

人種差別を禁止するための明確な法律は、今の日本に存在しないように、残念ながらこの国の人たちの人権意識は相当低い。
ヘイトデモが繰り広げられるようになった時にも、市井の人たちは見てみぬふりがほとんどだった。




個人のTwitterアカウントをやめました。
これまでフォローしてくださった皆さんありがとうございました。直接挨拶を交わせなかった人もいてすみません。繋がれるひととはかたちを変えて、ちがう場所でも繋がれるということを私は知ってます。これからもよろしくお願いします。

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