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【バリ島一人旅の足跡_#2】チャナンを買う。

一人でバリ島を旅するきっかけとなった前日譚の続き。

仕事仲間と訪れた3泊4日のバリ島旅行は想像以上に楽しく、ちょっとだけ日本語が喋れる現地ガイドと共に、お手本のような観光ルートを貸切ワゴンで巡る毎日。クタビーチ、ウブドのライステラス、ウルワツ寺院のケチャダンスなど「ここを見ときゃ間違いない」というルートを巡る。

ビンタンクタホテル前のビーチ
巨大なオブジェが建てられているカルチュラルパーク。
ウブドのテガララン・ライステラス。
ウルワツ寺院のケチャダンス。

たぶん今後、僕がバリ島未体験の人を案内する時も、まずここを巡るだろうな、というお手本のような観光ルート。コロナ禍の前年だったこともあり、人気の観光地には、人のうねりができていた。

ここまでだったら、ごく普通の「海外旅行」の記憶として、バリ島は僕の記憶にうっすらと残り続けただろう。だが、僕がこの旅の中で一番印象に残る出来事は、滞在3日目の午前中に用意された「自由時間」の中にあった。

それまで、バリ島に詳しいカメラマンのIさんの案内で各地を巡っていたが、「一人歩きもしてみたいでしょ?」という粋な計らいにより、一行の4人はそれぞれの自由時間を過ごすことに。

街撮りでも楽しもうとfujiの一眼レフを首からぶら下げ、トゥバンの下町を一人でぶらぶらと歩いていみる。

早朝のトゥバン
街から感じるエネルギーに、映画「3丁目の夕日」を思い出す

バリ島を歩いていると必ず目に留まるのが、小さなカゴに入れられた花のお供え物。チャナンと呼ばれるこのお供え物は、バリ島人口の9割が信仰している「バリヒンドゥー教」に欠かせない習慣として、家の前の地面や神様の石像などに祀られている。

ふと、道端に粗末な木のテーブルを出し、チャナンを並べて打っている一人のおばちゃんの姿が目に留まる。

「買ってみたい」

なぜか、そんな欲求がわき上がる。花がほしかったというより、せっかくだから現地の人とコミュニケーションをとってみたいという思いの方が強かったかもしれない。コピーライターの職業病と言うべきか。なかなか勇気が出ずに店の前を何度か通り過ぎた後、店じまいを始める彼女に意を決して「ディスワンプリーズ」と注文してみる。

まあその時の、おばちゃんの怪訝そうな顔ときたら。なんじゃこのアジア人、という顔でこっちを見ながら「これがいるのか?」と袋を指さす。「イエス」と震えながら応えると、おばちゃんは袋に詰め込まれた売れ残りのチャナンを一つ一つ数え始める。

あわてて「いやいや、一つでいい」とジェスチャーで要求。「なんだ一つだけか」と軽くため息をついた彼女は「7000ルピアだ」と金額を提示してくる。たぶん、現地の10倍ぐらいふっかけられているが、日本円にして約70円程度なので断る理由もない。「OK」と笑顔でお金を渡し、手渡しされたチャナンを持って店を離れる。

「ヘイ!」

背中越しに聞こえるおばちゃんの声に振り向くと「ところで、どこから来た?」と改めて話しかけられる。このおばちゃん、インドネシア語しか話せないのだが、何を言っているのかがなんとなく分かる所がコミュニケーションの奥深いところだ。「ジャパン」と返すと、こっちへ来いと手招きをする。

彼女はおもむろにスマホを取り出し、1枚の写真を見せて「私の娘よ」と嬉しそうに話しかけてくる。さっきと打って変わったフレンドリーな態度に驚きながらスマホを覗き込むと、そこには四角い大学帽をかぶったキュートな女性が一人。後に(といっても1年後だが)僕の一人旅にいろいろと世話を焼いてくれる、長女のウィアリである。

カタコトの英語を喋るおっさんと、それをまったく理解しないインドネシア女性の対話がしばらく続いた後、「ところでフェイスブックはやっている?」と彼女。二人で苦戦しながらフェイスブックのフレンド登録を済ませた後、ついにお互いの名前を伝え合う。

僕は●●●●。「ノブ」と呼んでください。

私は「ニョマン」よ。

後に判明するのだが、彼女の本当の名前はトリスナ。ニョマンは「3番目に生まれた女の子」に付ける名前らしく、バリ島には何万人ものニョマンがいる。あれから5年が経った今でも、僕は彼女のことをトリスナではなく「ニョマン」と呼び続けている。

彼女から買ったチャナンを、帰路の途中にあった神様の石像に祀り、彼女と彼女の家族の幸せを願ってみる。旅行の自由時間に生まれた小さな出会いが、翌年のバリ島10日間の一人旅のきっかけになるとは、この時は想像もしていなかった。

バリ島に行くと必ず目にするチャナン

#3に続く


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