近頃の若者は世界征服なんて夢を見ない(8)
第1話はこちら
~前回までのあらすじ~
世界に平和と笑顔を届ける「正義の秘密結社」が日本を統治するようになって50年。
「悪のフリーランサー」であるブラディメアリ、エイトビット、レイヴンの三人は、秘密結社GSMの洋上パーティ会場に乗り込み、要人の娘・チエを誘拐した。
チエの監視にレイヴンを残し、メアリ、エイトビットの二人は治外法権都市横浜に足を踏み入れた。
その最中メアリとはぐれたエイトビットは、無人のオフィスに咲き誇るドライフラワーに呑まれ、そして……。
~悪~
彩羽テイカの産まれた家庭は、裕福でも貧乏でもなかった。郊外だが一戸建てを構え、週末には必ず外食にでかけた。
テイカの父は実直な勤め人であり、母もまた笑顔と平和を愛し、GSMの地域会合にも欠かさず参加する模範的市民だった。
テイカもまた名門と呼ばれる学校に通い、上位の成績者リストから名が漏れたことはなかった。
一家の未来は順風満帆だった。
少なくとも、外から見る限りは。
「テイカ、またゲームをしていたのね!?」
それは、不定期に彼を襲う嵐。その始まりを告げる雷鳴だった。母親のヒステリックな叫び声。その手にはテイカの密かに買い集めている古いゲーム機が乱暴に握られていた。
確かに隠していたはずなのに。
うつむく息子の表情に、彼女は気が付かない。それどころかこれみよがしにゲーム機を持ち上げると、それを思い切り床に向けて振りかぶった。
「マ、ママ! やめて!」
悲痛な叫びが部屋に響くもむなしく、軽っぽい衝撃音が上書きした。精巧な電子機器の寄せ集めはたちまちのうちに打ち砕け、バラバラの金属片に成り代わる。
「あ……」
テイカの瞳に浮かんだ悲愴の色は、長くは保たなかった。すぐに諦めの色に取って変わられたからだ。
「まったくどこで買ったのかしら……こんなもので遊んでないで、次のテストのために準備をしなさい」
「でも、ママ――」
「言い訳しないでよ!」
「……はい」
有無を言わせず、母親は背を向けて部屋を後にした。彼女は覚えていないのだ。たった今叩き壊したゲームは、テイカが好成績を取ったご褒美として買い与えたものだと。
あとに残されたテイカはすっかり泣きたい気持ちだったが涙は出なかった。悲しみよりも、裏切られたというような感覚が胸に残った。
夜は長く、窓から射し込む月光がゲーム機の残骸を照らし出す。
その日から彼は人を信じることを辞めにした。この地獄は向こう数十年、母親が死ぬまで続くのだろうという諦めを胸に抱きながら。
数ヶ月が経った。
それは雨の酷い夜で、テイカたち家族三人は進学高校の下見から帰る際、ひどい渋滞に巻き込まれていた。
なんということのない、テイカには何の自由もないいつもの一日だ。親の言われた場所に行き、期待されたように振る舞い、味のしない夕食を口に詰め込んだ。生きているんだか死んでいるんだかわからない世界。
それが一つ、今日の分が過ぎ去ったに過ぎないのだと、ただそれだけのことでしかないのだと。
窓の外で連なる渋滞の列の灯り。眠気だけが死んだような世界から連れ去ってくれる救いだと、テイカはぼんやりと考える。
キラリ。
葬列のような渋滞の光が光ったような気がした。
「おい、なんだあいつ、近づいてくるぞ……!?」
「あなた、避けて!」
光は暴走するトラックだった。列を外れ、彼らの車へと爆走してきている。避けようと思っても渋滞の中だ、身動きが取れない。
両親が慌てふためく中、テイカだけがぼんやりとその様子を見つめていた。
なんだ、これで終わるんだ。呆気なかったな。
「だめだ、突っ込んできやがる――!」
衝撃。そしてなにもわからなくなった。
…………。
…………。
…………。
そして、腕の痛みとものが焼ける臭いでテイカは目を覚ます。目の前に煙に巻かれた夜空があった。風が吹くと熱が頬を撫でていった。
生きている。
上に覆いかぶさっていた鉄板を除け、立ち上がる。腕の痛み。少なくとも地獄ということはないらしい。いや、いいや、やはり地獄だろうか。
横転した無数の自動車が火を拭き上げ、黒煙がたなびいている。どうやらトラックはテイカたちの車以外も巻き込んだらしい。
助けて――。
痛い、痛い――。
人々のうめき声が闇の夜にこだましている。
が、それをテイカはどこか上の空で聞いていた。生々しいリアル、だがいつだって彼にとってのリアル虚ろだった。凄惨なものを目の当たりにすればその色合いが増すということはないのだった。生き延びてよかった、なんていう当たり前の感情さえ彼の中には存在していない。
「……カ……テイカ……」
怨嗟と苦悶の声の中に、一つ。自分の名を呼ぶものがあることにテイカは気がついた。なんとなく聞き覚えのある声。それはよくよく考えてみると自分の母親の声に似ていた。
「テイカ、助けて……テイカ……!」
直ぐ側で燃え盛る、自分の乗っていた自動車の残骸。声はそこから聞こえている。
「ママ、生きているんだね」
「ええ……テイカも無事だったのね、よかった……それより、ねえ、足が挟まって動けないの……直ぐ側の火が移る前に、助けてちょうだい……!」
「パパは?」
「わからない……でも、さっき呼びかけても応えてくれなくて、もしかしたら……」
そっか。じゃあパパは死んだんだな。
テイカの心の中を冷たい直感が駆け抜けた。悲しくはなかった。どんなに母親に虐げられていても助けてくれなかった、言葉をかわすこともめったに無い。そんな人間の死を悲しむことがどうしてできるだろうか?
「なにしてるの、テイカ? 直ぐ側に炎があるの……! 熱い、熱いわ、早く助けてちょうだい……!」
「待ってて、ママ。今――」
近づこうとすると風が吹き、熱波が舞い上がる。ともすれば全身に火傷を負ってしまそうな。じわりと汗がにじむ。
それでもなんとか風の収まった時を見計らい、テイカは自動車の残骸に駆け寄った。そして母親を探そうとして、瞬間、叫び声に切り裂かれる。
「テイカ、早くしなさい! 私を殺したいの!?」
びくり。
テイカの体が固まった。
何十回、何百回と聞かされた叫び声。テイカを叱る時の、ヒステリックな母親の叫び声だ。その瞬間に空虚が支配していた彼の心の中で幾千夜の慟哭が渦巻来始める。
「ママ、なんでそんなに……」
「テイカ、早くして! もう熱いの、熱い!」
心のなかでじくじくとした痛みが盛り上がる。ゾッとするほど暗い感情が闇夜に佇む少年を取り込もうとしていた。
どうして、どうしてなんだ。僕はいつだってこの人のために頑張っているのに。それを、それを、どうしてこの人は、どうして?
「テイカ!」
もう、限界だった。勢いよく燃え盛る炎はいよいよ自動車のガソリンに引火しようとしていた。氷のような冷静さでもってそれを感じ取ったテイカは、巻き込まれない程度に後ずさる。耳障りな声も遠ざかった。
ごうん。
地を揺らす衝撃。爆風。ひときわに大きな爆炎が立ち上り、夜の中の地獄が明るく照らし出される。
その中には薄く微笑む少年の姿もあった、かもしれない。けれど彼はもう今までの従順で模範的な少年ではなくなっていた。
悪党エイトビットが生まれる、少し前の話である。
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