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出逢った幸福

観たい映画があるの。一緒に行こうと誘われました。
買い物も、カフェも、食事も、
予防接種も一緒がいいと言います。
なんでも一緒がいい。
ひとりぼっちは淋しそうで、みじめに見える。

友だちいないのかなって思われるのイヤだし…
そう言うのです。
知人は1人で行動するのが苦手で、
誰かと一緒でないと気分が乗らないようです。
冷たいようですがすべて断りしました。

普段、1人で行動している私と真逆です。
話しを聞きながらストレスを感じてしまったんです。


私は、まるっきり変わってしまいました。
ほんの数年前まで、都合の悪いときは別にして
誘いを断ることなんてなかったんです。

断ったら声をかけてもらえなくなるかもしれない。
仲間外れにならないように気乗りしないことでも
興味ない映画も、食事も、イベントも付き合っていました。


誘ってもらえた。嬉しい!
外面的にはそうです。
でも内面は真逆でした…。
いやいや付き合っていたんです。


アラカンでこんなことをしていたのです。
自己肯定感が低く、自分に自信がなかったんですね。
自分なんてどこにもいなかった。


そんな私がわずか数年で別人になったのです。
出逢いというものは、本当に不思議です。


『偶然なんてない。出逢いは必然。』


暮らし、仕事、人間関係…
すべてにギャップを感じていました。
こうでなければいけないという思い込み。
何かが違うという違和感。生きづらさ。
次第に、自分は何のために生きているのか
なぜ幸せになれないのか。どうすればいいのか。
わからなくなっていました。


カウンセリングをすすめられました。
私には必要ありませんでした。


私は神的なことを求めていたのだと思います。




最初からメンターと思っていたわけでは
ありません。自分の内面が変わっていくと
それが外面にも現れるようになります。
メンターと思えるようになったのはそれからです。
私は心に闇を抱えていましたので、素直では
ありませんでした。そのぶん時間がかかりました。


昔、聖書の教えを学んでいたとき
ハルマゲドンなんて、もうどうでもいい。
こんな生き方ができただけで満足だ。
心底、そう思ったことがありました。


〇〇さんに学んでいるときに
それと同じ感覚を味わいました。
真理を知ることができた。もうこれでいい。
満足感で本来の目標を忘れそうでした。


心が満たされる感覚は、何にも勝る幸福ですね。
聖書の教えのことはここでは書きませんが、
私は〇〇さんに絶対の信頼を置いています。
生涯のメンターです。


学びがさらに深くなり、
今は陰陽の統合を学んでいます。
人生の終盤に、このような深い学びは
なかなか出来ません。
機会を用意してくださった○○○○さんに深く深く、感謝しています。

応援いただきまして、ありがとうございます。