禍話リライト ねこかわいい
恐怖というものを大雑把で力ずくに定義するなら、「何かを奪われる」事と言えるのではないか。
平穏平和な日常、不自由の無い生活、命そのもの。生きていく上で土台となる基盤が揺らぐ時、我々は恐怖を感じる。
どんなに屈強に見える人間でもそれは変わらない。
これはかぁなっき氏含め我々の「無害な聞き手」という土台が失われた話である。
加藤よしき氏
替え歌やモノマネで場の雰囲気を強制的に上向かせるアッパーな佐藤氏と対象的に、淡々と修羅に生きる人々をダウナーな目線で切り取り語る加藤氏。
彼らは禍話におけるサポートであり安全域である。
決して恐怖の伝道者では無かったのだ。
この夜までは。
夢の話
「この間、夢を見たんですよ」
その日も加藤氏の話は、いつもの気負わない口調から始まった。
「寝苦しさから気付けば古い製糸場にいて、その中ではぎっしりとミシンが稼働してみんな作業してたんです。
ただ、その作業をしているのが猫で…」
「猫ってw可愛いじゃないw」
「はい、可愛い猫が一心不乱にダカダカダカーって布に縫い付けてて。
でも、その縫い付けてるのがコウモリの羽とか、ツバメのクチバシとかで…」
「残酷w」
「変だなーって思った位でその製糸場の中にアナウンスが流れてきたんです。
『ここでもう終わりなんですねぇ』『ここでもう終わりなんですねぇ』
そうずっと繰り返すんですよ。」
「え、なにそれ怖い」
この短いやり取りの中でかぁなっき氏と視聴者の中で生まれた恐怖は、ただ夢の恐ろしさだけではない
今まで誰より恐怖する仲間であり、
恐怖から守ってくれる母の様であり、
奇人の話はすれども怪奇は語らない安全圏であった、
そんな加藤氏が怪談を口にしている。
嗚呼、彼に対する気持ちが反転し足元が崩れるような不安と恐怖をお分かりいただけるだろうか?
そうなれば先程の製糸場の風景も錆とホコリが鼻腔を乱す廃墟へと替わり、
一心不乱な猫も二次元かつ三等身のイメージから四足のものが直立し作業する違和感が拭えなくなり、
ミシンの駆動音に交じるクチバシの砕ける音と暴れまわるコウモリの足掻きの不協和音が羽からの赤と同じく広がり、
それらを掻き消すアナウンスの反響が脳を不安を揺らし乱し続ける。
変わらぬ彼の口調と変わってしまった認識の中、心なしか震える声でかぁなっきさんは問うた。
「それで、どうなったの?」
「目の前の、その、猫がですね、
あまりに可愛くてずっと『ねこちゃ〜ん♪ねこちゃ〜ん♫』ってずっと目が覚めるまで可愛がってました。いやぁ、猫って凄いですねぇ。」
禍民はその日2つの確信を得た。
禍話の聞き手が聞き手であるという重要さ。
そしてねこはかわいいという事を。
※この話はツイキャス「禍話」より、「ねこかわいい」という話を文章にしたものです。
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