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構造化して文章を書くか、逐次的に文章を書くか

もう長いことブログを書いてます。会社を経営する前からも技術ブログは書いていて、経営を始めてからは10年以上コンスタントに書き続けています。我ながら飽きもせずによくやってるな、と思います。

人に話をすることに比べて、書くことの方が好きということもありますが、それでも誰かに読まれるものを書くというのは大変なので、油断すると書かなくなってしまいます。といいつつ書いてしまうのですが。

ただ、なんでも無性に書きたいという訳ではなく、なにか伝えたいなという思いが常にあって、どうやったら伝えられるのだろうか、と考えたら、自分にとってはブログが一番しっくりくる手段だったという訳です。

もちろん、本も書いていますので、ブログではなく本でも良いのではないかという話もありますが、本という形にまとめるには様々な関係者がいて、それなりの分量も必要ですし、何よりも商品にするということは売れることが求められます。それなりの責任が伴われます。

著者は本を書いて、本を売るのは出版社や書店であるという責任分担とも思えますが、そうはいっても出版過多の今は著者自身でプロモーションをする必要がありますし、売れなくて書店から出版社に返本されてしまうと著者としては責任を感じざるを得ません。

なので書籍の場合は、それなりに売れるように努力もしますし、結果にコミットするだけの責任感を持って臨みます。だからブログほど気軽ではありません。妙に責任感が強いというのもあります。

ブログの場合、自分自身で執筆して、自分で編集して、自分で公開してシェアします。すべて一人きりで完結するので、誰かに迷惑をかけないようにしなければ、というプレッシャがありません。

とはいえ、ブログであっても、読者の方を意識して書きますし、読みやすいように工夫もします。読みたいと思ってもらえるようなテーマ設定やタイトルなども考えます。なので、労力自体は書籍と、それほど変わりません。

ブログだからといって書籍に比べて手を抜くというということはないのです。むしろ、自分で編集しなくても良い書籍の執筆の方が、もっと質を気にせずスピード重視で文章を書いている気がします。

書籍を書くときとブログを書くときに共通しているのは、特定のテーマごとにまとめるということです。特にブログの場合は、「リモートワークについて」とか「働き方のxxについて」といったように記事ごとに1つのテーマで書くようにしています。

というのも、ブログを読んでくれる人からすると、多くの場合はSNSや検索から「記事」に最初にたどり着くことが多いので、記事そのものを読みに来ているのだから、1つのテーマで書かれている方がわかりやすい。

もし別のテーマを入れたければ、記事を分けた方が良いのがブログの定石です。1つの記事に雑多な話が入っていることは推奨されません。なんだったら、ブログごとにテーマを分けることもあるでしょう。

私のブログの場合、経営の話や働き方の話などの共通のカテゴリはあります。より専門性を出すなら、それもブログを分けた方が良いのかもしれませんが、私の場合は、少なくとも私個人を軸にしています。

個人を軸にしているといっても何を食べたとか、どこに行ったというような記事は入っていません。そうした日々の中で感じることや、起きた出来事なども共有したいという思いが無いでもありません。が、書けずにいます。

これまで私がブログを書くときに気をつけているのが、文章に構造をもたせることです。たとえば、大きなテーマを3つに分類して、サブタイトルで3つ書いて、最後にまとめを入れるというような形です。

構造的にロジカルに構成できるので、見通しがよくなります。これを仮に「構造化執筆法」と呼びます。もうちょっと考察すると手法としてまとめられると思いますが、それは今回は割愛します。

構造化執筆法では、読みやすさやわかりやすさはある反面、少し無機質に感じることもあるかもしれません。構造化することで無駄な記述を入れる余地が減ってしまうためです。

構造化執筆法では、最初にテーマがあって、文章の構造を考えます。文章の設計図のようなものを作ります。マンガでいうネームです。どこにどんなことを書くか、という箇条書きで構造化してしまいます。

それが出来たら、あとは書けたも同然で、手を動かしていけば書くことができます。ちなみに構造化執筆法は、HTMLとも相性が良いのです。HTMLは文章を構造化して表現するフォーマットだからです。

さて、今この文章は、構造化執筆法で書いてはいません。頭から順に、考えながら、思いつくままに書いてきています。あとで少し読みやすく直すことはあっても、構造全体を変えることはしません。書いてる途中で「構造化執筆法」という言葉を思いつきました。(もちろん「構造化プログラミング」からのオマージュです)

この事前に構造を考えない書き方は、言ってみれば誰かに話すように書いています。シーケンシャルな構造になっているので、「逐次的執筆法」と呼んでみることにしましょう。口述式執筆法でも良いかもしれませんが、シンメトリになるよう揃えます。

逐次的執筆法の利点は、書きやすいことです。あまり構造を気にすることなく、あとから補足的に言葉を重ねてもいいし、思考を追いかけるように書いていきます。スーッと読みやすいかもしれませんが、内容の理解はしにくいかもしれません。

しかし、人間の読解能力は、たとえ文章の構造が崩れていようが、大事なことが文章の流れの中で分散されていようと読み解くことができます。もちろん、人それぞれの長短はあるでしょうが、小学校の国語レベルの話です。

つまり、ある程度の読解力を読む人に期待するのが逐次式執筆法です。おそらく小説などは、逐次的執筆法で書かれることが多い気がしますし、あえてそうすることで読者に内容を補完するイメージできるようにしています。

構造化執筆法の場合は、最初から構造化して設計しているので文字数をある程度は抑えることができますし、構造化された段落の文字数を揃えることができます。私のブログや書籍を読んでいただくと、章や段落を、どれも大体おなじ長さになっているのがわかると思います。

一方で、逐次的執筆法の場合は文字数が長くなってしまう傾向にあります。これも読者には負担になるでしょう。余計なエピソードや言葉が多分に含まれたり、重複もあるかもしれません。それも、読者は勝手に読み飛ばすので気にするほどでもないのですが。

これらの執筆手法、どちらが優れているか、ということではなく、状況と目的にあわせて選択すると良いでしょう。

前述のように、私のブログだとある程度の専門性をもった記事であること、記事そのものを目的にたどり着くだろうことを想定して、構造化執筆法を選択しています。小説やエッセイだと逐次的執筆法が向いているでしょうし、両方の組み合わせもあるでしょう。

ただ構造化執筆法で書くには、その記事自体の価値を高めるために、設計段階で煮詰めておかないと書くことができません。様々な経験や分析をブログなら3000文字程度に凝縮するには時間がかかります。読み切りのマンガのようなもので、その記事単体でオチまでつける必要があるのです。

個人的には、その分析を凝縮したブログを構造化執筆法で書くのは苦しいけれど嫌いではないので続けていきたいと思っていますし、なんだったら同じ書き方で書籍も継続的に出していければとも思っています。

ただ、構造化執筆法で書こうとすると、記事に凝縮されるまでにこぼれ落ちた思考や、まとめきれなかったアイデアなどがたくさんあります。これまではそれを手元のメモに書いておいたり、編集時にカットして捨てたりしてきました。まとまらずにボツにしてしまった記事もたくさんあります。

そこで私自身にとって、まだまとまりきっていないような考えや、日々を生きている中での出会いや気付きなどを、そのまま書き残すような場所も欲しいな、と思うようになりました。

それは逐次的執筆法で書くものであって、これまでのブログとは別のところで書きたいという思いがあって、noteでマガジンを始めることにしました。私のブログ「SocialChange」と合わせて、読んで頂ければ幸いです。

倉貫義人『ソフトウェアと経営の交差点』(思考の裏側と日記)
https://note.mu/kuranuki/m/m304cab73c682

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ここまでで、このトピックは終わりです。ここから先の有料部分では、私の個人的な日記や、最近読んだ本や消費したコンテンツ頂いた質問への回答などを書いています。プライベートな内容です。今回の目次は以下。

・10/30〜11/5の日記:宮古島に一週間ワーケーション
・ブログに書かずにnoteの有料マガジンにした理由
・真面目に勤め上げることの怖さと生きる力の身につけ方
・最近読んだ本:「神はいつ問われるのか」「アオアシ」

ちなみに、月800円の『ソフトウェアと経営の交差点』マガジン購読者になると、週1度程度で更新される記事の有料部分が毎回読めたり、その他の記事も全て読めて、随分お得です。

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