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瀬戸本業窯のはなし。

2015.06.3

今回は少しまじめな内容になりますが、おつきあいください。

「瀬戸物」と聞けば、広く焼きものを思いうかべる方も多いと思いますが、
もともとは愛知県の瀬戸でつくられた焼きもののことです。
六古窯にも名前があるように、中世から続く焼きものの産地で、鎌倉時代
には他では見られない意図的に釉薬をかけたものが見られるなど、すすん
だ技術がありました。豊富な土や薪などの原料、焼き物を運ぶ水路が発達
していたことから全国に広まり、大量生産に応じることで工業化され、海
外にまで広まっていきます。急速に変わる流れのなかで、昔ながらの焼き
もの造りを続けているのが瀬戸本業窯です。

瀬戸本業窯の裏山には、いかに瀬戸が焼きものの大きな産地だったのかわ
かる跡が残っています。

上から見下ろすと当時の登り窯の跡がみられます。

多くの職人が仕事をしていた工場の跡も。
奥に見えるのは、柳宗悦も賞賛した「窯垣(かまがき)」。
焼きもの造りでつかった道具を壁として利用しています。

古い「奥洞窯(おくほらがま)」と呼ばれる登り窯は解体され、その素材
をつかって再構築され昭和54年まで使われていたようです。

一部屋がとても広く、高さは手を伸ばせる程。この部屋が4つ。いっぱい
に埋まる程、器をつめて焼いていたと考えると、瀬戸が産地としていかに
大きかったが想像できます。

現在は、燃料の赤松が少なくなったため、出番はなくなりましたが、時間の流れを感じることができる貴重な窯です。

釉薬は松の灰を分離させ灰汁をとることを繰り返しつくります。
その土地の土、樹木、をつかって焼きものをつくることが難しくなった今
も、昔と変わらず続けています。

周りの窯が大量生産から工業化していく時代の流れのなかで、昔ながらを
続ける覚悟は大変なことだったと想像できます。瀬戸本業窯は「水野半次郎」という名前を継ぐことで、その覚悟も継いでいるように感じます。


描き手が亡くなり2年間止まっていた「麦藁手」の仕事も、再開していました。今後がとても楽しみです。

瀬戸本業窯のうつわ、阪急うめだ本店くらしのギャラリーでは一足先にご覧
いただけます。本店でも早くご覧いただけるよう準備しますので、もうしばらくお待ち下さい。

山本