大塚さん

『大塚幸代さんがもういないのを知った日』(16/3/31初出)(文:こたにな々)

この文章はフリーライターの大塚幸代さんが亡くなった1年後に私が別の場所で書いたものです。大塚さんが亡くなってから2018年3月30日で3年が経ちます。私はまだ彼女を想っていたいので、文章をここに再掲載致します。本当に個人的な文章ですが、良ければ皆様のそれぞれの思い出と共にお読み下さい。

元リンク:http://poetorium.hatenadiary.jp/entry/2016/03/31/210000

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土に沿って風に、陽が頬を射した4月の日曜日の午後、

大塚さんがいなくなったのを私は、インターネットで知りました。

『大塚さんがもういないのを知った日』

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◆ 4月が数日も過ぎて、胃を痛めた去年の春もどこへ、

また同じような春が来てしまったって思って、後悔して(謝った。)

夢で父親に「お前はおかしい」と言われ続け

「違う!」って泣きながら言った私は、目覚めるとやっぱ泣いていた。

夢だと分かったままで、まだずっと泣いていた。

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2015年4月5日

最悪な気持ちでも、起きればツイッターを開く

最悪な気持ちだからこそ、たぶんツイッターを。

『大塚幸代さんのこと』

っていう誰かが書いたタイトルのブログURLが

タイムラインに回ってきていて、

なぜか瞬時に私は、

「あ。大塚さんは死んでしまった」と思った。

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こんなとき息が止まる、嫌だった、

URLをタップした。

雰囲気は裏切らなかった。

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まだ実感も、事実かも分からないまま、

私は誰かが ”大塚さんの記憶と人生を締めた" 場面を見てしまった。

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◆ 大塚さんが執筆していた「デイリーポータルZ」には

2日前に正式な訃報記事が出ていた。

http://dpz.cocolog-nifty.com/q/2015/04/post-5866.html

その2日のタイムラグは最近追えていなかった距離だと私は思った。

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生前関係していた人たちのツイートを遡ると、

もっと数日前から皆、意味深なことを言い

泣いていた。

死因は公表されていない。

事情を知っているかもしれない人たちは、口々に

”うっかり” 死んでしまった、と言っていた。

本人も死んだ事に気付いていないかもしれないくらい "うっかり" って。

「うっかり死んじゃわないでください!大塚さん!!!」

途端に悲しくなってきて、理由もなく涙が止まらなかった。

もう会えないし、もう文章が発表される事、長年悩まれ続けたり、

悔しがったり、可愛いものを愛でたり、新譜をチェックしたり、

もう止まってしまった。

もう言ってくれない、もう言葉を残してもらえない。

この世に居ないというのは、人が死ぬというのは、

どうしてこんなにどうしようもなくて—

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「なんで泣いてるの」と家人に聞かれたけど、

あまりにも悲しくて口に出したらもう終わりで、言えなかった。

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◆ 私がライター  ”大塚幸代” の事を知ったのは、フリッパーズ・ギターのファンジンでも、クイックジャパンでも、『デイリーポータルZ』でもなくて。

2003年~2006年頃、インディーズの一部で密かに盛り上がりを見せていた『ネオ渋谷系』という、今となっては本当にあったのか無かったのか分からないような小さなムーブメントの中だった。

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◆ 思春期を迎えたその時、フリッパーズ・ギターなんて当然のようにいなくて、20世紀の影ばっかり追いかけていた私には、複数のインディーズレーベルから、こんなに同時多発的に『渋谷系』の形を持ったアーティストが現れたのが嬉しくて、一瞬の出来事だったけど、リアルタイムで追っかけれたお祭りみたいな時間だった。

そんな中で大塚さんを、リアルタイム渋谷系のサブカル重要人物であることも知らずに、ネオ渋谷系の中心人物『tetrapletrap』川島蹴太の彼の活動の中で知った。

2人が共作した「ベイビー・ポータブル・ロック」似の曲とか、それを作るまでに至った2人の会話文とか、

あの時、この界隈の人たちの行動や活動は繋がってて、mixiやネットラジオが流行っていた。アーティスト同士のやり取りが可視化されてきていた時代だった。

ファンとしてはそれを追っかけるのが楽しくって、そうすると、よく大塚さんの名前に当たることが多かった。

◆ もしかしたら、そんなことなかったかもしれないけれど、数回でもどうしても忘れられなかった。

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大塚さんの日記にたどり着く。


私は中学生活だろうが、高校生活だろうが、大学生活だろうが、いつも上手くいっていなくて、大塚さんの日記を、詩を、数年分、夜を徹して、来る夜も、来る夜も読んでは 消えない言葉を、入ってしまった言葉を、

ノートに沢山書き出した。

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大塚さんの日記は、箇条書きのように、とりとめなく、その日あった誰かの動作とか描写とか。思ったこととか、好きなアイドルグループのこととかが、短くただ数行で書かれているのに、いつもその数行の中にキラーフレーズがあって、忘れられなくて、誰かが日々の中で生きている呼吸を感じた。

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◆ 私の目には大塚さんはいつも悩んで見えた。

私が知った30代も、わずかな40代も。

自分の女性としてのコンプレックスや、愛される事、御両親との距離感や、物書きとしての苦悩。自身をカテゴリに振り切る事や言い切る事も許さず、ただ一人なんとしてでも生きていらっしゃった印象がある。

いつかのブログで、自分の文章の価値の話をされていた時、

私は誰にも見えないだろう山上の田舎の部屋の片隅で、

「ここにいます!」

「あなたに人生を支えられた、一生忘れないだろう言葉を持って人生を生きていく女」が「ここにいます!!!」

ってどうしても手を挙げて伝えたかった。

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その後、大阪でのエイプリルズのライヴでニアミスしたり、キョンキョンの『グーグーは猫である』の映画エキストラに少し出ているのをブログで知って、一人で見に行ったけど。結局分かんなくて。

エンドロールの小さな名前を見て舞い上がったりして、

私は大人になった。

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◆ 2012年、17才の夜から7年が経った夜。

私は友人を介して『間取り図ナイト』というイベントで大塚さんを前に震えた

大塚さんは黒目がちで。

「話し声が歌声と同じですね」って思わず言ってしまった。

隣に座ってくれて色んな事を話した。

ネオ渋谷系の事とか、小沢のツアーの事とか、

私が大学で作った本も読んでくださった。

私、もう精一杯の言葉で、大塚さんの文章を読んできた事を伝えた。

馬鹿みたいなテンションだったかもしれない。

帰り際、もう一回ちゃんと言わなくちゃと思って

握手してもらった時に「書くのやめないでください!」って私は言った。

(気軽に言ったわけじゃなかったけど、誠心誠意言えば言うほど、

この言葉のフレーズの重みに気付く歳に私は今なった)

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◆ 数日後、いつも見てたブログに私の名のイニシャルと、

別れ際言った言葉を書いてくれていて、「人生ってなんて!」って実感した。

http://blog.hibi.her.jp/?day=20120621

『「書くの辞めないでくださいね!?」って言われちゃった。どうしよう。』って書いてあった。

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◆その次の2013年、大塚さんの電子書籍出版記念イベントへ会いに行った。

あの時の者です、って、

伝えたい事を再度思いっきり伝えた。

大塚さんは照れながら「ほんとですか!?」って驚いていた。

「ほんとです!!」って私は念を押した。

イベントは大塚さんのひとつの集大成で、酒樽があって、大勢の人が居て

和やかで明るかった。

ニアミスでちゃんと帰りの挨拶が出来ずに、側を通ったのを

少し心残りにして、

そのまま大塚さんにお会い出来たのは最後になりました。

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◆2015年。

私は『偲ぶ会』に行くかギリギリまで悩んだけれど、

結局行かなかった。

きっと、近しい著名な人たちが集まるだろう場に怖じ気づいた。

ツイッターで同じようなファンの方が、

「行かなきゃいけない」って気持ちに従って、

恐る恐るでも、すぐ後にする事になっても向かったのを見て、

”正しい”と感じた

「私、行かなかった」と思った。

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大塚さん、私最後のお別れも言いに行かない

こんなファンですが、

あなたの文章が、あなたの事が大好きでした。

大好きです、大塚さん。

私の人生にライターとして、一人の女性として、

音源を出したアーティストとして、

足跡を残してくださったこと、感謝しています。

大好きです、大塚さん。

大好きです。

ありがとうございました。

また会える日が来るのを、

感傷が大塚さんの文章に寄り添うのを越えて、

私が年齢を重ねて大人に、女に、生きていったら、

いつかまた会ってください。

大塚さん。

-こたにな々 2016.03.31-


●あとがき●

大塚さん、また春が来ました。あの時、何者でもなくただの大学生だった私は今もまだ何者でもありません。大好きな大塚さんがブログでよく使う言い回しを時々思い出したりしながら、私も文章を書いています。もう一度くらいお会いしたかったです。昨年も今年も色んな事が起こりました。現在の彼の言葉やあの歌、あの映画の実写を大塚さんはどんな風に言葉にしたかなってそればかりです。でも本当はそんな事もどうでも良くて、ただもう一度会いたかったです。大塚さん、また春が来ました。

こたにな々(ライター) 兵庫県出身・東京都在住https://twitter.com/HiPlease7 kotanina.na@gmail.com

-2018.03.30

●あとがき2●

大塚さん。生きていると辛い事が、越えるように越えるように、沢山ある事を知る年齢に私もなりました。そして、私も今、ライターを名乗っています。どうやって身を削ったら人に想いが伝わるのかを考えながら、ふと気付くと、またこの季節がやって来ていました。

大塚さん。あなたが居なくなった事を知ったあの日の空気が今も忘れられず、私はまだ本当に辛いです。また春が来ました。私は、私が生きている間中、一生、春を数え続けようと思います。大好きです。

-2019.03.30


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