見出し画像

「便利」と「手間」のバランス考。

今日は「手間」のお話。

「手間」ってなんだろう?とよく考えます。ちょっとネガティブな言葉でとらえられがちですよね。「=めんどくさい」みたいな。

例えば、うちの義母は「早いから」という理由でコーヒーメーカーを使い、「楽だから」という理由で「すりごま」や「すし酢」を買っていました。

私は、可能ならコーヒー豆を買ってミルで挽いて、時間をかけてドリップしたいし、ゴマは使うときにすり鉢ですって料理したい。お寿司の酢も、ゆずやレモンなどの柑橘の酸味も入れたほうがおいしいんじゃないか、とあれこれ考えて毎回作ります(そして、毎回ちょっと味がしまらないのだけど)。

コーヒーをガリガリするときのわくわく感とか、ごまをすった時のふわーっと漂う香りとかは、手間をかけなければ味わえないもの。でも、義母にとっては「手間がかかる」というネガティブな事柄になってしまう。同じ行為なのに興味深いです。

どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、手間をかける人とかけない人、その差はどこにあるんだろうかと考えたとき、それは「喜びを感じるポイントの違い」に他ならないのではと思っています。すなわち、ひとつの物事において、「少しでも労力を減らす」ことに楽しみを見出す人と、「その体験そのものを楽しむ」ことを喜びとする人がいる、ということ。

手間をかける人の中にはすごく忙しい日常を送っている人も少なくなく、でもむしろそんな方のほうが暮らしを楽しんでいるように見えたり。時間が限られているからこそ、「コーヒーを淹れるひととき」そのものをいとおしんでおられるのかもしれません。

あわただしい毎日の中で、すべてに手間をかけて暮らすことは効率的じゃないし、便利なものを切り離して暮らすのはかえって生きにくい。今さら「毎朝かまどでごはんを炊け」「雑巾とほうきで掃除をしろ」と言われても、たまーに、ならまだしも、毎日毎朝、それを楽しみとする力は私にはありません。

だから、便利系調味料も使うし(「シマシマしまね」で取り扱っている「だしの花」は万能です!)、ネットショッピングも多用しています。この便利さが、地方と都市の境目を少しずつなくしているようにも感じます。スマホひとつで何でも買えるこの時代、安いものが買い物に行かなくても手に入るのは本当に便利、本当に楽です。

スタッフの中にはお掃除ロボットを使っている人もいるし、私は忘れ物がひどいので、スマホのリマインダー機能に大変お世話になっています。便利なものは、ないと困るのです。

でも一方で、スタッフはみな旬を大切にして、季節ごとの食材を食卓にのせることに積極的だし(そのために遠くの産直市に行くこともいとわない)、これからの季節、ナスやキュウリを大量にもらうので、いかにそれをおいしく食べることができるか、を自らに課しています。

季節ごとに天然酵母でパンを焼くことも。梅仕事・柚子仕事・味噌づくりなどは、毎年の楽しみでもあります。

それらは、自分が楽しいからやっているのであり、子どもたちに同じように感じてもらいたいという気持ちがあるから。島根を離れた娘たちにも、ああ、あの季節だな、作ってくれてたな、食べたいな…と思い出してもらえたらいいな、と思っています。

便利な世の中を生きながらも、何か一つでも、自分なりの「豊かな時間の醸し方」が見出せるもの・ことを持っているというのは、暮らしを楽しむひとつのツールになるのではないでしょうか。便利で早いが良い、という今の時代にこそ、「手間をかける」という時間の楽しみ方は存在しうるんじゃないかと思います。

便利さを享受することと、不便を楽しむことは、相反するようで実はバランスがとりやすいんじゃないかな。効率と非効率、うまく共存して暮らしていきたいものです。

サポートありがとうございます。とてもとても励みになります。 島根を中心としたNPO活動に活用させていただきます。島根での暮らしが、楽しく豊かなものになりますように。