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家づくりって何だろう。

皆さん、お住まいのお家は一軒家ですか?マンション?アパート?社宅?

暮らしの中で「住」の占める割合ってすごく大きいな、と20代から30代にかけては考えていました。その時期に「家づくり」という一大イベントを経験し、住み始めて10年近くが経ちます。間取りにこだわり、何度も何度も図面を描き直して(工務店さんに伝えるために自分で方眼紙に図面を引いていました)、完成した我が家。

自分たちで考えた間取りだし、子どもたちが巣立ったらかなりがらーんとするなあ、何なら減築したいなあ、と考えたりもしますが、過ごしやすいし、周りの環境にも満足しています。

でも、あの時あんなに「住まいこそすべて!」みたいに熱中し、のぼせて(これ方言ですか?)家づくりに意気込んでいたけど、10年近く経った今、あれは何だったんだろう…と考えるのです。

例えば…2階の吹き抜けのところに子どもたち専用の長いテーブルと本棚を造作してもらい、「ここで2人で勉強したらいいわ、ふふふ」と大満足だったけれど、いま、その机の上には子どもたちの高校3年間の模試とノートの山が積み上げられ、本人たちは家のあちこち、思い思いの場所で勉強しています…。まあいいけど。

娘がピアノを習っていたので、電子ピアノを置くための空間を廊下のスペースに作ったものの、もう弾かなくなって数年…この凹っとした空間どうしたものか、と通るたびに考えます。


そんな毎日を過ごしていると、ふと「ああ、社宅の時はめっちゃ張り切って模様替えしてたなあ」と懐かしくなるのです。

引っ越した先の社宅の壁紙が昭和の炊飯器みたいな花柄(!)で、「これは替えてもいいでしょ!これはないでしょ!」とオットを説得して白い壁紙にすべて張り替えたこと。

4畳半の台所であれこれ考え、ひとりで家具の大移動をしたこと。

レースのカーテンのあの「白い」感じがどうしても好きになれず、お店で粘って探してペールグリーンのレースカーテンを見つけた時の喜び。

そのカーテンが湿気でカビだらけになった時の、あの何とも言えない屈辱感…。

めちゃくちゃ古くて入居した日は泣いたけど、でもあの「古い家との闘い」みたいなのがなくなると、なんだか毎日が穏やか過ぎて、まるで隠居したみたいだなあ…と、ちょっと寂しくなるのです。そうだ、私は子どもの頃から根っからの「模様替え好き」だったんだ!と今更ながら思い出し、模様替えがしにくくなった、あるいみパーフェクトなインテリアを目の当たりにして、不完全燃焼な日々を送っています。

そう考えると、家って「ただの箱」のほうがいいのかもしれない、と思ったりします。あるいは、ある程度の制約があったほうがいいのでは、とも。

「ここにはこれが入るように」と寸分たがわず計測して造作するというのもわくわくして楽しいけれど、大きな箱があって、ざっくりした収納があって、そこにどう入れ込むかは将来のライフスタイルにゆだねるというのも、また違う楽しみがありそうです。

そういえば以前、「ルクルーゼの鍋が歳をとったら重くなってきて、全部人に譲ってしまった」というどなたかのエッセイを読みました。そ、そんなことがあるのか…と、「機能より見た目重視」だった若い頃の自分は老後を憂いたりしたのですが、調理器具だって住まいと同じで、ライフスタイルが変われば変わっていくものなのかもしれません。

今のところ、まだ頑張って重たい鍋を揺すっていますが、そのうちに全部かるーい鍋に変えたくなる日が来るのかもしれない。

それはそれで、どんな身軽な老後になるのか、楽しみでもある昨今です。



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