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しんどい時こそ、悩み迷う時こそ。

変な話ですが、くらしアトリエの中心スタッフはふたりおりまして、このふたりには、「共通の脳内フォルダ」(のようなもの)があるとされています。

すなわち、ある「もの」を想像したときに頭にぽわわんと浮かぶものがほぼ同じ。同じ話をしていて同じように頭の中で発想を飛躍させ、飛躍した先に発する言葉まで同じだったりして、ちょっと気持ち悪いくらいに、共有のフォルダにいろいろなものが収納されています。

普段は、企画から実行まで、ほぼこのふたりで活動を行っています。もちろん、イベントのときや製作の場面では多くの法人スタッフが積極的に助けてくれ、それぞれの得意分野をパッチワークのようにして1つのものを作っていくわけですが、コンセプトどおりにものごとを遂行していく、いわば舵をとっているのは、ふたりのスタッフ。

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その共有フォルダはどのようにして構築されたか?というと、長きにわたっての「確認作業」のたまもの。出会ってからすでに20年、折に触れていろんな思いを話し合い、お互いの意識を確認し合いながら前に進んできたからこそ、の思考回路。自分たちの活動の方向性は間違っていない「はずだ」という確認を毎日のようにしているから、片方が弱ったときでもモチベーションを何とか維持できているのだと思います。

じゃあ、ひとりでお店をされていたり、ものづくりに従事したりしている方は、その確認作業をどのようにしているんだろう、と考えることが良くあります。

私たちのように、日々同じことについて追及し続ける「同志」がいない人たちが、「自分の作品は良いものだ」という自負を、誰とも確認することなく思い続けるというのは、とてつもなく大変なことなのではないでしょうか。

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例えば、本当にこれでいいのか、という迷いや苦悩がたくさんあって、その果てに自分らしいものが出来上がるのかもしれません。あるいは、それを求めてくださるお客さまの声や、一緒にいる仲間たちが、自分の存在を肯定してくれるのかもしれない。でも、きっと一番自分の存在意義を確認できるのは、身近な存在…例えば家族、なのではないでしょうか。

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大山の「コウボパン小さじいち」さんが、お店のオープン当初お客さまが少なく、パンが売れ残る日が続いたときに、毎晩ご家族で自分たちが焼いたパンを食べながら「なんでやろなあ、こんなにおいしいのになあ」と話していた、というエピソードを良く思い出すのですが、困難な時に、大丈夫だよね、間違ってないよね、と肩をたたき合える家族(あるいは家族のような存在)がいるというのは、本当に幸せなことだと思います。

逆に、頑張っていても一番身近な存在である家族に認められない、という人は、とてもしんどい。こんなに才能にあふれているのに、どうして自信がないんだろう、という人にたまに出会うのですが、往々にしてそういう人は、正当な評価が家族から得られていないということが多いように思います。

私自身のことを言えば、家族は私が長い間この活動を続けているので認めざるを得ないというところなのかもしれませんが、アプローチは違えど「地域」を考える機会が多い家族なので、自分自身の経験や出会ってきた人たちのことばが役に立つことも多く、またその逆もあり、いろいろな面で家族に支えられていると感じています。

職人さんや農家さん、お店をしている人…すべての人たちが、孤独で、悩みながら、不安の中で前に進んでいる。そんな中で、身近にいる人の存在は大きいですよね。しんどい時こそ、悩み迷う時こそ、一番身近な人たちのことをしっかり考えられるような人でありたいものです。

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…というのも、ちょっと今「あること」に対してモヤモヤしておりまして。今日もイベントヘルプに入ってくれた法人スタッフとその話で盛り上がり、モヤモヤが勢いを増してきて、それをオットにぶつけて受け止めてもらっているところなのです。これについては、また機会を見てコラムで綴ることができれば、と思っています。

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