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今だから思う。入れ物も中身も大事。

くらしアトリエスタッフは、その大部分が同年代の子育て真っ盛りの母親で、小・中・高・大といろいろな年齢の子どもたちを抱える母として日々生活しています。そんなスタッフと打ち合わせなどをしているとき、雑談でつい盛り上がってしまうのが、「最近入れ物にガタが来てる」という話。つまりは、入れ物=自分の身体が言うことを聞かなくなってきたという、ちょっとネガティブな話なのです。

生まれた時から付き合っていた身体が、なんだか急に思うようにならなくなった。例えば目、例えば歯…そのうち膝、腰…。このままいくと、会えば病院や薬、身体にいい食べものの話をするようになるのだろうか。やだなあ、と思いつつも、そういう話はなんだか盛り上がってしまうのだから不思議です。あれはどういう心理なんだろう。

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肉体の衰えに抗うことは大切です。若い頃からきちんと基礎体力をつけておくことも大事だし、定期的な健診も大事。運動は苦手な私ですが、毎日愛犬と散歩することで、何とか身体を動かし「運動」していることにしています。

でも、ひたすらに「肉体の若さ」だけを追い求めることには正直あまり興味がありません。「アンチエイジング」というキーワードで化粧品や雑誌が売れたりするけれど、顔のしわがなくなったところで、人生が必ずしも豊かになるとは思えません(個人の意見です)。生まれてから何十年も歳を重ね、自分という人間の厚みが出てきているはず。それを考えれば、「若く見える」ことが誉め言葉というのもなんだかおかしい。「若々しい」のと「若く見える」ことは違いますよね?

もっとポジティブに「加齢」をとらえられないだろうか?

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それに、人間の顔って内面があらわれること、ありませんか?歳を重ねた人生の先輩にお会いすると、その顔に、内面がまざまざと浮き出ていることにびっくりすることが良くあるのです。あれも本当に不思議だけど、人柄が顔に刻まれているんですよね…。いつも朗らかにニコニコして生きてきた方は、きっと笑顔の積み重ねが顔の筋肉に作用しているのだと思う。逆ももちろんあって(けっこうある)、ありゃりゃ、気をつけなければ!と肝に銘じるのですが、それだけ、人の生きざまは外側(つまり入れ物)にもあらわれてくるのです。

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だから、外側をメンテナンスをするのと同じくらい、いやそれ以上に、内側を豊かに磨き上げることをおろそかにしてはならない、と思います。

最近読んでいる池田晶子さんの「暮らしの哲学」の中に、「アンチエイジだなんて」というエッセイがあります。一部引用させていただきます。

なるほど、若い時、美しくて元気な時には、それにふさわしい幸福があります。青春の喜びや肉体の充実は、その時期にのみ与えられた特権的な幸福だ。だけど、やがて必ず失われるその特権のみに執着している、と述べたように人は必ず不幸になるのだから、我々は今や別の幸福のありようを求めなければならないのです。
どうも、ないもの、あるいはまだ持っていないもの、そして失くしつつあるものを「欲しい」と思うところに、我々の不幸は発生するようです。

池田さんは別の文章で、人生は何事も初めてのことばかりなのだから、「老い」という現象に対しても初めてのこととしてもっとわくわくするべきではないか、ということをおっしゃっています。ご本人はご病気で46歳という若さでこの世を去っておられて、とても複雑なのですが…。

内的幸福、というと難しいように聞こえるけれど、ようは「幸せだとしみじみ感じられる心のありかた」なわけで、それは歳を重ねても衰えることはないし、むしろずっと積み重ねられて豊かになるばかり、だともいえます。外側はなるべく長持ちするようメンテナンスをしつつ、内側を磨いて磨いてゆけば、たとえ肉体が動かなくなったとしても、心は大いに羽ばたいてどこへでもゆけるのではないでしょうか。

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老いをわくわくして受け入れる…それはなかなか難しいことで、受け入れ難いこともたくさんありますが、そういう考え方があるのか、と知っておくだけでも、言うことを聞かなくなった身体への言い訳になるはず。

20年後の自分、30年後の自分を想像しながら、今を楽しく、豊かに暮らしたいものですね。

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