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ノート

もう何冊使ったかわからないほど愛用しているノートがある。

ライフノートのノーブルシリーズ


その中でも私は無地が好きだ。

手前からB7(メモ)・B6・A5

初めて買った時、まずは表紙のデザインと佇まいに惹かれて手に取った。
学生の頃の様にノートを大量に消費することも無くなり、ちょっと特別なノートが欲しかった。方眼や横罫もあったが、やわらかなクリーム色をしたまっさらな紙をとても美しいと感じて、無地を選んだ。

左ページは本来の色より薄く、右は濃い。
私のスマホでは美しさを写し出せず申し訳ない。

それ以来、ノーブルシリーズの無地一筋だ。

と書きながら、いや、そんなこともなかったなということを思い出した。数回他のノートに手を出したこともある。こだわり過ぎて食わず嫌いになるのもいけないかなと、他の方がオススメする物を使ってみたのだ。けれどそれらのノートはいずれも半分も使いきれずにまた戻ってきた。

まず、このノートに慣れると白い紙を眩しく感じる。眩しくて冷たい印象さえ受けて、落ちつかない。
戻ってくると、やわらかな色にほっとする。
その「ほっ」は他のノートとのコントラストによって感じるだけでなく、ノートを開いて視界に入れるだけでも、普段書いている時にも文字の背景として、心を癒し続けてくれる。

そして癒されるのは色だけではない。
手触りも、書き心地も、これ以上のノートには私は出会えていない。

たっぷり100SHEETS

一冊を早い時で2ヶ月、だいたい3ヶ月ほどかけて書き終える。
日記に近いけれど・・書く頻度も内容も様々な "自由帳" だ。そもそも日記や家計簿は、人生で一度も続いたことがない。幾度も買っては数日で挫折した。書けない。

そんな自分がダメな人間の様に感じ続けていたが、書けないのだ。
感覚でしか生きれない。計画を立て、きっちりしようとするとかえって上手く行かなくなる。自分からズレていく。
感覚的に閃いたり、思い出したり、やりたくなったりする行き当たりばったりなことが上手く繋がりあって、完璧に着地する。
なんか知らんけど上手くいく。
(お金であれば、なんか知らんけど足りる。)
もし感覚を無視して一分一秒動くのがズレていたら、この瞬間は叶わなかった・・そんなすべての完璧さに日々感動する。

計画的に行動することが良い人がいるように、感覚で行動することが良いタイプなのだと思うことにした。

そんなわけでノートに書くのも思いついたこと、いいなと感じた言葉、理想の間取りのスケッチ、庭の木が芽吹いた日付など、あくまでも書きたい時に、書きたいことを書いていく。

何か記録しようとしても三日坊主の私が途切れ途切れでも書き続けて来られたのは、
書くことで心が軽くなることを知ったから。

何だか落ちつかない時、気持ちが焦る時、そんな時につらつらと書きはじめると、必ず何か出てくる。
「ああ、私は本当はこうしたいんだ。」
「ああ、こんなこと気にしてたのか。」
そうするとすーっと楽になる。

自覚する事で自分が癒される感じ。
自分が自分にわかってもらえて安心するような。

(家計簿はつけられないが)何だか最近使い過ぎているぞと感覚的に焦る時、そんな時の私は無自覚なストレスを抱えている。それを見つけるためにノートに向かう。

もちろん、誰かの優しさや嬉しい出来事も心の栄養だが、根本的な部分は自分で癒し整えておくこと。その大切さをこのノートのおかげで知った。
それを自分で出来るという自信は、生きて行く上での安心感をもたらしてくれた。


今日このノートに書いた文字は、すっきりと整って見える。
心の晴れやかさを表しているようで、その文字から感じる "今の私" に嬉しくなった。

このノートは私の心を映し、癒し、気づきをくれる、私の大切なパートナーだ。

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