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見える世界が変わるとき

「妊娠した」とわかったその日から、出かけた先で急に妊婦さんが増えた。
あれ、不思議だよねぇ。
実際には、妊婦さんが増えたわけではない。
見えるものが変わっただけだ。

子どもが生まれたときも、イヤイヤ期で癇癪がひどいときも、同じような現象が起こった。同じ境遇の人たちが、やたら目にとまるようになる。
どうやら私たちは無意識に、見えるものを選んで生きているみたいだ。
だから、周りはこれまでと同じなのに、自分だけに変化が起きたとき、急に見える世界が変わる。

ある日、父が突然右半身麻痺の身体障がい者になった。
(「障がい者」という表記にはいろいろな捉え方がありますが、ここではこの表現にさせてください)
すると、道を歩いていてもスーパーで買い物をしていても、父と同じような人がたくさんいることに気づく。
きっと今までは、心のフックに引っ掛からなかっただけなんだろう。
自分の状況が変わったとたん、どこへ行っても目にとまるようになった。

そんなときわたしは勝手に、その人の背景にまで思いを馳せてしまう。
あの人も父と同じ脳卒中だったのだろうか。
突然手足が動かなくなってつらい思いをしたのだろうか。
杖で歩けるようになるまで、一生懸命リハビリをがんばったのかもしれない。

そう考えると、障がいを持つ人たちがとても強く見えてくる。
「父もリハビリをがんばれば、あんなふうに外出を楽しめるようになるかな」と、小さな希望になってくれたりもした。

周りはなにも変わっていないのに、わたしの見え方だけが変わる。

父の介護が始まったころ、わたしはちょうど2冊目の本の執筆中だった。
「暮らしの中に防災を馴染ませる」アイデアをまとめた本。

きっかけは2018年の大阪北部地震。
日本で暮らしていく以上は備えが必要だと気づいて、まだ小さかった子どもたちを守るために安全な家づくりを見直した。

原点は「災害が起きても子どもと安心して過ごせる家にする」という想い。そして、父の状況が変わったことで、もう一つ願いが生まれた。

それは、私たちの世代(30〜40代)の暮らしの防災力を底上げしたい!ということ。
なんだ、とつぜん政治家みたいなことを言い出したぞ、と思われたそこのあなた。まぁ聞いてくだされ。

実家で母が父を介護している状況は「災害弱者」にあたる。
自分たちだけで避難することがむずかしく、地域の人に支援してもらわなければならない人たちのことだ。

平穏な日常で困っている人がいたら、多くの人が手を差し伸べるだろう。
でも災害時はどうなる?
正しい知識もなく、備えもできていなければ、きっとみんな自分のことで精一杯になる。
支援が必要な人は、とても弱い立場になる。
それが父と母なのだ。

それはとても困る。。。

もし、日本の暮らし全体の防災力が底上げされて、家庭ごとの備えができるようになったら。障がい者や高齢者にも支援の手が届きやすくなるだろうと思った。

そうなっていってほしい。
と、わたし1人の力ではどうにもならないようなことを、ずっと考えていた。
小さく発信をしていくことしかできないけれど、これからも続けていきたい。

離れて暮らす両親を、近所に住む若い人が助けてくれたら嬉しい。
代わりにわたしは、近くの高齢者に手を差し伸べられると思う。
それはきっとどこかの誰かの、大切なご両親だったりするはずだ。

社会のためのようで、結局は自分本位な考え方である。
でも、それでもいい気がしている。

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