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父と煙草

父はヘビースモーカーだった。
小さな頃はお父さんが煙草のせいで病気になるのがこわくて、「たばこをやめて」とお手紙を書いたりした記憶がある。

思春期以降は、煙草臭いというだけでなんだか少し腹が立って、なんでお父さんっていつも臭いのよ!と思っていた。
父の記憶はいつも煙草の匂いとセット。
煙草なんてやめたらいいのに、と思いながら、社会人1年目の父の日には胸ポケット付きのポロシャツを選んだ。
胸元に煙草とライターをぴたりと収めて、「ここにポケットがあるのがええのや」と言って嬉しそうにしていたな。

いつも煙草臭いなぁもぅ…と思っていたのに、
どんな匂いだったかなぁ、お父さん。もうよく思い出せない。

病気になってから、父は大好きだった煙草をやめた。
そして、無臭のお父さんになった。

葬儀の日、担当の方に「お父さんの好きだったものを一緒に入れてあげていいよ」と言ってもらって、わたしは「煙草を入れてあげたい!」と思った。
母に伝えると、「煙草はがんになるから吸って欲しくないわぁ」と軽く反対してきたので、あぁそっか、たしかに、と。

お父さんの健康のために、棺に煙草を入れるのをやめた親子がここにいる。
いやいや、今思うとおかしな話!
もう、健康とか、不健康とか、そういうものからようやく解放されたんだってば。
天国に旅立つお父さんには、煙草だって思う存分吸わせてあげようよ。
今ならきっとわたしも母もそう考えるだろう。
葬儀のことは事前にある程度考えておかないと、その場ではまともに思考が働かないということを思い知った。


2019年のはじめ頃から、「お父さん、血便が出ているみたい」と母から聞いていた。母が何度も病院で検査をするようにお願いしても聞かず、しつこく言うと不機嫌になる父。
どうにもならず、わたしや妹にもヘルプ要請がきて、頃合いを見て父に話をするのだけれども、なんとまぁ頑固おやじだこと!

2019年の夏、関東から帰省していた妹が、帰り際に父を説得していた。なにかあってもすぐ帰って来れないんだよ私は、といって、泣きながら必死に受診を勧めていた。
その時に約束したからだったのか、とにかく2020年の年明けすぐに大腸検査をすることになった。

2020年を迎えてすぐは、まさかコロナが大変なことになるとは想像もしていなくて、父は予定通りに病院へ。そして検査の前夜、下剤を飲んだことで、父の地獄が始まった。
大腸には癌があり、腸を塞いでしまって便が出ない。お腹の痛みでのたうち回って、夜中の2時に救急車…!

病院で色々検査をすると、大腸がんからの出血により、ひどい貧血状態だったそう。ヘモグロビンの値が8とかで、「ずっと登山をしているくらいに、とてもしんどかったはず!」と先生に言われるほど。
お正月、顔が真っ白だったのは冬だからじゃなかったのか。
貧血だったのか!!
いや…父よ、どこで根性出してるねん!と本気で思った。

どうなることかと思ったけれど、その時点では転移もなく、腕のいい外科の先生に手術をしていただき、父は生きることができた。放っておいたら危なかった!

術後、すっかり痩せ細り、声も小さくなっている父に
「だから早く病院行ってってあれほど言ったやん!!!」と声を大にして言いたい気持ちをグッと抑える。
なんて優しいんだ、わたしも母も。

一方で、関東からひとり新幹線に乗り、気が気じゃない状態で飛んできた妹は、父にいろいろ口うるさく言って、病室で喧嘩したって言っていた。
その話がおもしろくてわたしは笑った。

妹はそれから約2年間、何度もひとり心細い気持ちで新幹線に乗ることになる。
あの頃の妹の気持ちを想像すると、かわいそうで胸がズキンと痛む。

病気をしてから、父は食べ物の好みが変わった。
煙草を吸わなくなったのは、単に吸いたくなくなったのか、それとも意図的にやめたのか。
どちらかはわからない。
でも、人生で初めての入院を経験したことで、自分の家の心地よさや母がつくるご飯のおいしさ、普通の日々のありがたさをを感じているのが伝わってきた。

そう思うと、退院してからの父にとっては、煙草がない人生でもきっと満たされたのだろう。
それでも、最後は煙草を入れてあげたかったんだよなぁと思う。
無臭になってしまった父よりも、煙草臭い父の方がわたしのお父さんらしいからかもしれない。

父とのことを書きたくて始めたnote、
まさか最初に綴るのが、父と煙草の話になるなんて。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます^^






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